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横須賀空襲(This is not a drill):2

【横須賀 海軍工廠 秘密船渠ドック


 昭和二十1945年1月10日 昼頃


 警報が鳴り渡った直後、儀堂の行動に一切の迷いはなかった。


 彼は興津へ目を向けた。


「副長、この艦の無線は使えるか?」


「万全です」


「よろしい。EFの周波数はわかるな。すぐに繋いで状況を確認しろ」


 興津はすぐに高声電話で通信室を呼びだした。


 結果、事態が予想以上に深刻だと判明した。彼の常識からあり得ない被害を受けていた。「確かなのか」と念を押し、興津は電話を切った。


「何があった?」


「横須賀が砲撃を受けているそうです」


「砲撃?」


 味方艦の誤射を疑う。


「爆撃ではなく? 砲撃なのか?」


「はい、砲撃です」


 興津は断言した。続く説明で、儀堂の懸念は払拭されていく。


上空から・・・・砲撃を受けています。敵は雲の上から横須賀に釣瓶打ちに砲弾を浴びせています」


 興津の証言を裏付けはすぐにとれた。その砲撃とやらが海軍工廠にも降り注いできたからだった。着弾音と同時に船渠付近で爆発が生じる。爆風にゆらされ、建物全体がどよめいたようになる。内部の工員達が騒ぎ出した。


 砲撃はさらに続き、着弾音は近づいてきているようだった。横須賀海軍工廠は着実に生産能力を削り取られていた。


 少なくとも帝国海軍には、砲撃可能な航空機も、飛行可能な艦もいない。


 ならば、答えは一つだった。


「心当たりはあるか?」


 儀堂が視線を移すと、小首をかしげた鬼がいた。


「妾は知らぬが、恐らくお主の考え通りじゃろう。あれはこの世にあらざる・・・・・・・・ものじゃ」


「そうか……」


 それだけ言うと唐突に儀堂は沈黙し、見取り図をじっと睨んだ。時間にして数秒ほどだったが、興津は焦れる思いを堪えなければならなかった。この上官の表情が全く読み取れなかった。興津自身、状況判断をとうに終えていた。


――何をしてやがる。ここは避難すべき場面だ。


 ついに興津は堪えきれず、儀堂へ一歩踏み出した。


「艦長――」


 ちょうど儀堂も決断を終えていた。


「そうだ。興津中尉、俺は決めた」


「はい、では避難を――」


「出撃だ」


 興津は我が耳を疑った。ネシスは吹き出し、御調みつぎはただ沈黙を貫いた。


「何を……仰っているのです?」


「決まっているだろう。海へ出るのさ。すぐそこに敵がいるじゃないか。君は自分が何に乗っているのか忘れたのかい?」


「え、ええ……」


 冗談ではなさそうだった。


 儀堂は自ら高声電話を取ると、無線を通じて船渠内各所へ進水準備を始めるように指示を飛ばした。右往左往していた工員達は戸惑いながらも従っていく。


 彼等は突然の混乱にショック状態にあったからこそ、何事かを明確に命じる存在を頼もしく思ってしまった。例えそれが理不尽な命令であれ、工員達は盲目的に従うことで精神的安定現実逃避を得ていた。


 <宵月よいづき>を載せた船台の盤木(船体を支えている柱)が次々と外されていく。


『艦長、進水準備完了です』


 通信室から報告が上がってきた。後は保渠具の安全装置ロックを繋ぐ支綱を切るだけだった。


「くす玉はよろしいのですか?」


 滅茶苦茶だと思いながら、興津は半ば自棄になりつつある自分の心境を諧謔でごまかした。慣例として進水式のときは支綱の切断に連動して、艦首でくす玉を割るのだ。


 儀堂は笑顔らしきものを浮かべた。


「良い案だが、欲しがりません勝つまではとも言うだろう? それにくす玉は無くとも、祝砲がそこら中で鳴りわたっているじゃないか。何事も時世に相応しく行うべきさ」


「はは、違いない」


 興津は艦橋から外を見渡した。ここには軍楽隊による軍艦マーチも、紅白の垂れ幕も無い。もちろん来賓客の席も無かった。あるのは無骨な船渠の設備だけだ。田舎娘がこれから奉公へ出される情景を彼は思い浮かべ、即座に否定する。


 冗談じゃない。そんな牧歌的な風景に砲撃なぞあってたまるか。


 工員は船体から退避を済ませていた。儀堂は無線室ごしに船渠の班長へ礼を述べた。班長はただ一言『堰水扉シャッターを開放します。ご武運を』と告げた。しかし、彼の願いはいささか誤解されたかたちで神に聞き届けられたようだった。


