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*42* 輸血

 血球の表面には、抗原こうげんと呼ばれる目印がある。血球のひとつひとつに、ひとによってかたちの違う旗のようなものが立っていると思ってもらえれば、わかりやすいかな。


 この旗のかたちごとに、血液の種類を分類したもの。それが血液型だ。


 Aと分類された旗が立っている──つまりA抗原を持っているひとはA型、B抗原を持っているひとはB型。


 A抗原とB抗原両方を持っているひとがAB型で、どちらも持っていないひとがO型だ。


「わたしたちの血液には、じぶんとは違うものが入り込んできたときに敵として攻撃する免疫能力があります。この攻撃する役割を担っているのが、抗原に対し、抗体こうたいと呼ばれるものです」


 抗体は抗原に反応する。抗原の持つ旗のかたちを認識して自己と非自己を判別し、攻撃するんだ。


 A型のひとはB抗原に反応して攻撃する抗B抗体、逆にB型のひとは、A抗原に反応して攻撃する抗A抗体を持っている。


 AB型のひとは抗A抗体も抗B抗体も持っていなくて、O型のひとは両方持っている。


 だから免疫反応による輸血副作用を起こさないために、血液型の一致した輸血が原則だ。


 今回、ヴァンさんはB型で、エルはO型。患者レシピエント献血者ドナーの血液型が一致しない異型輸血となる。


 でも幸いなことに、O型のエルの血球表面には、A抗原もB抗原もない。B型のヴァンさんに輸血しても、抗A抗体が攻撃する相手がいない、つまり副作用を回避することができる。


