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*25* 花の香りにさそわれて

 魔力供給をする代わりに精気を吸いとられた夜は、泥沼に沈むように寝落ちしてしまう。


 それが今朝に限って、ふっと意識が浮上しちゃって。


 まだ薄暗い部屋で、ベッドに横たわり、ぼーっとする。


 しばらくして、ほぼ零距離で、すやすやと寝息を立てる黒髪美男子の寝顔に焦点が合った。



 足に絡んだ、長い素足。


 腰には細いけれど意外に力強い腕と、先端がスペード型の黒いしっぽが巻きつけられている。


 見てのとおり、美男子にくっつかれ、添い寝されている状況だ。それも上半身裸で。もう苦笑いするしかない。


「ノアくーん」

「……んぅ……」


 からだを密着させたノアから抜け出すのは、簡単じゃない。


 だけどわたしも学習して、とある秘策を思いついていた。


「いいこだね、ノア」

「ん……んふふ」


 艶のある黒髪を梳くようにして、頭をなでる。


 そうしたら、ノアがふにゃあとほほをゆるめて、腕としっぽもゆるむ。チャンスだ。


「よいしょっと……とうっ!」


 そうっとベッドを抜け出したら、空になったノアの腕のなかへ、リオさん秘密兵器、クマさんのぬいぐるみを投入する。


 これは、マジックバッグの底で眠らせていた、とっておきだ。


 実はほんの3年前、15歳までいっしょにおねんねしていたお友だち。


 前世の記憶を取り戻してからも、ぼっちの生活がさびしすぎてさ、なにか抱いてないと眠れなかったんだよね。


 もちろんこれ、リオさんだけの秘密ね。


「りお……もふもふぅ……」

「よしよし」


 いい感じにわたしのにおいがしみついているのか、ノアが起きる様子はない。ご満悦な顔でクマさんにほおずりをしているくらいだ。


 イケメンって、ぬいぐるみだっこしててもイケメンなんだな。またひとつ、新発見だ。



 ──ほうら、見てごらん。リオの髪とおなじ、マロン色のクマさんだぞ。



 ふいに、今世のわたしとよく似た男性の面影が、脳裏をよぎったけど。


「……考えるの、やめよう」


 あのひととわたしは、もう関係ない。


 首を振って、悶々とした気持ちを向こうへ追いやった。


「さてと。今日は朝食のあとに、みなさんの往診をして……」


 ノアを起こさないように、そっと身支度に取りかかる。


 だけど、ふと気づくことがあり、クローゼットをひらいたところで手が止まった。


 静かなんだ。


 まだ夜明け前なんだから、当たり前だよね。まぁここが、ブルームの街じゃなかったらの話だけど。


(夜中に、モンスターの襲撃はなかったのかな?)


 新しい怪我人が出たら、そのときはわたしの出番。なのにお呼びがかからなかったんだ。


 何事もなく朝をむかえるのは喜ばしいことなのに、わたしにはなぜか、この静けさが、妙に落ち着かなくて。


(ほんとに、なにも起きてないんだよね……?)


