【世田谷】
儀堂家を訪れた新たな訪問者は
「迎えに参りました」
「迎え？ なんのことだ？」
「
「横須賀に？ いや、それは困る。今日は海軍省へ用事がある」
「ご安心ください。海軍省へは話を通してあるそうです」
御調少尉は誰もがため息をつくような笑みを浮かべた。改めてみると、なかなかの器量だと気がつく。日本人離れした切れ長の瞳、その右側の目元には泣きぼくろがある。
「そうなのかい？ いったいどういう要件で横須賀に？」
「あいにく、ここでは申し上げられないのです」
「なるほど、わかった」
軍機に関わることなのだろう。無駄な追求はしないことにした。
「しかし横須賀は遠いな。なるべく家を空けたくないのだが」
横須賀まで車を使ったとしても３時間はかかるだろう。行き帰りだけで、半日は消費される。
「なぜですか？」
「君の上官が押しつけた面倒が問題なんだよ」
ちょうど朝ご飯を食べ終わったらしい。その問題が居間から出てきた。
「誰じゃ？ なんだ昨日の女官か？」
「女官ではありません。私は特務士官です。なるほど、先に言っておくべきでした。彼女のことならば心配無用です」
「どういうことだい？」
「お二人とも横須賀へお連れするよう、仰せつかっておりますので」
三十分後、身支度を済ませた儀堂とネシスは外に出た。家の門をくぐると昨日と打って変わり、ジープでは無く高官用の黒塗りのセダンが停まっている。
「さあ、行きましょう。時間がありません」
御調は二人が乗り込んだのを確認すると、運転手にだすよう命じた。
【横須賀】
儀堂とネシス、それに御調少尉を乗せた車が横須賀についたのは昼前となった。
車は
「おい、ちょっと待ってくれ。ＥＦを通り過ぎたぞ」
「我々が向っているのはＥＦではありません」
代わりに御調少尉が答える。彼女はバックミラー越しに、あの切れ長の眼を向けていた。
「では、どこだ？」
「ほどなく着きます。おそらく大尉は何度か訪れたことがあるのではないでしょうか」
御調少尉の言う通りだった。車は数分も経たずして、目的地へ着いた。横須賀の一角にある施設群だった。なるほど、確かに儀堂は何度か足を運んだことがある。
「ずいぶんと騒がしいうえに、ものものしいのう」
ネシスが目を丸くした。なにやらワクワクしている。
金属音があちこちではじけ飛んでいた。電動カッターに、ドリル、そして大型ハンマーを手にした工員たちが、鉄板を介して
空を見上げれば、ガントリークレーンの超大型フックがレールに導かれて、行き交っている。太古の草食恐竜を思わせる勇壮にして躍動感にあふれた重機の楽園だった。童子の大半が心をくすぐらせ、胸を踊らせる情景だ。
横須賀、海軍工廠。
その後、戊辰戦争の前に造船所として施設拡張を企図するも、大政奉還と共に空中分解するところだった。しかし明治政府によって、横須賀製鉄所は造船所として息を吹き返す。当時参与であった薩摩藩士、小松帯刀の卓見によるものだ。
小松は島嶼国家の日本が近代に於いて歩むであろう道筋を見抜いていた。小松がオリエンタル・バンクの融資をとりつけ、最終的に横須賀造船所として１８７１年に完成された。その後、海軍省直下の施設となり、現在に至っている。
横須賀海軍工廠には国内随一の
◇
「どうぞこちらです」
御調少尉に導かれ、海軍工廠内を進んでいく。いくつかの施設内を経由する途中で、見慣れぬ工機を目にする。合衆国よりライセンス導入された
内部に近接信管が仕込まれた四式弾だ。電波発振機とアンテナが組み込まれており、発射と同時に装置が作動する。砲弾は電磁波を発信しながら目標へ向かい、目標近くで反射された波を拾うことで信管が作動、爆裂する。
従来の高角砲弾と異なり、時限式で信管が作動するのではなく目標の検知がトリガーになっているため、より効果的に敵を撃破できる仕様だった。