「だから緊急の場合、献血者がO型なら、異型輸血であっても輸血が可能なんです」

「なるほど、理解できました。血液はどの程度必要ですか?」

「400ミリリットルほど。さっき検査したほうとは別の、左腕から採血させてください」

「わかりました」


 エルの理解は早かった。


「ありがとう。こっちの椅子に座ってください」


 わたしはお礼を言うと、すぐさま作業に取りかかる。



 準備も含め、採血は20分ほどで終わった。


 エルから採血した血液バッグに、わたしが考案した治癒魔法で照射処理をする。


 これは人体に害がない放射線照射と同じ効果があって、輸血後、献血者側の血中にあるリンパ球が間違って患者を攻撃しないように不活化させる、最後の仕上げだ。


 作業開始から30分。血液製剤は完成した。


 ベッドに横たわるヴァンさんの左腕にルートをつなぎ、輸血を開始してから1時間後。低下していた血圧が、正常の値にもどったのだった。


 しかも、それだけじゃない。


「……うそ」

「リオ、なにかまずいことでも?」

「逆です。血圧を上げることを最優先にしてたんですけど……ヴァンさんの回復が、早いんです。ほかの処置が必要なくなったくらいに」


 もう一度採血をして、毒の血中濃度を確認してみたら、薄まっているどころじゃない。きれいさっぱり消失していた。


 体内で代謝されたにしても、この1時間ほどじゃ、あり得ないことだ。気にはかかるけど……


「これでヴァンさんは大丈夫です。もう心配いりませんからね」

「そうですか」

「エルが協力してくれたおかげですね、ありがとう」

「こちらこそ、ありがとう、リオ」


 ベッドのそばで椅子に腰かけ、すこしだけうつむいたエルが、右手を伸ばす。


「……よかった」


 エルは息を深く吐き出すようにつぶやくと、眠るヴァンさんのほほを、指先でくすぐるようになでた。


「ゆっくり休んでください……ヴァン」


 蜂蜜色の瞳をゆらめかせるエルを見守っていたら、わたしまでうるっときちゃったのは、内緒ね。



  *  *  *



 翌朝のこと。


「これはもう、リオちゃんをお嫁さんにもらうしかないなって本気で思ったわ、私の」

「頭おかしいですね。まだ毒にやられているんですか?」


 個室に移ったヴァンさんの様子を見に行ってみると、真顔のエルにツッコまれている場面に遭遇した。


「ひっどーい! エルが冷たーい! 私のこと、ぐすぐす泣きながら心配してくれたんじゃなかったのー!?」

「泣いてませんし、別段冷たくしているつもりはありません。いつもどおりです」

「このツンツン男め! 可愛げがないんだから! そんなだからリオちゃんにフラれるのよ!」

「ほう……聞き捨てなりませんね。どうやら、あなたとは肉体言語による話し合いが必要なようです」

「きゃーっ! 私病人! 暴力はんたーい!」

「こんなにやかましい病人がいてたまりますか。あと僕はフラれたわけではないです。進展がないように見えるのは、まだ本気を出していないだけです」


 えーっと……うん。わたしが口をはさむヒマもないくらい、マシンガン級の言葉の応酬だ。


 病衣のままさわぐヴァンさんが、エルにつかみかかろうとしたときだ。ため息をついたエルから、ビシィッとデコピンをされ、「あうっ」とベッドに倒れ込む。


 うん……? けっこう容赦ないね、エル?


「おや? あぁリオ、おはようございます。今日も清々しい朝ですね」


 部屋の入り口で失笑していたら、わたしの気配に気づいたらしいエルがふり返って、にっこりとほほ笑んだ。向き直って、両腕を広げてすらいる。それはなんでしょうか、ハグ?


「あら! 待ってたわよ、私のエンジェルちゃん! エルに冷たくされて悲しいの、ぎゅーってハグして慰めてほしいなー?」


 ヴァンさんもヴァンさんだ。猫なで声で、甘えたようにわたしを見つめてくる。


「おはようございます、エル、ヴァンさん。お元気そうでなによりです?」

「えぇ、このとおりヴァンはやかましいくらいに元気なので、ご心配はいりません。それよりリオ、お疲れではありませんか? 僕の部屋でハーブティーをお出ししましょうか」

「あーっ! そうやって隙をついてリオちゃんを襲う気ね! 朝っぱらからやらしいわー、ヤるなら徹底的にヤりなさいよね! 確実に手篭めにして、なんとしてでもリオちゃんをカーリッド家うちに連れ帰るのよ!」

「ヴァンもああ言っていることですし、行きましょうか」

「えぇっ!? そこ否定しないんですか! あのっ、エルっ!?」


 なんでだろう。ついさっきまで口喧嘩していたふたりが、いまでは結託してわたしをハメようとしている。変なところで息ぴったりすぎじゃありません!?


「恥ずかしがることはありませんよ。ぐっすり眠るために、必要な『運動』をするだけです。なので……ね?」

「ひぃぃ……!」


 なんでわたし、色気ダダ漏れのエルから誘惑されてるんだろう。朝の往診に来ただけなのに。


「あっ! そういえばまだ用事があって!」

「どこへ行くんですか、リーオ?」


 親指を立てたヴァンさんのまぶしい笑顔に見送られ、部屋を後にしたわたしは、思いきって逃走をこころみる。


 とはいえ、エルから逃げられるはずもなく。


 一瞬で捕獲されたわたしは回廊の壁に押しつけられ、目の笑っていないエルの腕の中に閉じ込められてしまった。


 追い討ちのごとく、鼻を刺激するものがあって。


(あ……甘い香り……エルの……)


 はじめはほのかに香る程度だったそれは、エルの蜂蜜色の瞳に捉えられてしまったとき、薔薇の香りのようにぶわりと濃密なものへ変化する。


「エル……ふぅ、んっ……」


 強烈な花の香りにあてられて、とたんにからだが熱を持つ。息が上がって、うまく呼吸ができない。


 そんなわたしの頭上で、くすくすと可笑しげな笑い声がこぼれた。


「ふふっ、香りだけで、気持ちよくなっちゃいましたか? 顔がとろんとして、可愛いです」

「……エルのせい、ですからね……」


 甘い香りに意識を持って行かれそうになる寸前で、なんとかこらえたわたしだけど、手足にうまく力が入らない。


 脱力してへなへなとくずれ落ちそうになるところを、エルに抱きとめられた。


「ごめんなさい。戦闘中もそうなんですけど、どうも興奮すると、オーラが暴走してしまうんです。リオが相手だと性的に興奮もするので、抑えられなくなってしまうんですよね」

