視界を真っ赤に染めた火柱が、空高くまで燃え上がったかと思えば、ふっと消えゆく。
吹き荒れる風が凪いで、静けさに包まれる庭園。
だれもが固唾をのんで見守るなか、かかげた右手を下ろしたクリムゾンレッドの髪の青年が、そっとつぶやく。
「……どうか、来世は幸福に」
和装に似た黒装束をまとった青年が、両手を合わせ深々と頭を垂れた先では、土が黒く焼け焦げ、ぱちぱちと炎がくすぶっている。
わたしたちを苦しめたコカトリス……いや、怪鳥のすがたをした3体の『デベディ』たちは、灼熱の炎に焼かれ、骨ひとつ残らなかった。
硝煙に似た死のにおいを、ふいに吹き抜けた風がさらっていく。
庭園をいろどる薔薇がそよいで、ほのかな甘い香りが鼻をくすぐる。
蒼い空のもと、『日常』がもどってきた瞬間だった。
「ユウヒ……」
無意識のうちに、名前を呼んでいた。
祈りを捧げていた青年──ユウヒが、背すじをただし、わたしをふり返る。それから。
「はい。どこも痛いところはないですか? 主さまーっ!」
「うわぁっと!?」
黒い袖と裾をひるがえしたユウヒが、裸足に高下駄みたいな履物のスタイルで、颯爽と駆け寄ってきた。
「おれ、ちゃんとできましたよ! もう大丈夫なので、安心してくださいねっ!」
「むぎゅう……」
がばっと抱きついてくるところなんかは、天真爛漫なユウヒそのままだ。
ただし、いまのユウヒは強火のほうのユウヒ。トップモデル級プロポーションをもつエルよりも長身な、美男子さんだ。
そんでもって、人間より身体能力の高いドラゴンときた。要は、大人ユウヒにぎゅうぎゅう抱きしめられて、窒息寸前のリオさんです。
「ちょっと、でっかいおちび! リオがつぶれるだろ!」
「はっ! これは失礼しました!」
見かねたノアが助け舟を出してくれて、はっとしたユウヒの腕から解放される。
「力加減がうまくできなくて……主さま、ごめんなさい~!」
「は……はは……だいじょ……いやいやいや、なにしてんのユウヒ!」
離してくれるだけでよかったんだけど、まさかの五体投地をくり出すユウヒ。流れるような土下座モーションだった。
「わたし平気、ほんと平気! ピンピンしてる! だから立って、ねっ!」
「はいぃ……」
あわててユウヒの腕を引けば、泣きそうなユウヒが、のそのそと立ち上がる。
「主さまはか弱い人間なんだから、抱きしめるときは、真綿でくるむように、やさしく……以後、気をつけます!」
わたしはガラス細工かなにかだろうか。
そこまでしなくていいと思いつつも、硬く心に決めたらしいユウヒが力強くうなずいているので、余計なことは言わず、「そっかぁ~」と頭をなで…………手が届かなかった。ちくせう。
そうしたら、きょとんとしたユウヒが、エメラルドの瞳をきらめかせて腰をかがめ、頭をさし出してくる。なんだこのでっかくて可愛い生き物。なでなでしてあげた。
さわがしいくらいの日常の光景を前にして、やっと安心できる。だけど、まだ終わりじゃない。
「毒の治療をしないと。大ホールで受け入れの準備はできてます。みんな手伝ってくれますか?」
「もちろんよ、リオ!」
「みなさんをお連れしましょう。動かないでください。いいですね、ヴァン」
「エルが優しいわ、明日は吹雪かしら……」
「はいはい。いつぞやにご所望だったお姫さまだっこです。今日は特別ですよ」
ぐったりと意識のないルウェリンをララが背負い、真っ青なヴァンさんは、エルがそっと横抱きにした。
「ノア、大丈夫?」
「おれがおんぶしましょうか、ノア兄さま!」
「いいよ、じぶんで歩けるから」
ここで毒にやられているのは、あとはノアだけ。
地面に座り込んだまま身動きの取れないノアが、ユウヒに支えられながら、立ち上がろうとするけど。
「手足に力が入らないんだろう。無理をして歩くと、足を捻る」
「わ……ちょっと」
うまく踏み出せず、よろめいたノアを、お父さんが支えた。
「君はとても賢いようだから、どうすればリオの仕事を増やさずにすむか、わかるね?」
「……へぇ、それで、リオの好感度を稼いでるつもり?」
言い含めるように肩を貸そうとするお父さんだけど、ノアがうなずくことはなかった。
「離せ。神殿の関係者なんかの手は借りない」
苦虫を噛み潰したような顔で、肩に置かれたお父さんの手を払うだけだ。
「えぇ……じゃあ、おれも駄目ですか……?」
「ぐっ……そんなことは言ってないだろ……はぁ、わかった。肩貸して、ユウヒ」
「はいです、ノア兄さま! よーいしょっ!」