「これはなんじゃ？」
「触るな」
前を歩くネシスが砲弾を手に取ろうとしていた。玩具でも目にしたように、らんらんと瞳を輝かしている。
「ケガをするぞ」
「妾の身を案じてくれるのか？」
振り向きざまにネシスは片方の口角を上げた。
「巻き添えを食らいたくないだけだ。それに貴様のせいで、工場に迷惑がかかる」
儀堂は表情を固定して答えた。
工廠では、戦車から空母まで陸海空あらゆる兵器が製造されていた。
御調少尉はさらに奥へ進んでいく。
英米が魔獣との戦いで損耗したため、
「お主の船はここにはないのか？」
「何の話だ？」
「妾を黒い月より堕とした、あの
「＜比叡＞のことか？ あれはここにはいない」
戦艦＜比叡＞は中部太平洋、トラック泊地へいるはずだった。そこで新編された第三航空艦隊とともにＢＭ出現に備えている。
「それからあれは私の艦ではない」
「そうなのか？ それにしては手足のように扱い、妾を翻弄してくれたではないか？」
不満そうに小首をかしげる鬼子へ儀堂は聞き返した。
「気になっていたのだが、お前はなぜ＜比叡＞に俺が乗っていたと知っているのだ？」
六反田に聞く限り、３年前のハワイ沖開戦以降、ネシスは昏睡状態だったはずだ。儀堂がハワイ沖で＜比叡＞の指揮を執っていたなど、知る由はないはずだ。
「知っているも何も、妾は見ておったからな」
「何をだ？」
「妾を堕とそうと足掻く、お主の顔を月より眺めておった」
「またぞろ妖術の類いか？」
「その品を欠く言い方は止めよ。せめて魔導と言うが良い。まあ、よい。とにかく、そこで確信したのじゃ」
「何をだ？」
「こやつならば妾をあの月より解いてくれるとな。お主のように地獄の戦禍の中で悦にひたるようなものならば、きっとこの殻を割ってくれようとな。実際にそうなったわけじゃが、よもや４年も眠るとは思いもせなんだ」
「オレは悦に浸ってなどいないが……」
そんな余裕はなかったはずだ。ただ生き残ることだけを考えていた。そのはずだ。振り向いたネシスは表情を消しさっていた。
「妾をたばかるな。お主は確かに嗤ったぞ。妾に
◇
しばらくして儀堂達は工廠内の最奥へ辿り着いた。機密性が高い区画であることは一目で明らかだった。護衛の兵士が周囲に配置され、至る所に監視所が設けられている。恐らく見えないところにも見張りが配置されているのだろう。
施設前の検問で御調少尉が通行許可証を取り出す。兵士は機械的に内容を精査すると、無言で門扉を開けた。
御調に続き、儀堂とネシスが入る。そこは船渠のひとつで新型とおぼしき艦が艤装中だった。
――秋月型か？
砲塔の形状を見る限り、秋月型駆逐艦に似ていた。しかし駆逐艦と称するにはあまりに難があるようだった。船体が縦にも横にも大きすぎる。少なく見積もっても排水量は４０００トンは優に超えそうだ。軽巡に分類されても不思議はない。
「御調少尉、この
「新造の
御調少尉は懐から封筒を取り出すと、儀堂に手渡した。その封筒は少しばかり熱と湿り気を帯びていた。
「儀堂大尉、僭越ながら
儀堂は呆気にとられながら、封筒の中身を取り出した。確かに海軍省より交付された辞令が入っている。
あれやこれと官僚的な文言が立ち並び、最後に本日付けで駆逐艦＜
「どういうことかな？」
困惑する儀堂に対し、物珍しそうに御調は少し目を見張った。
「そちらに記載されているとおりです。あなたがこの艦を任せれたのです」
「待て、私は大尉だ。本来なら佐官以上が艦長職に就くはずだろう？」
「そうなのですか？」
とぼけた声で御調は聞き返した。儀堂は頭の芯が痛くなるのを感じた。この少尉、どこまでが本意なのだ。
「いいかい。ＧＦであれば中佐、ＥＦでも少佐以上が艦長職の任にあたるものなんだ」
諭すように儀堂は言う。
「しかし人手不足でもありますから」
苦笑しつつ、御調は応じた。