 窓際に歩み寄り、カーテンをちらりとめくって、外の様子を確認する。


 有事の際に対応しやすいよう、城内に設置された臨時ポータル近くの部屋をあてがってもらっていたんだけど……


「ん? …………えっ」


 サァッと血の気が引くのを、じぶんでも感じた。


 考えるより先に、わたしはマジックバッグを引っつかみ、寝室を飛び出していた。



  *  *  *



 夜着にしていたワンピースにローブを羽織った状態で、臨時ポータルのある庭園へダッシュでやってきた。


「どうしたんですか、エル!」


 さっき寝室から外を見たとき、ちょうどテレポートしてきたエルが目に入ったんだけど……そのすがたが、異様だった。


「おはようございます、リオ。昨晩はよく眠れましたか?」

「のんきなこと言ってる場合ですか!? 血まみれじゃないですか!」


 そう、頭からつま先まで、エルに鮮紅色の飛沫と鉄錆のにおいがこびりついていたんだ。


 駆け寄るわたしを、ほほ笑んだエルが制する。


「だめ。ふれたら汚れてしまいますよ」


 やわらかな声も、笑顔も、いつもどおりのエルだった。


 血にまみれた非現実的な状況だからこそ、ふだんと変わらない笑顔が、異様なんだ。


「……どこに、行ってたんですか?」

「東側の城門ですね。モンスターの襲撃があったとしらせがありましたので、悪い子さんたちに、ちょっとお仕置きに行ってきました」

「怪我は……してない、みたいですね」

「えぇ、これはぜんぶモンスターの返り血です。おどろかせちゃいましたか?」

「これでおどろかないほうが、どうかしてます……」

「ふふっ、僕は大丈夫ですよ。言ったでしょう? こう見えて、わりと強いんです」


 これだけ大量の血をあびてる……つまり、モンスターと激しい戦闘をくり広げた上で、涼しい顔をしてるんだ。


 わりと強いどころか、相当でしょう。


「さすがにシャワーを浴びたいですね。このままだと、おかえりのハグもしてもらえませんし。さっぱりしてきますね」


 そこまで言って、「あぁそうだ」とエルが思い出したようにわたしへ向き直る。


「朝食のあと、僕の部屋に来てもらえますか? がんばったごほうびがほしいです。いいですよね? リオ」


 夜明け前の薄暗い中で、わたしを映した蜂蜜色の瞳だけが鮮明だ。


 まるで闇に目を光らせる、猫みたいだった。


「どうかふたりきりで。お待ちしています」


 意味深なつぶやきと、どこか妖艶な笑みを残したエルが、背を向けた。


 ブーツの足音、それからエルの腰に提がった白銀の鞘とベルトの留具のこすれる金属音が、遠ざかっていく。


「……おっかねぇな」

「えっ……」


 静まり返った庭園で、うなるような声が聞こえて、わたしはとっさにふり返った。


 見れば、剣や弓など武器を背負った男性陣が次々と臨時ポータルでテレポートしてきている。


 きっと、モンスター討伐にくり出していた冒険者だろう。


 さっきのつぶやきは、あご髭をたくわえ斧を担いだ、重戦士の男性のものだった。


 男性は、苦虫を噛みつぶしたような顔でエルが消えていった薄暗い庭園の向こうを見つめている。


 彼が次に放った言葉が、忘れられない。


騎士ナイト気取りの貴族のおぼっちゃんかと思ったら、とんでもねぇ。あれは……狂戦士バーサーカーだ」



  *  *  *




 どうやら、わたしが知るエルと戦場にいるエルは、まったくの別人らしい。


「いらっしゃい、リオ」


 にこやかに部屋へむかえ入れられながら、いまだ半信半疑ではあるけど。


「念入りにシャワーを浴びていたら、身支度にすこし手間どってしまいました。こんな格好でごめんなさい」


 申し訳なさそうに眉を下げたエルは、ワイシャツにスラックスすがただった。


 色白な肌はまだ火照っていて、ミルキーホワイトの髪はしっとりとしている。


「わたしこそ、お忙しいときにごめんなさい」

「いえいえ、お呼びしたのは僕ですから。そういえば、ノアくんは?」

「部屋にいます。朝の往診も終わって落ち着いたので、魔法薬の専門書を読むように言ってるんです。午後には口頭試問をする予定なんですよ」

「なるほど。それは一生懸命お勉強しないといけませんね。ところでリオ、ハーブティーはお好きですか?」

「あ、おかまいなく……」

「気にしないでください。僕がいつも眠る前に淹れているものですから」


 わたしをソファーへ案内したエルが、慣れた手つきでティーポットの中身をカップへそそぐ。


 ベテランの執事と言われても違和感がないくらい、どこまでも洗練された所作だった。


