「おんやぁ? これはまたおどろいた……デレデレエルくんとか、明日は槍でもふるのかね?」
ふわふわと、夢のなかをただよっていたら、そんな声に意識を引き戻される。
「……んん……?」
わたしがのそのそと起き出すのと、そんなわたしにシーツがかぶせられるのとは、ほぼ同時だった。
「プライベートに過干渉なのは、感心できませんね」
「なにおう。うちのエルが昨晩無茶してたっていうから、心配して飛んできたっていうのに! 無事じゃすまなかったでしょ? モンスターが!」
「そんなことより、部屋に鍵はかけていたはずですが?」
「ふっ……あんなのは鍵のうちに入らないよ」
「あなたのその無駄に高いスキルは、ぜひとも別の場所で発揮していただきたいものですね、ヴァン」
しばらくうとうとして、すぐ近くで深いため息が聞こえたころ、はっと覚醒した。
「んっ? えっと……あれっ、わたし……」
「起こしてしまいましたか? さわがしくてすみません、リオ」
状況を確認する。
ベッドから起き上がったわたしは、頭からシーツをかぶせられていた。
で、そのわたしをだれかから隠すように抱きしめるエルと……
「やっほー、リオちゃん! エルとベッドのなかで楽しめた? 結婚式は明日でいい?」
「えっ、えっ……はぃいっ!?」
なぜだか、黒ずくめの男性……もとい、指輪型の変声魔法具で男装したヴァネッサさんが、部屋の入り口でヒラヒラと手をふっていた。
「どどっ、どういうことですか!?」
「あれ? エルがご満悦な寝顔してたから、てっきりリオちゃんをめでたく手篭めにしたと思ったんだけど、違った?」
「……いやぁああっ!」
そうだ、わたし、エルと……
遅れてよみがえってきた記憶。
あり得ない。気が大きくなっちゃって、エルにえらそうな説教を垂れた挙句、「抱きまくら役に任命されましょう、どやぁ!」とかいろいろ口走った気がする。
で、この超絶イケメンにハグされて爆睡ですか。じぶんの図太さにびっくりだわ、あはは、死にたい!
恥ずかしさのあまり発狂したわたしは、ベッドに倒れ込み、ボスッボスッと枕に顔面を打ちつけた。
「リオちゃん……さいっこうのリアクションだね」
「僕たちのためを思うなら、即刻出ていってもらえると助かるのですが」
「ちょっ、怖い怖い……しかたないなぁ、もぉ」
大げさに肩をすくめてみせたヴァネッサさんは、エルにびしぃ! と人差し指を突きつける。
「イチャイチャするのはけっこうだけど、あとでリオちゃんを貸してよね。用事があるんだから!」
「へっ……」
用事? ヴァネッサさんが? わたしに?
ポカンとまぬけ面をさらすしかないわたしをよそに、エルが淡々と返す。
「リオになにかしたら、容赦しませんからね」
「うわっ、こっわいなー! やさしくない男は嫌われるぞー!」
「余計なお世話です」
「あの、エル……ノアのところに戻りたいんですけど、離してもらっていいですか?」
「え? なんですって?」
「ひぇっ……」
恐る恐る挙手したら、満面の笑みでふり向いたエルが、尋常でない圧をかけてきたんですけど。
「ここでほかの男の名前出しちゃう? 小悪魔だね、リオちゃん!」
そんなアホな。
どこか楽しげなヴァネッサさんと、まばゆい笑みのエル。
ここに、わたしの味方なんかいやしなかった。
* * *
エルの部屋をたずねてから、2時間がたっていたらしい。
そのうちの1時間ほど爆睡をかましたわたしは、遅れてよみがえってくるじぶんの失態に赤面。枕をサンドバッグに、奇声をあげていた。
そこでなんのスイッチが入ったのか知らないけど、ベッドに腰かけたエルがにっこり。
「可愛いなぁ。なんだか、いたずらしてみたくなってしまう可愛さですね」
スポーツ飲料のCMオファーでも来そうな、マイナスイオンたっぷりの爽やかスマイルだった。ただし、言っていることはアウト。
「そんなことより夜通しモンスターと闘った疲れ、まだ取れてないですよね! はい横になって、おやすみなさい、エル!」
「おやおや。はは、ふられてしまいました」
エルをベッドに寝かしつけて部屋を飛び出すころには、もうヘトヘトだったよ。
そんなわたしのいま現在はというと。
「俺が勉強してるときに、どこ行ってたのかなぁ……リオ?」
「あうあうあう」
きれいなご尊顔を引きつらせて笑う黒髪美男子に、両方のほっぺをむにむにむに、とつままれていた。
部屋にいるノアのところに戻ろうとしたら、城内の回廊を歩きはじめてすこしもたたないうちに、目的地のほうからやってくるというね。
あれ? お昼にはちょっと早いから、まだ魔法薬の専門書を読んでお勉強してるころなはずなのにな?
