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彷徨える海(Flying object)

【日本近海】


昭和二十1945年1月10日


 早朝


 日本近海は、あいにく曇り空に覆われていた。気温の影響で何かと滅入りがちな気分にさせられる季節だが、灰色の空が一層拍車をかけることになりそうだ。


――この空では哨戒機は出せんだろうな


 曇天の空を見上げながら、倉田少佐は思った。彼は海防艦<粟国あぐに>の艦長を務めていた。年の割には締まった体格をしている。愛妻家の彼は外見的にも内面的にも良き夫であろうとする人物だった。


 海防艦<粟国>が僚艦<室津むろつ>と共に横須賀を出たのは、哨戒任務のためだった。両艦ともに排水量1000トンほどで、鵜来うくる型をベースに船体を改装した艦だった。


 武装は十二センチ高角砲の連装砲を船体の前後に1門ずつ備え、25ミリ連装機銃を8基、爆雷投下軌条2基、爆雷投射機を8基、その他に特筆すべき点として英国より技術提供を受け開発された4式散布爆雷を装備していた。


 爆雷という兵器は本来水面下を航行する潜水艦を攻撃するために開発された兵器だった。それまでの爆雷は爆発深度をあらかじ調定セットして投下する方式で、調定深度に到達した時点で信管が作動、爆発し、水中衝撃波をもって敵の潜水艦へ損害与えるものだった。


 敵の存在の有無にかかわらず爆発してしまうため、戦果確認が難しい兵器だ。相手が水面下の潜水艦である以上、目視照準で爆雷を投下できるわけがない。よって敵がいそうな水面下・・・・・・・・へばらまくのが主な運用法になっていた。これでは必然的に無駄撃ちが多くならざるをえず、搭載量に限りのある艦にとって無視できぬ弱点デメリットとなった。


 これに対し散布爆雷は従来の爆雷と異なり、敵潜水艦との接触によって信管が作動、爆発する。すなわち命中した場合にのみ爆発が生じ、不発に終わったスカった場合は何も起こらずに終わる。戦果確認が容易だった。それだけではない。散布爆雷が重要なのは、前方へ・・・爆雷を投射できることだった。


 それまでの爆雷は後方もしくは横方向へにしか投射できなかった。従来の爆雷は炸薬量が多いうえ、自動で勝手に爆発してしまう。水中衝撃波は全方位へ拡散するため、前方へ投下した場合、今度は自身が爆発の被害を受けかねない。


 四式散布爆雷の場合、小型で薬量15キロほどだ。その小型爆雷を最大で180メートル先に投射できた。一度の投射量は24個にもなり、散布範囲は大よそ半径30メートルほど。15キロの爆雷ならば、仮に自艦の直下で爆発したとしても、衝撃は些細なものだった。


 一方水中の潜水艦にとって直に15キロの爆弾を食らうことになり、衝撃によって増幅された水圧で甚大な被害をうけることになる。日本海軍は、この小型な割に攻撃的な兵器をいたく気に入ったらしく、補助艦艇の大半に搭載していた。


 <粟国>の場合、前部甲板の第一砲塔と艦橋の間に設置されている。もっとも<粟国>がこれまで散布爆雷を潜水艦に対して使用したことは一度も無かった。これまで<粟国彼女>が経験した戦闘の大半で標的となったのは水中航行型の魔獣だった。主なものは頭足類型のクラァケンに、蛇竜型のサーペントだ。いずれも大きさは30~50メートルほどで中型に分類される魔獣だった。


 クラァケンは1941年の真珠湾奇襲で初めて観測された魔獣で端的に形状を表現するならばデカいタコだった。サーペントは、その後に世界中の海で観測されるようになった魔獣でウミヘビに似た形状の魔獣だった。


 二体とも世界各地の海で暴れ回り、民間の船に多大な被害出ていた。特に遠洋漁船や小型貨物船の被害が多く、酷いときはひと月で5万トン近く沈められたことすらあった。日本海軍は護送船団方式に加え、航空機と海防艦による定期哨戒及び駆逐戦隊の徹底した掃討作戦で対応した。


