【横須賀
谷澤中佐が横須賀に着いたのは、儀堂とさほど変わらぬ時刻だった。彼は儀堂が本来向うはずだった海上護衛総司令部へ車で乗り付けた。受付で身分証を提示し、そのまま真っ直ぐ
――だから言わんこっちゃ無い
谷澤は内心で毒づいた。昨夜
要約すれば「お前のものを俺に寄越せ」だった。
<宵月>は月読機関の技術提供と引き替えに、GF隷下の
それを問答無用で
今より数時間前に谷澤は
山口は
「六反田の奴はどこだ?」
額に幾筋もの脈を浮かばせながら、山口は谷澤に問うた。谷澤は直立不動で「海大におります」と発した。
「わかった。おい、車を出せ! すぐに海大へ向かう!」
山口は谷澤には目もくれず、長官室を速歩で出て行った。その後、海軍大学校でひと騒動あったのだが、谷澤の知るところではなかった。仮に知ったところで、彼はなんら驚くことなかっただろう。そうなることはわかりきっていたのだから。
今、谷澤はもう一つの通知書を手にしていた。そこにはある海軍大尉の処遇について書かれている。本日をもって、その大尉は護衛総隊から月読機関へ転属となる。
◇
「主旨はわかった」
通知書に目を通すと、伊藤EF長官は静かに執務机に置いた。山口と対称的な反応だったが胸に抱いている感情は全く同一のようだった。怒りの表出は、その人物の在り方を示している。伊藤の場合、深いため息に変換された。
「六反田君は相変わらずのようだな」
「はい、それはもう……」
谷澤は反応に困った。彼の上官はその昔、伊藤配下の部隊にいたらしい。そのときの
「困りましたね……」
深刻な顔で伊藤の傍らに立っていたのは、大井大佐だった。彼はEFの事務方のトップだった。彼にとり、六反田の横紙破りな引き抜きは、はた迷惑以上の天災に近いものだった。
「YS87船団は来週中には編成が終わります。儀堂大尉の後任となると……」
「その件ですが――」
谷澤は控えめに割って入った。大井が額に皺を寄せる。
「その件ですが、六反田少将よりEFの任務を優先させてかまわないと伺っています」
伊藤は少し目を細めた。
「どういうことだね?」
「それは――」
谷澤が続けようとしたとき、伊藤のデスクの電話が鳴った。伊藤は丁寧に「失礼」と言い、受話器をとった。みるみる顔色が変わっていく。何事か、またぞろ自分の上官が何かしでかしたのかと思ったが、それは誤りだとすぐにわかった。
伊藤は電話口の相手に空襲警報を鳴らすように命じた。
「どうしたのですか?」
「千代ヶ崎の
「承知しました」
谷澤は模範的な敬礼を示した。その場にいる者全ての思考は臨戦態勢へ切り替わっていた。
伊藤は今朝、海防艦2隻から定時報告が途絶えたと聞かされていた。彼の知る限り、両艦の艦長はともに、任務の本質を理解していた。よほど不測の事態が起こらぬ限り、報告を疎かにするなどありえなかった。
ようやく彼はその背景にあるものを悟った。同時に義務感を覚える。事と次第によっては、仇をとらねばなるまい。
「大井君、出せる艦を全て出撃させろ。それから付近の航空隊とGFに応援要請をだしてくれ」
◇
谷澤はひとまず長官室を後にした。窓から横須賀の海を臨む。空襲警報に急き立てられ、水兵たちが岸壁を行きかっていた。
すぐに妙なことに気がつく。
――予報では今日は快晴だったはずだが?
いつのまにか東京湾が分厚い雲に包まれている。まるで覆いを被せたかのように暗雲が立ちこめていた。ひと雨来そうな勢いだ。そう思ったときだった。
はるか上空で閃光が生じ、雷のような破裂音が断続的に聞こえた。やけに規則正しい稲妻の音に違和感を覚える。それはまるで……。
――砲声のようだ。
直後、爆発音が連続して響き渡り、廊下の窓を揺らした。
谷澤は音源へ目を向けた。横須賀の街から数本の筋が上がり、根元が炎上していた。
それらは横須賀空襲の狼煙だった。
「莫迦な……」
どこからの砲撃かと、海上を睨む。どこにも船影はなかった。ふと先ほどの会話が思い出された。あのとき伊藤長官は所属不明機と言っていた。
谷澤は目線を上げた。
雲間に閃光がきらめく、間をおかずして、再び惨劇が生じる。
沖合の海防艦へ命中した。運悪く爆雷へ直撃したらしい。
大爆発炎上、船体中央より分断され、轟沈と認む。