日中にも関わらず、モンスターにブルームの街が襲撃された日。
街で暴れていたモンスターたちが、突然あわてふためいたように逃げ出したらしい。
「モンスターの正体は、『
エルを通して冒険者ギルド、商団ギルドに情報が伝達されたあとは、早かった。
逃げまどう『デベディ』たちを、両ギルドが連携して一掃。初級の火魔法で一網打尽にできるほど、拍子抜けするような幕引きだったそうだ。
おそらく、コカトリスの『デベディ』が『デベディ』たちを牛耳っていて、リーダーを倒された群れが統率を失ったというのが、エルたちの見解だ。
『デベディ』の残党が一匹残らず討伐されたいま、ブルームの夜を脅かす存在はない。
あれから三日。わたしは呼び出しを受け、冒険者ギルドへ向かう。
そこで任務達成報酬として二百万ゴールドと、『ギルド認定
「ひぇぇ……二百万ゴールドって、これまで一年かけて稼いでた金額じゃん……それに、DランクからAランク……こんなエグい飛び級昇格って、ほんとにあるんだ」
ずしりと重いお財布と、ゴールドのカード型ライセンスをマジックバッグにしまいながら、ふるえが止まらない。
このブルームの街で、たったひとりの
それも解毒困難なコカトリスの毒におかされたひとを、複数人治療したこと。
さらにS級モンスターであるドラゴンと『契約』し、『デベディ』の討伐に貢献したことが評価されて、この異例措置らしい。
冒険者ギルドの応接間で高そうなソファーに座らされて、いかにもお偉いさんなダンディなおじさまが丁寧に説明してくれたけど、ビビって半分も聞いてなかったかもしれない。
「あるじさまが、いっぱいがんばってたからなのですよう! ユウヒはちゃあんと、見てましたです!」
ひょっこりとわたしの視界に映り込んで、まぶしい笑顔を炸裂させたのは、少年のすがたのユウヒだ。
『ギルド認定
めったにお目にかかれないドラゴンに興奮したスタッフに取り囲まれて質問攻めにあったり、血が騒いだ冒険者たちに勝負を挑まれたりで、てんやわんやの大騒ぎよ。
結局、中火のほうのかわいいユウヒ(人間)にちぢんでもらうことで、なんとか騒ぎから抜け出すことができた。
黒いレンガの建物から出てきたころには、空は一面オレンジ色。
どっと疲れているわたしとは正反対に、おててをつないだユウヒはうれしそうだ。
(この人懐っこい子が、みんなのために、手強いモンスターを倒したんだよなぁ)
わたしだけの功績じゃない。だとしたら、無邪気で無欲なこの子にわたしがしてあげられることは、めいっぱい甘やかしてあげることだろう。
「よーし、お給料もたくさんもらったことだし、ちょっとお買い物して帰ろう」
「はい、にもつもちですね。ユウヒ、ちからもちなので、できます!」
マジックバッグから大きめのバスケットを取り出してわたすと、ユウヒがはりきって受け取った。それをほほ笑ましく思いながら、大通りの向こうを指さす。
「あっちの果物屋さんに、『これいっぱいにリンゴください』っておねがいしておいで? ユウヒのだいすきなアップルパイ、とびきりおっきいのをララたちに作ってもらおう?」
「わぁあ……! はいです! すみません、リンゴさん、いっぱいくださ~い!」
エメラルドの瞳をきらきらと輝かせて、ぱたぱたと駆けていくユウヒのあとを、くすくすと笑いながら追いかける。
「はいよー……あら? もしかしてアンタ、噂の薬術師のお嬢ちゃんじゃないかい?」
そうしたら、果物屋のふくよかなおばさんが、ユウヒと、あとからやってきたわたしを見て、目を白黒させた。
「え、わたし、噂になってるんですか?」