「におう……」
「へっ、におう? なにが?」
「俺の知らないうちに、リオが甘ったるいにおいにまみれてる……あいつのところに行ってたんだ」
むすっと唇をとがらせたノアが、低い声で「あいつ」と呼ぶのは、ひとりしかいない。
(甘ったるいにおい? たしかにエルからは、お花みたいな甘い香りがするときがあるけど……)
ただそれは、バラみたいに華やかで強く香るときもあれば、カモミールみたいにほんのりとやさしく香るときもある。
香水じゃないよね。だって、香水はつけ直さないと香りが薄れていくだけなのに、あの甘い香りは強くなったり、弱くなったり、波があるんだもん。
ためしにローブの袖をすん、と嗅いでみたら、言われてみれば甘い香りがするような? ってくらいの、ほんのりとした芳香が鼻をくすぐる。
で、ノアはやっぱり「甘ったるいったらありゃしない」とくり返していて、鼻が曲がりそうとでも言わんばかりのしかめっ面だ。
うーん……これも、わたしとノアじゃ嗅覚の鋭さに違いがあるせいなのかな。
「ねぇ、俺、調薬の問題が解けたんだけど」
「えっ! 調薬分野はどれも応用レベルの難問ばっかりだよ。計算も難しかったでしょ?」
「がんばったの。だからリオに答え合わせしてもらおうと思ったのに……」
「……あぁあ~」
終始むっとしたノアが言わんとしていることを、やっとこさ理解する。
がんばったね、すごいねってほめてもらおうと思ったのに、わたしがどこにもいなかった。
そのことを、ノアそっちのけで、エルにかまっていたんだと思われたんだろう。
それは誤解だ。ちゃんと説明しないと。
「エルのところに行ってたのはね、モンスターと闘ったあとだから、どこか不調はないか、念のための診察だったの」
「診察に何時間もかかる?」
「エル、むかしからよく眠れないみたいでね。リラックスして休めるまで、話し相手になってたんだ」
うそはついてません。あいだの『なんやかんや』を省いただけで。
「不眠症だとか、精神的な負担が根幹にある心因性疾患は、あせらず、ゆっくりと話をきいてあげるのがベストな診療になるの。ノアもそれはわかるでしょ?」
我ながら、ずるい質問をしたなと思う。
こんな言葉をかけられたら、悪夢にうなされていたことがきっかけでわたしと毎晩眠る習慣がついたノアは、うなずくしかなくなるだろうから。
案の定、ノアが押し黙った。
「頭いっぱい使って、疲れたでしょ? 調薬の問題の答え合わせと口頭試問は、お昼ごはんのあとにしよう。戻ろっか」
それっぽい理由をこじつけて、うまくごまかした気になる。
でもそれってね、ずるいわたしの、茶番でしかなかったんだ。
「……リオは、どこを見てるの?」
逃げるように背を向けたら、背後から、華奢な腕が巻きつけられる。
ノアが羽交い締めにするように、わたしを抱きしめていた。
痛いくらいの抱擁は、間違っても、甘えてじゃれつくそれじゃない。
「よそ見しないで。こっちを見てよ」
背後に迫ったノアの声が、近いところにありすぎた。
わたしがうろたえて返事できずにいたら、無視をされたと思ったんだろうか。
「もうやだ……っ」
余裕のないノアの言葉の直後、がっと肩をつかまれる。