「んなっ……!」


 エルは悪びれもなくくすくすと笑いながら、抱きしめたわたしの頭を楽しそうになでている。


 エルのオーラは、花びらや甘い香りとなって発現する。エルのそばにいるときにただよう甘い香りに波があったのは、そのときのエルの感情、つまり興奮の度合いが影響していたからだ。


 オーラは魔力の凝縮体。特にエルの花のオーラは、正常な判断力を奪う、甘い甘い媚薬のような効果を持っている。


 それをモロに浴びてしまったせいで、からだが熱くて熱くてたまらない。エルに指先でふれられるだけで、びくんっと反応してしまう。


「こんなの、ずるい……エルの、ばかぁ……んっ」


 なけなしの反撃をしてみる。涙目で、たいした攻撃力なんてないだろうけど。


「リオこそ、強情です。早く僕のものになってしまえば、楽になれるのに」

「ひぁっ……んん」


 耳もとで低くささやいたエルが、かぷりと、耳朶に噛みついた。


「ねぇ、リオ。早く……堕ちて。僕と同じところまで」


 熱い吐息をわたしの耳に吹き込みながら、エルがするりと指先で腰をなぞる。それが、合図だった。


「んむぅっ……ふ、んっ、んんっ……」


 腰を引き寄せられて、噛みつくように、エルに唇を奪われる。舌もねじ込まれて、あっという間にわけがわからなくなる。


 角度を変え、深さを変え、舌を絡めるキスがくり返されるうちに、薔薇の香りがひときわ濃密なものへ変わる。


「んっ……は……おや、リオ。もう限界ですか?」


 吐息をもらして唇を離したエルは、わざとらしく問いかけてくる。この確信犯め。


(たべられてる、みたいだった……)


 呼吸をする暇もないほどの、キスの雨だった。


 最近気づいたけど、エルは体力おばけだ。比例して性欲も強い。そんなエルに襲われて、無事なわけがない。


「……うぅ、たてない……」

「ちょっと、やりすぎましたかねぇ」

「ちょっとじゃないです……エルのばかぁ」


 腰が砕けてしまったわたしは、泣きべそをかきながら、エルの胸にポカポカとパンチをする。


「夜どおし治療をしていたでしょう? こうでもしないと、あなたはまたお仕事を始めそうなので、強硬手段をとらせていただきました」

「むぅぅ……」

「ときには休息も必要ですよ。さぁ、お部屋にもどりましょうね、お姫さま? 僕がエスコートいたします」

「ぐぬぬ……はい」


 なんだろう、まんまと丸め込まれた感じ。


 要するにエルは、寝ずにヴァンさんたちの治療をしていたわたしを休ませるために、オーラまで持ち出してきたと。


 悔しいけど、エルの手を取って、おとなしくお姫さまだっこをされる。


 奇跡的に、回廊でだれとも遭遇しなかったことだけが、救いだ。


「……愛してる、なんて陳腐な言葉では、この想いはもう、言い表せないのかもしれませんね。ふれあうほど、あなたに惹かれてゆく」


 やっとひと息ついて、疲労感からまどろんでいたころ。


 わたしをベッドに連れて行ってくれたエルが、髪を梳きながら、なにかを言っていたような気がする。



「リオ。僕だけの女神……どうか僕に、ほほ笑んで」



 かすむ視界で、泣きそうに笑うエルを目にした。


 それが、最後におぼえていたことだ。

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