 ほとんど物音を立てず、テーブルへティーカップが置かれた。


「夜、眠れないんですか?」

「夢見はよくはないですね。むかしからです」


 しまった、と後悔しても遅い。


 何気ない問い。だけどそれは、エルの過去に土足で踏み入るようなものだった。


 つい最近まで、娼館街でからだを売ることでしか生活をするすべのなかったエルに、こころ安らかに眠れる夜なんてあったはずがないのに。


「……ごめんなさい」

「謝らないで。そんな顔をさせたかったわけじゃないんです」


 失言に気づき、視線を伏せるわたしに、エルはやっぱり怒らない。


「いまの僕には、リオがいます。あなたのそばは、とても心地がいい……眠くなるまでのすこしのあいだ、僕の話し相手になってもらえませんか?」


 それが、エルの言っていたごほうびなのかな。


 うっとりしたようにお願いされたら、選択肢なんてあってないようなものでしょう。


「もちろんです。せっかくハーブティーを淹れてもらいましたからね」


 そう言ってティーカップに口をつけると、蜂蜜色の瞳をぱちくりさせたエルが、ふわりと笑みをほころばせた。


「おとなり、よろしいですか? ハグがしたいです」

「え、いま? ど、どうしよう……」


 わたしがOKを出したら、そのまま熱烈ハグをされそうな雰囲気だったので、あたふたと手にしたティーカップをソーサーへ置く。


 火傷したらたいへんだもんなぁ、とかヒヤヒヤしているうちに、ソファーのとなりに腰をおろしたエルに抱き寄せられていた。


「……あなたと出会ったあの日。ほんとうは、あなたを追いかけたかった。すがりついて、慈悲を乞いたかったけれど……穢れた僕がふれていいわけがないと、諦めていたんです」


 わたしを抱きしめ、肩にもたれたエルの表情は見えない。


「でも、僕の境遇を嘲笑わらわず、歩み寄ってくれたあなたのことが、忘れられませんでした。また会いたい……ただそればかり考えていました」


 見えないけど、わたしの耳もとで吐露するエルの息がふるえていることは、わかった。


「いけませんね。あなたとふれあうたび、僕はどんどん強欲になってしまいます。──リオ」

「……はい」


 いつの間にか、蜂蜜色の瞳が、至近距離でわたしを映し出していた。


「愛しています」

「っ……」

「あなたを、愛しているんです」


 エルの吐息が、近い。近すぎるくらいに。


「エ、エル……」

「おやリオ、どちらへ?」


 つい逃げ腰になってしまったわたしをがしりと腕でホールドして、エルが笑う。


 妖しいかがやきを宿した蜂蜜色の瞳は、まったく笑っていないけど。


「逃さないと言ったでしょう」


 それからはもう、一瞬のことだった。


 あごをすくわれ、噛みつくように唇をふさがれる。


「んぅっ……!」


 突然の深いキスに、勢いあまって視界が回った。


 とさりと、ふたりしてソファーにもつれ込む。


「……はぁっ、ん……リオ……」

「ふぁっ……」


 わたしに覆いかぶさったエルが、かすれ声でわたしを呼んで、濡れそぼった唇で、わたしのほほや耳をくすぐる。


 いつもより軽装だからか、エルのからだが尋常でなく熱いのが、ワイシャツ越しにつたわってくる。


 前のボタンも申し訳程度にしか留められていなくて、すきまからのぞく胸もとが、艶めかしい。


「……滑稽ですよね。あれだけ女性を相手にしてきて、満たされたことなんて、ただのいちどもないんです。生きるためにしなければならないこと……僕にとって、性交とはそんなものでした」


 暗い路地裏で淡々とご婦人を抱いていたエルの冷めたまなざしが、脳裏に蘇る。


 それが氷のように冷たいものだったからこそ、燃えるように熱いエルのからだに、戸惑ってしまうんだ。


「ふふ、可笑しいですね……男女の交わりにうんざりしていた僕が、あなたを抱くことを夢見て、毎晩妄想のなかで犯しているだなんて」

「ひぁっ……!」


 つぅ……と脚をなで上げられ、高い声を出してしまった恥ずかしさに、きゅっと目をつむる。


 だめだ。


 流されちゃだめだって、頭では思うのに。


「リオ──僕とたのしいこと、しましょうか」


 甘い香りがする。


 まただ。ふとしたときにエルからただよう、蝶を惑わす花のような香りが、また……


「どろどろに……溶け合いましょうね?」


 甘い甘い香りとささやきに、理性をぐずぐずに溶かされたなら、わたしにはもう、どうにもできない。

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