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六反田少将(Warmonger):1

【上大崎 海軍大学校】


 ジープに押し込められた儀堂は上大崎にある海軍大学校内の施設へ連れて行かれた。中へ入ると深夜にも関わらず煌々と灯が点いている。そのままある一室まで通されたがドアの表札には何も書かれていなかった。


 入室と同時に儀堂は眉間にしわを寄せた。視覚的にも嗅覚的にも不快だった。まず室内は全般的に煙草の臭いがしみついており、そして長机や棚、あまつさえ椅子の上まで書類が塔のように積み上げられている。ざっと三十人は収容できそうな広さだった。もとは講義室として使われていたのだろうが、部屋の奥にかろうじて見える黒板以外に、その面影は残されていない。


六反田ろくたんだ閣下、連れて参りました」


 御調みつぎ少尉とともに、儀堂と鬼の少女は部屋の奥まで進んだ。


 書類の山を越えた先に執務机があり、この部屋の主が陣取っていた。オールバックの頭部で体型は決して健康的とは言い難く、腹部には長年の不摂生による負債脂肪を抱えている。浅黒いふくよかな顔立ちに縄文系特有の彫りの深い目縁まぶちは細く開かれ、どこか親しみの感じさせる表情だった。


「ずいぶんとまあ早かったじゃあないか。オレはもうダメかと思っていたがね」


 六反田道忠ろくたんだみちただは紫煙を吐き出しながら言った。灰皿には、うずたかく吸い殻が盛られている。


「ちょうどさっき井上さんに電話したところだ。なにかと今回ので記者ブンヤが騒ぎ立てるかもしらんからな。あの人のことだから上手く処理してくれるだろう」


 井上さんとは井上成美いのうえしげよし海軍大臣のことだった。六反田はにやりと笑った。ヤニで黄色く染まった歯がのぞく。


「それで、まあ、そっちのお嬢さんはえらくやんちゃな格好じゃないかあ。それにうん、なにか不機嫌そうだね」


 鬼の子は相変わらずぶすりとして何も答えようとしなかった。素っ裸でも儀堂の外套を羽織っているため、幾分かましな体裁になっている。だが、服に着られている感は否めなかった。


「御調君、その姫君に何か相応の服を見繕ってやってくれ。さすがに、そのままじゃあ、あんまりだろうて」


「はい、しかし……」


 御調は少女のほうを伺った。断固として言うことを聞く様子はない。少女は視線を逸らしたまま、嫌そうに口を開いた。


「この男をどうするつもりじゃ」


「ほう、日本語がお上手だ。なに、どうもせんよ。オレはこのお兄さんと話をするだけだ。そう、そいつは、きっと悪い話じゃ無いと思うがね」


「ほう……お主は嘘を言っていないな。だが、本当のことも言っていない。妾にはわかるぞ」


「うん、それは正解だ。すべからく物事は相対的なもんだ。まあ、わかったよ。これだけは保証しよう。このお兄さんはお嬢さんとすぐに会える。そうだな。少なくとも夜明け前までには解放しよう」


「よかろう。おい、その女官、案内あないせよ。ここは臭いうえに、不浄だ」


 御調は憮然としながらも「こっちよ」と言い、少女を先導した。部屋から出る間際に少女が振り向いた。


「おい、お主。名はなんだ?」


「………」


「おい、お兄さん、君のことだと思うがね。答えてやれよ」


「六反田少将、それは命令でしょうか?」


「どうだろうね? そういうことにさせたいのかね?」


 儀堂は大きく息を吐いた。


「儀堂、儀堂衛士ぎどうえいしだ」


「ふむ、勇ましくは無いが、やや雅さを感じる響きだ。覚えておこう」


「それはどうも……」


「………」


 角の生えた少女はなおも不服そうに突っ立っていた。


「まだ何かあるのかい?」


「名を尋ねよ」


「は?」


「妾の名を尋ねよ」


「なぜ?」


「……良いから尋ねよ!」


 儀堂はさらに大きく息を吐いた。誰の目から見ても、それはため息だった。 


「……君の名は?」


「ネシス。ネシス・メ・アヴィシンティアじゃ。覚えておくが良いぞ」


「わかった」


 ネシスは満足げに肯くと今度こそ部屋から出て行った。


「さて、儀堂大尉」


 振り向けば、六反田が山師の貫禄で待ち構えていた。


「話をしよう。長い話だよ」


 六反田は従兵を呼んだ。珈琲を淹れさせるためだった。



 六反田は机の一角から書類の束を引っ張り出した。


「こいつは君の考課表だ」


 そこには目の前の男の半生が綴られていた。


「用意がいいだろ。うちには気の回る副官がいてね。そいつに海軍省へひとっ走り行ってもらったのさ」


 得意げな六反田に対して、儀堂は頷いただけだった。指をなめ、おもむろに六反田はページをめくり始めた。


「儀堂大尉。お前さんの名前だけは聞いていたよ。護衛総隊にえらく潮気のきいたやつがいるってね。よもやこんな巡り合わせがあろうとは驚きだね」


 既に六反田は儀堂の経歴を一通り把握していた。ハワイ沖海戦の戦果により中尉に昇進後、東京湾決戦、インドシナ奪還作戦を経て大尉へ昇進。その後、護衛総隊へ転属願を出し、昨年より護衛任務に従事。特筆すべきは、彼が任官した船団の損耗率の低さと殺傷した魔獣の多さだった。