 その甲斐あって、日本近海では昨年より魔獣の被害も落ち着きつつあった。哨戒時のおける会敵も滅多に起こらなくなりつつある。


 今日はその滅多に無い機会が訪れようとしていた。先ほど<粟国>の水測室から連絡があった。不審な推進音を観測したらしい。


 倉田は副長に尋ねた。


「タイプはなんだ?」


「音紋から判断するに、サーペントかと」


「方位は?」


「真方位178、本艦より右20度方向です」


「近いのか?」


「それは……確認しておりません」


 若い副長は顔を曇らせた。彼は自分の不備を恥じた。本来ならば答えられてしかるべき問いだった。倉田は咎めずに続けた。


「水測室へつなげ」


 電話口に出たのは古参ベテランの下士官で、腕は確かだった。もともとは連合艦隊の駆逐艦に勤めていたほどだった。GF時代に酒宴の席で上官と取っ組み合いさえ行わなければ、階級がもう二つ上になっていたかもしれない。


「おおよそでかまわない。君の判断を聞かせてくれ」


『だいぶ近い感じですのう』


 広島なまりの言葉だった。


『全力で突っ走りゃあ、叩けるかもしれんです』


「わかった。群れか?」


 ごく希にだが、群れをなしていることもあった。頭数によっては横須賀の司令部へ増援を要請する必要がある。


『いんや、これは単独はぐれもんですな』


「よろしい。そのまま聴測を続けろ。何かあったら艦橋へすぐ上げてくれ」


 倉田は決断した。機関全速で面舵を取るよう指示し、僚艦の<室津>にも命令を下した。<室津>の艦長より、倉田の方が先任のため隊の臨時司令となっていた。


「一応聞くが、対空電探に反応は無いな?」


「ありません」


 倉田はBMブラックムーンの出現を警戒していた。BMは神出鬼没で、なんの前触れも成しに空中へ忽然と現れてくる。もし新たなBMが日本近海に現れているのならば、ただちに横須賀に連絡し、大型艦で対処してもらう必要がある。海防艦の豆鉄砲ごときで、あの黒い月を墜とすことは不可能だ。少なくとも重巡以上の艦でなければ対処できない。


「ハワイ沖から来たのでしょうか?」


「恐らくな」


 4年前にハワイに出現したBMは2つあった。うち一つはハワイ沖海戦で撃破していたが、もう一つはオアフ島上空で健在だった。


 合衆国はハワイのBMと魔獣に対して初動で圧倒的な敗北を喫し、出現からひと月後にハワイ放棄を決断した。この世の地獄ともいえる壮絶な撤退作戦を経て、ハワイの住民ともに駐留していた合衆国軍は本土へ退避を完了させた。


 以来、ハワイのBMは成長し続け、今ではオアフ島全域を覆い尽くすほどにまで成長しているらしい。そして今もなおBMは定期的に魔獣を生み出し、太平洋全域を脅かしていた。


BMやつらの目的はなんでしょうか?」


「わからんが、なんにしろ我々のやることは変わらんよ」


 害獣駆除、ただその一言に尽きた。超常の生物とはいえ、魔獣も殺せぬ相手ではないのだ。


 推進音探知から一時間後、<粟国>と<室津>は潜伏予想海域へ到達した。



 <粟国あぐに>はサーペントと向き合うかたちで接触した。水中探信儀から駆除対象との距離を割り出す。サーペントは毎時15ノットで向かってきている。大変に戦意旺盛で願っても無い。魔獣の習性か不明だが、総じてやつらは好戦的だった。


「対獣戦闘用意!」


 決心し、倉田は総員へ告げる。


 <粟国>後方1500メートルには<室津>が続いていた。二段構えでサーペントを叩く作戦だった。<粟国>が討ちもらした場合、続いて<室津>が対処する手はずだ。


 <粟国>は最大速度の20ノットでサーペントを目指した。敵との距離が1500を切ったときだった。水測室から殺気だった報告がもたらされる。


「水測室より、注水音確認!


 轟雷ごうらい装填の可能性大!」


「取り舵用意!」


「敵獣、轟雷発射!