「理由にしては浅薄すぎるな。どこぞの丁稚奉公とは訳が違うのだぞ」
「あなたはその
「そうじゃろうな。何せ妾を躊躇無く殺しにかかった胆力の持ち主じゃ」
ネシスは腕を組むと、したり顔でうなずいた。ややいらつきを儀堂は覚えた。
「何をお主は途方に暮れておるのだ？ 子細はわからぬが、お主の
「もらいものではない。血税によって造られたものだ」
「難しいことはわからぬ。お主は固く考えすぎじゃ。乗りたいのか？ 乗りたくないのか？」
儀堂は少しだけ考え、＜宵月＞の艦首へ目を向けた。
心の奥から抑えきれない衝動が湧いてくる。やがてそれは口から漏れ出た。答えは決まっている。
「乗りたい。ああ、そうだ。俺はこれに乗りたいと思っている」
艦長、それも
「儀堂大尉」
御調は恐る恐る話しかけた。
当の本人は魅入られたように＜宵月＞へ釘付けになっていた。
「ああ、なにかな」
男の顔が正面を向く。口元は柔和な笑みを浮かべ、目元が緩み、線のように細くなっている。その先の瞳は黒くあらゆる光を飲み込んでいた。父親似の笑みだった。殺戮兵器の長となった男の顔だった。
御調は首元を捕まれたような息苦しさを感じた。ネシスは頬を紅潮させ、満足げに首肯した。
「＜宵月＞へ行きましょう。艦橋まで案内します」
「ああ、頼むよ。行こう」
つい先ほどまで困惑に包まれていた海軍士官は、今や全ての迷いを振り払い、我先にとタラップを上った。
◇
艦橋の司令室には一人の男が控えていた。
「お待ちしておりました。副長の
興津は海軍式の敬礼で迎え入れた。儀堂よりも２～３は年下に見える、階級は中尉だった。縦方向に角ばった顔で、目じりが少し垂れ下がり、少し神経質な印象を思わせる風体だった。
「儀堂だ。中尉、こちらは特務士官の御調少尉に……ネシスだ。部外者を上げてすまない。今日限りなので許して欲しい」
「どうぞお気になさらず、自分は一向に構いません」
興津はまんざらでもないという風に肯いた。外見に反して、親しみを覚えさせる所作だった。単調な人間ではなさそうだ。
「そうか。早速だが、この艦について聞かせて欲しい。実のところ、つい先ほど辞令を受け取ったばかりなんだ。君の掌握している範囲で＜宵月＞の能力を聞きたい」
「承知しました」
興津は司令室の一角に飾られている見取り図の近くへ移動した。事前に儀堂の問いかけを想定していたらしく、如才なく状況報告を進めていく。その結果、＜宵月＞は艤装がほぼ完成しており、乗員の大半が既に乗り込んでいることがわかった。
「これはなんだ？」
甲板中央に見慣れない装備が記されている。一見すると魚雷発射管に見えるが、形状がやや異なっている。通常の魚雷発射管に比べて大きすぎる上に、筒が二本しかない。まるで巨大な天体望遠鏡のようだった。
「それは新装備の
五式試製連装噴進砲は大型魔獣を撃滅するために開発された新装備だった。５００キロの炸薬を詰め込まれた大型
儀堂は興津の説明に満足しつつ、さらなる疑問を口にした。
「進水前に艤装した理由はなにかな？」
通常、船は船体が完成した後に進水、その後へ艤装という手順をとる。艤装とは船の内装、外装あらゆる設備を取り付ける工程を指している。
「はい、それは込み入った事情がありまして……」
それまで流暢だった興津の口の滑りが急に悪くなった。
「何か不都合があるのか？」
興津は助けを求めるように御調へ顔を向けると、後を継いだ。
「本艦は秘匿性の高さ故です。
一応、納得のいく説明だった。
「なるほど道理だね。御調少尉、一応聞いておきたいのだが、その
「それは……」
御調がためらいがちに何かを言おうとしたときだった。突如、
空襲警報だった。
続いて、緊急放送が横須賀海軍工廠全体へ行われた。
『緊急警報。横須賀軍港ハ魔獣ノ空襲ヲ受ケツツアリ。コレハ演習ニアラズ。繰リ返ス、コレハ演習ニアラズ』