「そりゃあねぇ! だってこのぼうや、ファイア・ドラゴンなんだろ? こんなに鮮やかな赤い髪の子はブルームにはいないから、すぐわかるよ。つまりアンタが、ドラゴンをつれた薬術師。まだ若いのにこの街を救った、救世主ってわけだ!」
「あはは……なんか、壮大な話になってますね」
言われてみれば、いろんなところから視線を感じる気が。
「あの子が、例の薬術師?」
「ドラゴンつかいなんだって!」
「酷い怪我や猛毒を、あっという間に治したらしいぞ」
「ほぉ、若いのにすごいのぉ」
どうしよう、こどもからお年寄りまで、道行くあらゆるひとの視線を感じる。前世も含め、こんなに大勢から注目された経験のないわたしは、冷や汗が止まらない。
「いやもう、たいしたことはしてないんで、勘弁してください、マジで……」
「なに言ってんだい! アンタのおかげでモンスターがいなくなって、アタシたちも元の生活にもどれたんだよ。その恩人に礼のひとつもできないなんて、ブルームの民の名が廃るってもんさね! ほれ、もってきな!」
「わわっ!」
ユウヒのもつバスケットに、ひょいひょいとリンゴを放り込んでいくおばさん。バスケットが真っ赤なリンゴで山盛りになると、今度は別のリンゴをわしづかんで、わたしに押しつけてきた。
まってこのリンゴ、皮がキンキラキンの黄金なんですけど!?
「『ブルーム・ゴールド』、ウチでつくってる最高品質のリンゴさ。かじりついたら、あふれる蜜と瑞々しい食感にヤミツキになる。これを食べてたらのども渇かない。お代はいいから、もっと持ってきな、ほらっ!」
「あわわ……こんなにたくさん、受け取れないです!」
「細かいことは気にすんじゃないの!」
あわてて遠慮するけど、ひょいひょいとわたしに黄金のリンゴを押しつけてくるおばさんの手は止まらない。
「ウチのリンゴを食べたら、ほかのものじゃ満足できなくなっちまうよ。そしたらまた、リンゴを買いにこの街に寄ってくれたらいいさ。サービスするからね。ブルームの民を助けてくれて、ありがとね!」
最後にパチンッとウインクで、とどめを刺された感じだ。
わたしの作った薬で、わたしの治癒魔法で、だれかを助けることができた。
……うれしい。
「はい……ありがとうございます。また来ます。かならず」
「ユウヒもうれしいです! ありがとうございます~!」
街のひとたちのあたたかいまなざしが、くすぐったい。
深々と頭をさげて、ユウヒといっしょに、夕焼けに染まるブルームの街を歩き出す。
「みなさん、おやさしいですね。……おいしいアップルパイを作ってもらって、ノアにいさまも、げんきになってくれたらいいんですけど」
旧ブルーム城へと帰る途中、ぽつりと、ユウヒがこぼした。
「うん……そうだね」
つとめて気丈に笑ってみせるけど、わたしの胸は、ぎゅっと締めつけられた。
* * *
「俺は大丈夫だから……ほかのみんなを治療して」
庭園で『デベディ』を倒した後。ノアはそう言って、わたしにヴァンさんやルウェリンを優先的に治療させた。
一夜明け、ふたりの治療を終えてからノアの部屋をたずねると、ベッドで横になって、ぴくりとも動かなくて。
ノアは、昏睡状態に陥っていた。
言うまでもなく、猛毒の影響だ。でもわたしが治療をするより早く、ノアは意識を取り戻した。
おどろくべきことに、ノア自身の力で、猛毒に打ち勝ったんだ。
(そういえば、ノア……お母さんが聖女だったって言ってた)
だとすると、ノアが血を苦手としていたことも説明がつく。
神聖力。穢れなき聖なる力がノアの体内にも宿っていて、猛毒に抵抗し、見事勝利したんだ。
なんとか動けるまで自力で回復したノアだけど、わたしは手放しでは喜べずにいた。
なぜなら、ノアの活気がないからだ。食事もほとんどとらないし、わたしが話しかけても、ボーッとしていることが多い。