「うわぁっ……だから、肩貸してくれるだけでいいんだってば!」
お父さん相手に絶対零度のオーラを放っていたノアも、ユウヒの無自覚うるうる攻撃にはかなわなかったらしい。
しぶしぶうなずいたノアは、歓喜したユウヒにひょいっとおんぶされてしまった。ノアに頼られたのが、ユウヒは嬉しかったみたいだ。
「さすがユウヒ! 力持ちだね!」
「お安い御用なのです!」
「俺のこと、こどもみたいにさ……」
ふてくされたノアがなんかぼやいてるけど、聞かなかったことにして。
「さぁ、みんな急ぎましょう。わたしが治療をします!」
もたもたしている時間はないから、城内へ駆け出す。
なにかをじっと考え込んでいるお父さんのまなざしにも、気づかないふりをして。
* * *
大ホールへ到着してすぐ、それまでなんとか会話できていたヴァンさんの容態が、急変した。
「うっ……あ、はっ、はっ……!」
「これは……エル、ヴァンさんをこっちのベッドに!」
「はい、すぐに。ヴァン、しっかり」
エルがヴァンさんをベッドに横たえたのと立ち代わりに、すぐさまバイタルを確認する。
(発熱あり。呼吸が浅い。まずいな……血圧が下がってきてる)
『デベディ』たちの毒にやられていることを踏まえると、その毒性によってショック状態に陥っていると見るのが妥当だろう。
トリアージカテゴリーで振り分けるなら、ただちに治療が必要な赤タグだ。
でも、ルウェリンのほうも意識がない。迅速に治療しなければ、意識障害が残ってしまう可能性がある。
(赤タグの重症患者がふたり……どうする? どうすればいい?)
頭をフル回転させ、必死に打開策をさぐる私に手を差し伸べたのは、驚くべきひとだった。
「こちらの少年のことは、私が任されようか」
お父さんだった。落ち着いた様子で、隣のベッドに横たわるルウェリンへ近寄り、おもむろに右手をかざした。
ぽう……と、淡い光が、ルウェリンを包み込む。
ルウェリンの苦悶の表情が、ほんのすこしだけど、やわらいだ気がした。
「ひとまず、私の神聖力で毒の巡りを止める。だからおまえは、おまえの思い描く治療に当たりなさい、リオ」
葡萄酒色の瞳が、わたしを静かに見つめている。
おまえはどうするんだい、と、あくまでわたし自身の行動を促すようなまなざしだった。
「はい……お父さん。すぐに終わらせるので、ルウェリンのこと、お願いします」
そうだ、わたしのすべきことは、最初から決まっている。
すぐにマジックバッグを開けると、ランセットをふたつ取り出す。手のひらサイズのころんとしたこれは、穿刺針が収納された採血用器具で、微量の採血に適したものだ。
まずヴァンさんの手を取り、人差し指にランセットを押し当てる。パチンッと音がして、バネの力により穿刺針が飛び出した。
穿刺箇所のまわりをぐっと指圧して、ぷくりと血液の玉ができたら、そこから数滴程度スポイドでとる。
採取した血液は、あらかじめ用意していたガラスプレートに2滴滴下する。ガラスプレートには撥水性のインクで円をふたつ描いてあって、それぞれの中に1滴ずつだ。
「エル、ちょっと調べさせてもらいたいんですけど、手を出してもらえますか? 利き手のほうで」
「えぇ、かまいませんよ」
「ありがとう。すこしチクッとします」
ヴァンさんにしたように、エルが差し出した右手の人差し指からランセットで採血をすると、別のガラスプレート上の円に同様に1滴ずつ血液を落とす。
右上にインクで『V』と書いてあるのがヴァンさん、『E』と書いてあるのがエルの血液が載ったガラスプレートだ。
今度はマジックバッグから、青色の小瓶と、黄色の小瓶を取り出す。中には検査のための試薬が入っている。
青色の試薬を左側の円、黄色の試薬を右側の円と、ヴァンさんとエル、それぞれのガラスプレートに同じように滴下する。
最後に、八の字を描くようにガラスプレートを回せば──出た。
『V』のガラスプレートは、右側の円だけ、粉屑のような沈澱あり。
『E』のガラスプレートは、どちらの円も変化なしだ。
「ヴァンさんはB型、エルはO型ですね。エルのほうは……
「リオ、これはなにをしていたのですか?」
エルはわたしのひとりごとを聞いても、ピンときていないようだった。
そりゃそうか、血液型の概念がない世界だもん。だったら、これからわたしがしようとしていることは、『とんでもないこと』だろう。
「輸血前検査、です。ヴァンさんに血液を分けてあげてほしいんです。協力してもらえますか? エル」
予想どおり、わたしの言葉に、蜂蜜色の瞳が見ひらかれた。