 真っ直ぐ本艦へ向かってきます」


 <粟国>の見張り員からすぐに報告が入ってくる。細長い塊が航跡を描きながら、真っ直ぐ<粟国>の艦首へ向かってきていた。


 轟雷はサーペントが所持している攻撃手段のひとつだった。


 平たく言えば、有機化合物で作られた魚雷だ。サーペントは喉にバラストタンクのような袋を持っており、大量の海水を含むとそれを酸素へ変換して圧縮できる。その圧縮した空気と体内で生成した結石、そして体液を混合して発射してくるのだ。


 発射後、体液は水と反応して凝固して紡錘状の塊になる。そして内包した酸素を推進剤として目標へ向かって突進する。


 あるいは巨大な銛と言うべきなのかもしれない。大きさはまばらで3~4メートルほどで、漁船ならば粉みじんにしてしまうほどの威力を持っていた。鋼鉄製の海防艦でも、これまでの戦闘で少なからず犠牲を払っている。直撃を食らえばただでは済まず、船底に穴を開けられた例もあった。


倉田は内線電話をとった。


「水測室、敵獣の進路は?」


『変針しおったです。本艦左30度へ向けて航行中』


「了解した。取り舵一杯、ヤツを逃すな」


 操舵手が舵輪を回し、<粟国>の小さな船体が波にもまれつつ、傾斜する。兵達は近くの手すりや防弾帯につかまり耐えた。数秒後、<粟国>の脇を轟雷白い塊がすり抜けていく。<粟国>の操舵手は当て舵で回頭を終わらせると同時に、傾斜を復元させた。


 再びサーペントへ<粟国>の艦首が向けられる。<室津>も合わせて取り舵を切る。敵との距離はさらに縮まっていた。お互い変針したため、結果的にサーペントは<粟国>へ横面をさらすことになった。


「艦橋より水測、奴の位置は?」


『方位を右5……いんや6になった。距離170!』


 倉田は電話を掴んだまま命じた。


「目標照準! 散布爆雷、投射!」


 <粟国>の艦首、第一砲塔の背後から24個の爆雷が吐き出された。それらは敵獣の潜伏予想海域へ降り立ち、海底を目指して直進していく。少しして<室津>も同様に散布爆雷を投射し、運命の瞬間を待ち望んだ。


 やがて諦めかけたとき、海中より数本の水柱がたった。しばらくして巨大な肉片が浮き上がってきた。千切れたサーペントの頭部だ。浮き袋に貯まった空気が主の頭部を海面へ誘ってきたらしい。大きさは7、8メートルはありそうだった。


「デカいな……」


 倉田は思った。こんなヤツの轟雷を食らったら、海防艦でも無事では済まなかっただろう。


「よし、帰投しよう」


 倉田が<室津>へ帰投命令を下そうとしたときだった。電探室から感ありの報告が入った。


 一三号対空電探が所属不明機アンノウンの反応を示していた。機数は一機だが、倉田は味方の確率は低いと考えていた。こんな曇り空の中を飛べる航空機は限られているうえに、それらの任務は限定されている。


 倉田は上空の物体に無線で呼びかけさせたが、反応はなかった。戦闘配置を継続させる。


「対空警戒、厳にせよ。それから横須賀へ打電だ」


 実のところ、飛行型魔獣との遭遇率はかなり低い。BMの周辺以外ならば滅多に遭遇することはなかった。はっきりと検証されたわけではないが、飛行型魔獣は海を越えて極東の島へ渡ってこれるほどの航続力スタミナを持たないと考えられていた。


 巨大な魔獣は、その巨大さ故に大量のエネルギーを消費する。水中航行型ならばエネルギー消費を抑えつつ、潮流に乗って外洋まで出てこれるだろうが、飛行型の魔獣にはいささか困難な話だった。


 魔獣でなければ、前触れも無く現れる飛行物体など倉田の知る限り一つしかいない。


――BMか。


 かろうじて恐怖を表情に出すのを抑えつつ、倉田は冷や汗が伝っていくのを感じた。艦橋内が無言に包まれる。


 電探の反応は刻々と強くなり、そろそろ姿が見えようとしたときだった。


 空中からはじけるような爆発音が響いてきた。雷かと思ったが、すぐにその予想は否定された。


 <粟国>の背後で、閃光に続き火柱が上がった。


「<室津>が爆沈……!」


 見張り員の報告を受け、倉田は急いで艦橋の対空指揮所へ上った。


 真っ二つに折れた船体が目に入り、立て続けに疑問が湧きあがった。


 いったい、いつ攻撃を受けたのだ?


 あの空中の爆発音と関係があるのか?


 いや、その前に何者なのだ?


 それらの疑問は数秒後に解消されたが、横須賀へ報告されることはなかった。


 答えを知るもの全てが<粟国>と共に海中へ没したためだった。



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