猛毒の浄化に力を使い果たして、体力・気力ともに充分に回復できていないのかもしれない。
それを裏づけるように、ノアが寝込んだまま、なかなかベッドから起きてこないことが増えた。
そんなことが何日も続けば、心配なんて言葉じゃすまなくなる。
「ノア、ただいま」
旧ブルーム城に帰ってきた。もらってきたリンゴをユウヒに食堂へ運んでもらうことにして、わたしは一直線にノアの部屋へ向かう。
ノアはやっぱり、ベッドで横になっていた。カーテンを引いて薄暗いせいか、その顔が蒼白く見えてしまう。
口元に手を当て、かすかに呼吸しているのを確認して、ほっと安堵した。
「ねぇ、ノア。街でおいしいリンゴをもらってきたよ。アップルパイを作ってもらうから、食べない?」
「……う、ん……?」
やさしく肩を揺さぶると、ノアのまぶたが、億劫そうに持ち上がる。
うつらうつらとしていたサファイアの瞳が、わたしに焦点を結んで、細まった。
「ありがと……せっかくだけど、遠慮しとく。残しちゃうと、申し訳ないし……ユウヒにあげて」
しゃべることすら、すごくつらそうなのに……ノアは笑うんだ。わたしを心配させたくないから。
「なんでもいいの、おねがいだから、少しでも食べて?」
「おなかは、空いてるよ……すごく」
「それじゃあ……!」
「でも、食べたくないんだ。食べ物のにおいが、キツくて……」
それは、本能的な拒絶反応だった。
(拒食症? そんな……)
ノアは16歳だ。まだまだ育ち盛りなこの時期に栄養失調になってしまえば、身体機能に悪影響を及ぼしかねない。
「ノア、わたしにできることがあったら言って? なんでもするから……」
このままじゃ、ノアが衰弱してしまう。ひょっとしたら……
そんな恐ろしいことを考えてしまうじぶんが嫌になって、手をにぎり、涙ながらに懇願する。
ぼんやりとしたノアが、ゆっくりと、まばたきをした。
「…………が……たべ、たい」
「っ、なに!? なにが食べたいの!?」
「りお……リオが、たべたい……あまくて、いい香りがする……」
「いやいやいや」
上げて落とされた気分だった。
わたしの手を顔の近くまで引き寄せて、ほほをすり寄せているノアには悪いけど、わたしなんか食べても、栄養にはならな──
「…………うん?」
ここでリオさん、気づきます。
とっても大事なことが、頭からすっぽり抜けていたことに。
お忘れだろうか、リオさんよ。ノアは美男子だけど、ただの美男子じゃない。インキュバスだ。淫魔だ。
──インキュバスの主食は、人間の精気です。
──第二次性徴期がはじまり、人間の精気を食べることをおぼえたインキュバスは、肉体的に急成長するケースが多くみられます。
いつぞやかに読んだ論文の内容がフラッシュバックして、頭をかかえた。これはつまり、アレだ。
(わたし、栄養じゃん……!)
かぁあっと、顔が熱くなる。羞恥のあまり、頭を掻きむしりたい衝動すらある。でも。
(ノアは、魔力を使い果たすことも恐れないで、『デベディ』と闘った……わたしを、みんなを守ってくれた)
からだを張ってくれたノアのために、わたしはなにができるの?
(ノアが苦しんでいるすがたは、もう見たくない……)
そうだよね。最初から、悩む必要なんてなかった。
わたしがすべきことは、もう決まってたんだから。
ごくりと唾を飲み込み、腹を決める。
「ちょっとごめんね」
「うん……? どうしたの、リオ……」
寝返りを打ったノアのほうへ、一歩。
ぼんやりしていたノアが、次の瞬間、おどろいたようにサファイアの瞳を見ひらいた。
「んっ……!?」
仰向けのノアに覆いかぶさったわたしが、ノアに、キスをしたから。