目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

六反田少将(Warmonger):3

【世田谷 儀堂家】


 翌朝、儀堂はいつもどおり6時に起床した。


 六反田と話をした後、御調少尉に送られて帰宅したのは0時頃だった。その後、やたらとこの世界について聞いてくるネシスを強制的に寝かしつかせたとき、時計の針は4時を回っていた。


 ほとんど仮眠と言って良いほどの間しかなかったが、支障は全く感じなかった。徹夜慣れしていたためだ。ひとたび護衛作戦が始まれば、三日間一睡もせずに艦橋へ詰めるなど、ざらにあることだった。横になれるだけありがたかった。


 顔を洗い、身支度をすませながら儀堂は悶々と考えていた。昨夜、あの少将六反田に押しつけられた面倒ネシスについてだった。恐らくまだ別室で寝ているはずだった。どうやら鬼にも睡眠の周期はあるらしい。


「どうしたものか?」


 率直に儀堂は困っていた。今日は海軍省へ出頭しなけらばならなかった。新たな配属先の辞令を受け取るためだ。遅れるわけにはいかなかった。


 聞けば次は駆逐艦の副長職らしい。なればこそ、なおのこと早く彼は海軍省へ出向きたかった。一刻も早く次の艦の兵の練度と士気を掌握し、艦長彼の上官を補佐できるよう万全に備えねばならない。護衛総隊の所属ともなれば、訓練期間の間も限られるだろう。短い間に艦の戦力を高め、魔獣を殺す用意をせねばならぬ。


「せめて留守の間、誰かがあれを見張ってくれればよいのだが」


 見当も付かなかった。不本意だが六反田の言うとおりだった。人外と屋根を共にするなど、常人に務まると思えなかった。幸いネシスに敵意はないようだが、あの額から突き出た角を見て平静を保てるヤツなどいないだろう。


「仕方ない。家から出るなと言い聞かせるか」


 儀堂がネシスの寝床へ向かおうとしたときだった。玄関の開く音がした。


「衛士さん! 朝ご飯持ってきたよ!」


 小春の声だった。


 儀堂は顔から血液が後退していくのを感じた。



「やあ、小春ちゃん。おはよう。ずいぶんと早いね」


 平静を装いつつ、儀堂は脳みそを全力稼働させていた。一刻も早く、この羅刹の家から出て行ってもらう必要がある。


「兄貴が早起きでさ。朝から五月蠅いうるさいのなんの。なんか知らないけど新型の飛行機に今日から乗るらしいわ」


 噂に聞く烈風のことだろうかと儀堂は思い、軍機を妹に開帳かいちょうする友人の神経を少しばかり案じた。


「ご飯まだでしょ? 簡単だけど、作ってきたわ」


 小春は大きめの盆を抱えていた。鍋らしきものの取っ手が見える。


「台所借りるね。味噌汁温め直すから」


「いや、それは……大丈夫だよ。それくらい自分で――」


「もう遠慮しないでいいったら。男子厨房に入らずっていうでしょ? 男が料理なんてご法度よ」


 愛らしい笑顔とともに、小春はこの世の全ての男女同権主義者フェミニストへ宣戦布告すると、儀堂家に強襲上陸アサルトランディングした。歴戦の防人儀堂の抵抗むなしく、台所へ進撃していく。


「ああ、いや、そうではなくこれから俺は出かけ――」


 急いで儀堂は後を追ったが、ほどなく追いつくこととなった。小春の進撃が突然止まったからだ。彼女は会敵した。


「うるさいのう……なんの騒ぎじゃ?」


 ネシスが起床してきていた。小春は5秒ほど沈黙した後に疑問を口にした。


「衛士さん……この人、なんで全裸なの?」


 銃後15の娘が発した声とは思えぬものだった。それは儀堂に生命の危険を感じさせるほど、静かな怒気を孕んだ声音だった。



 海軍軍人として、儀堂はあらゆる魔獣との戦闘に立ち会った。遭遇戦、対空戦、掃討戦、対水上戦、なかでも目に見えぬ水面下の魔獣相手に神経をすり減らすような対潜戦闘を幾度もくぐり抜けてきた。彼の過去3年間は自身とその他多くの兵員、船員を肩にかけた死戦の積み重ねだった。つまり儀堂にとり、非常ハプニングこそが日常であり、手慣れたはずのものだった。


 彼は努めて冷静な対処を試みた。


「小春ちゃん、驚かせてすまない。これにはわけがあるんだ」


「そうでしょうねえ! 無ければおかしいわ!」


「全く道理だ」


「ギドー、妾は腹が減った」


「少し黙れ」


「黙れ? 女の子相手にそんな乱暴なこと言うの?」


「ああ、いや、違うんだ。これとは昨日会ったばかりで――」


「これ!? これってこの子のこと……!?」


「おい、お主のそれ良い香りがする。食い物か?」


「これは衛士さんのよ! それより早く服を着なさい! なんで、あなた裸なの!?」


「妾はずっとこの格好だが?」


「なっ………!!!! 儀堂さん!!??」


 誠に心外なことに小春は儀堂へあからさまな非難の視線を向けてきた。


――なぜだ? どうしてこうなった?