「ほう、直近では軽巡の砲術だったのか?」


「はい」


砲科士官鉄砲屋なら戦艦デカブツのほうがよかっただろうに。なんでまた|連合艦隊《GF》ではなく、護衛総隊EFへ行った?」


「GFは極めて限定的な条件下でしか積極的な行動をとれません。一方、EFは任務の性格上、会敵が日常茶飯事です。否が応でも積極的にならざるを得ない。まさに自分の望むところです」


 ようするに連合艦隊は怠け者で、護衛総隊は働き者だと断言していた。暴論だが一理あった。強力な戦闘艦を有するGFだが、その主目的は敵主力の撃滅だった。


 つまり大規模な迎撃作戦か、あるいは攻勢作戦でのみ活動することになる。そして近年では両者とも、ごく希な時期にしか発生し得なかった。戦局が膠着したためだ。魔獣との戦いに於いて、人類は開戦当初の劣勢を挽回するに至った。しかし、ただそれだけのことだった。


 負けていないが、勝ってもいない。そんな状況が2年近く続いている。


 GFと異なり、EFは船団護衛が主な任務となっている。『護衛任務』とは消極的に聞こえるかも知れないが、実態は全く異なっていた。5年前より、一部の海域は魔獣のバスタブと化していた。そして日本の通商路は、そのバスタブのど真ん中を突っ切っている。


 主なものを上げるならばアラビア海だ。中東の原油を手に入れるため、常時大量の油槽船が航行している。それらは必ず護衛艦艇を伴っていた。さもなければたちまち魔獣の餌食になってしまうからだ。


 EFは日本の生命線航路を守るために、魔獣との死闘を宿命づけられた組織になっていた。今では戦闘経験を積ませるためだけに、乗組員ごと艦艇がGFからEFへ貸し出されるケースすら出てきている。


「小官は一匹でも多く魔獣を殺戮したいのです」


「驚いたな。貴官は見た目よりも敢闘精神に溢れているようだ」


 わざとらしく目を見張る六反田に対して、儀堂は僅かに眉をひそめた。


「私も驚いています。軍が、あんな角の生えた化け物を積極的に保護していたとは」


「そうだな。人生は驚きに満ちているものだ」


 六反田が鷹揚にうなずいたとき、手元の電話が鳴った。


「失礼。おう、どうした? なに菓子を所望している? かまわん。たしかこの前買った福間屋のカステラが残っておるはずだ。あー……五月蠅うるさい。医者の言うことなぞ聞くものか。それで次はなんだ……ほう、そうか。そいつは好都合だ。なに心配するな。オレに考えがある」


 どうやら相手は御調少尉のようだった。ネシスに手を焼いているようだが、六反田の予想の範囲内だったらしい。愉快犯のように笑いながら指示を飛ばし、電話を切った。


「さて、話を戻そう。貴官の言う化け物、ネシスについてだ。君には感謝している。どういうわけか、昨夜から彼女の行方がわからなくなってな。困っておったのだが、手間もかからずに見つけ出せた」


「それは何よりです」


「それでだ。貴官に頼みがある。彼女の面倒を貴官が見てくれ」


 沈黙が訪れる。理解まで時間がかかった。


「私はあれを殺そうとしたのですが、よろしいのですか?」


「殺してもらっては困る。だが、君にその気はもうなかろう?」


「なぜわかるのですか?」


「わからんよ。だから君に尋ねているんじゃないか。え、お前さん、あれをまだ殺したいのか?」


 儀堂は少し考えたが、すぐに結論を出した。


「……わかりません」


 それが結論だった。あの鬼、ネシスへの殺意がくじかれていた。また再燃するかも知れないが、何とも言えなかった。


「第一、なぜ私なのですか? 軍の保護下にあるのならば、もっと適任がいるはずです」


 六反田はやれやれと行った具合に頭をかいた。肩に白い雪ふけが降った。どうやらしばらく風呂に入っていないらしい。


「お前さん気づかなかったのか? あのお嬢さんにずいぶんと懐かれているだろう?」


「さあ、どうなのでしょう。自覚はありませんが」


「君、よく朴念仁とか言われないか?」


「さあ、知ったことではありません」


「まあ、いいや。お前さんの自覚なんざどうでもいいんだ。さきほど御調君から連絡があった。あのネシスとか言う嬢ちゃんが、それを望んでいるらしいからな。あれに鉛玉ぶち込んだ貴官ならわかるだろう。あのはとんでもない化け物なんだよ。とてもではないが、常人ではあれの相手は務まらん」


「小官も常人と愚考しますが?」


「出会い頭に銃弾叩き込んだヤツの台詞とは思えんな」


「……」


「とにかくだ。はっきり言っちまうが、貴官にあの面倒を押しつけたい。ああ、心配するな。望み通り護衛任務魔獣殺しは続けさせてやる」


「自分が留守の間航海中はどうするのですか?」


「ああ、それの心配は無用だ」


「どういうことですか?」


「そのうちわかるさ。まあ、楽しみに待っておれ」


 六反田は満面の笑みで肯いた。不安しか湧かなかった。


「さて儀堂君。推測するに君は私に聞きたいことだらけだろう?」


「ええ、まずは――」


「ああ、何も言うな。おおよそわかっている。あの鬼、ネシスとかいう嬢ちゃんの正体。そして、彼女がなぜ保護されていたのか? そもそもオレ達はいったいどういう組織なのか? そんなところじゃないか?」


「……そんなところです」


「よろしい。全ては答えられんが、まあそこは我慢しろ。さて、まずは君がハワイで拾ったあのカプセルから話そう。そう、あの嬢ちゃんがしまってあった筒のことからだ……」



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