 ついに砲撃が<宵月よいづき>の船渠を襲いかかった。幸い飛び込んだ弾は<宵月>から外れ、人的被害は皆無だった。ただし、船渠内は著しい被害を被った。それらは設備のいくつかを使用不能にし、その中の一つに<宵月>と船渠を繋ぐ支綱へその緒が含まれていた。


 支綱が切られ、安全装置が外された。4000トンの身体が船台の上を滑り出し、堰水扉シャッターを突き破った。たった今、海軍工廠より新たな鋼鉄の申し子が産み出された。


 戦禍賛歌に包まれながら、彼女よいづきは母の姿を求めるように、海へ這い出ていった。



 産声をあげた<宵月>が最初に目にした原風景は端的に地獄だった。対空指揮所、機銃座など艦外を望める配置から等しく、戦火に包まれる横須賀市街と海軍工廠が見えた。


 好き勝手にやられた。


 <宵月>の誰もがそう思った。このまま帰してやるわけにはいかない。


「興津中尉、すぐに機関へ繋いでくれ。何分でこの船は動ける?」


 儀堂は横須賀の光景から眼を離さぬまま、静かに言った。


 興津は短く返事をすると高声電話を取った。


「機関長より、機関発揮まで10分くれと」


 思いのほか早かった。どうやら浸水前から準備していてくれたらしい。


「わかった。なるべく早く頼む」


 よろしい。10分後に敵をぶち殺すために動けるのならば重畳だ。ならばその間に可能な行動を全て起こしておかねばならない。


 儀堂は電測室へ電話を繋いだ。


「艦長の儀堂だ。電探に反応は?」


『反射波あり。本艦、左90度、大きい』


 儀堂は受話器を手にしたまま、その方向へ眼をやった。数隻の駆逐艦と海防艦が見えた。


 それぞれ横須賀市街上空へ向けて、対空射撃を行っている。しかし戦果は不明だった。放たれた砲弾は分厚い雲に吸い込まれ、行方知らずになっていた。恐らく電探レーダー照準で射撃を行っているはずだ。決して無鉄砲に放っているわけではあるまい。


 しかし目標が見えない限り、偏差修正もままならない。


 どんな魔獣かしらないが、上空から砲撃など反則に等しいではないか。同時に待てと思う。相手が魔獣だと断定しているが、果たしてそれは正しいのか。だいたい砲弾を放ってくる獣など……莫迦め、そんなことは今考えることでは無い。


 儀堂が思考の迷宮から自分を引き戻したとき、敵の反撃が味方艦へ降り注いだ。EF艦艇の群れへ砲弾の嵐が見舞われる。砲弾の過半は横須賀沖に吸い込まれ、水柱を上げたが、全てでは無かった。


 被弾は2発。1発は味方駆逐艦の前部砲塔を吹き飛ばし、残り1発は海防艦の艦橋を前衛芸術のような物体へ変えた。


 水柱の高さから大口径弾だと儀堂は判断した。敵の正体は不明だが、少なくとも戦艦以上の砲塔を備えている。


「酷い。これでは一方的すぎる」


 興津がうめくように言った。


「全くだが、現代的には極めて道理なことだよ」


 儀堂は独り言のように言った。興津は声の冷たさに薄ら寒いものを覚えた。


「そうだろ? 戦場に浪漫があったのは中世までだ。火薬の出現と共にそれらは地平へ追いやられた。いや、今の境遇を鑑みるに水平へというべきかな」


 電測室からの報告がスピーカーより告げられる。


『目標、変針。横須賀市街上空より本艦へ向ってきます』


「よろしい。そのまま観測を続けろ。射程に入り次第、射撃開始だ」


 儀堂の中で相反する心情が渦巻いた。


 わざわざ敵がこちら海上に出向いて来るのは好都合だった。最も彼が恐れていたことは横須賀上空からさらに内地に侵攻されることだった。


 そうなると<宵月よいづき>では対処できなくなる。誠に遺憾ながら駆逐艦は海上でしか行動できないのだ。


 その一方、現状で戦闘に突入することは、見えない敵との戦いを強いられることを意味していた。このまま推移すれば、まず間違いなく炎上中の味方艦艇と同じ命運を辿ることになるだろう。


 儀堂は艦長席にある双眼鏡を引っつかんだ。


「興津君、来てくれ。対空指揮所へ上る。それから……おい、あの二人はどこにいった?」


 いつの間にかネシスと御調みつぎ少尉の姿が見えなくなっていた。


「そういえば御調少尉ととも出られるのを見ましたが――」


 計ったかのように電話が鳴った。困惑しつつも儀堂は受話器を手に取った。その先から場違いな少女の笑い声が響き渡っていた。


『ギドー、困っておるようじゃな? 助けてやろうか?』


 ネシスの声だった。



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