 小春の興奮は収まる気配がなかった。ただいまにおいて、彼女は全方位に対して敵意を振りまいており、ネシスの存在がさらに輪をかけて混乱を招いていた。いや、そもそも発端はネシスなのだから、まずこれを何とかしなければならなかった。儀堂は各個撃破で対応することにした。


「ネシス、まず服を着ろ。昨日、あの少尉からもらったものがあるだろう」


 ネシスを呼び捨てにしたとき、小春の肩眉がぴくりと動いたが、深く考えないことにした。


「あのセーラーふくとかいうのはごわごわする。嫌いじゃ」


「着てくれ。頼む」


 儀堂は頭を下げた。ネシスは急に気をよくしたらしい。にやりと口角を上げた。


「ほう、頼むというのなら仕方が無いのう」


 ネシスは勝ち誇ったように部屋へ戻っていった。


 理解不能の敗北感を味わいつつ、儀堂は次の目標に向き直った。


「小春ちゃん……」


 小春は何も言わず台所へ向かった。そのまま無言で飯の支度を始めた背中に儀堂は話せる範囲でことの次第を、理性的に説明した。小春は「へえ」「そう」の二言で終始返事をすると、そのままそそくさと家に帰ってしまった。



「食わぬのか? せっかくあの侍女が用意したというのに」


「あの子は侍女じゃない」


 居間でネシスと儀堂は食卓を囲んでいた。ネシスは箸を使えなかったため、スプーンとフォークを手渡した。めざしを口に放り込むと「まあままだな」とネシスは言った。小春がここに居なくてよかったと心底思う。


 あと詫びを入れに行くべきだろうかと思った。何に対する詫びなのか全く不明だが、その方が良いと儀堂の本能が告げていた。


 儀堂は小さくため息をつくと、ネシスに向き直った。聞かなければならないことがある。


「お前、角はどうしたんだ?」


 ネシスの頭部から生えていた角が綺麗に無くなっていた。もし、あの角があれば小春もっと別の反応を示していただろう。


「角? ああ、あれなら隠した」


「隠せるものなのか?」


 長さにして、30センチはあろうかという角だ。隠しきれるものではないだろう。


「よもや着脱可能というわけではあるまい」


 ネシスは眼を丸くすると、笑い転げた。


「そんなわけがなかろう。要はお主らの眼に映らなければよいのであろう? ならば、そのように計らうまでだ」


 ネシスは指先をこめかみに当てると何かを呟いた。すると、先ほどまで見えなかった角がたちまち現れた。そのあまりの奇天烈きてれつさに、儀堂は呆気にとられてしまった。


「どういう仕組みだ? なにかの妖術か?」


 魔獣の類いならば、怪しげな術を使役できてもおかしくはないだろう。


「妖術とはいささか品位に欠ける言いぐさに聞こえるのう。まあよい。そのようなものだと心得るがいい」


 儀堂は改めて目前の少女が人外であることを思い返した。考えてもみれば、あの魔獣の群れを繰り出すような輩だ。今さら驚くほどのことではない。


「お前、いったい何者だ? なぜあんなことをした?」


 あんなこと・・・・・の詳細を語るつもりはなかった。


 味噌汁をすくうネシスの手が止まった。


「わからぬ……」


 苦しげとも悲しげともとれる表情だった。


「妾が自分が何をしたのかはわかる。それははっきりと覚えておる。しかし、妾が何者で、なぜあれをしなければならなかったのか。全くわからぬのじゃ」


「ずいぶんと都合の良い記憶喪失だな」


「信じぬのも無理はない。ならば妾を拷問にかけてみるか?」


 ネシスは挑戦的な笑みを浮かべた。


「俺を見くびるな。無駄なことはしない。銃弾たまを食らいながら、平然としているものを痛めつけて、何かを得られるとは到底思えん」


「そうか……ならば良い」


「食い終わったら、食器は台所へ運んでおいてくれ」


 儀堂は立ち上がった。


「どうしたのだ?」


「外へ出る。お前はここにいろ。俺には用事があるのだ」


 そろそろ家を出なければ、海軍省が示した出頭時刻より遅れてしまう。役所、とりわけ軍隊は期限を神聖視している。 


「昼までには戻るつもりだが、勝手に外へ出るなよ」


「妾もついていってやろう」


「だめだ」


「遠慮するな」


「拒否する」


「嫌でも付いていく」


「迷惑だ。大人しくしていろ」


「迷惑にならぬ。むしろ妾はお主の役に立つぞ」


「余計なお世話だ。いいか、子どもが来て良いところではないんだ」


 ネシスは眉間にしわ寄せた。


「無礼者。妾を童と見るか。お主よりも長く生きておる」


「記憶は無いのに年齢は覚えているのか? いくつなんだ? 言ってみろ」


「……断る。女子おなごに歳を聞くとは無粋にもほどがあろう」


「埒が明かんな。とにかくここにいるんだ」


「わかった。勝手についていく」


「そうか、わかった。やはり首と胴を離しておくべきだったな」


 儀堂は軍刀へ手をかけた。


「ほう、よかろう。ただし妾とて今度はただでは済まさぬぞ」


 ネシスの眼が一際赤く輝いた。


 沈黙が居間が包んだときだった。玄関のベルが鳴った。


 今日はやけに来客が多い。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?