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横須賀空襲(This is not a drill):3

「どこにいる?」


 何を嗤っていやがると思う。巫山戯ふざけているのか。


『そんなことはどうでもよかろう。それよりもお主は困っておるのだろう。妾は役に立ってやるぞ』


 ネシスは声音を急変させた。それは刃のような怜悧さを感じさせた。その背後に不穏なものを感じながら儀堂は尋ね返した。


「役に立つ? お前に何ができる?」


 ネシスは再び巫山戯た調子で答えた。


『そうさな。例えばこんなことだ』


 直後、<宵月よいづき>はその名を体現するように怪しく輝き、巨大な方陣を艦首へ展開させた。それは儀堂がハワイ沖で目にしたものと同じ、五芒星の陣だった。


「なっ!?」


 儀堂は背筋を凍り付くのを感じた。ハワイ沖の惨劇が蘇る。まさか、こいつここで魔獣をひねり出すつもりか。


 儀堂の予感は外れた。五芒星は赤く光ると上空へ向けて一筋の光を放ち、消え去った。光は分厚い雲に吸い込まれると途端に変化が生じた。それは儀堂にとっては望ましいものだった。


「こいつは……魂消たまげた」


『言ったろう? 妾はきっと役に立つと?』


 からからとネシスの笑い声が聞こえてくる。


 上空を覆っていた分厚い雲が綺麗さっぱり取り除かれていた。それらは吹いてかき消されたように忽然と消え去り、気象予報通りの晴天が広がっている。


 そして、その蒼空のキャンパスに不気味なシルエットが浮かび上がり、蠢いているのがしっかりと見て取れた。


 横須賀砲撃の黒幕だった。


 儀堂はそのフォルムに見覚えがあった。それは1941年の11月、戦艦<比叡>の士官用会議室で何度も目にし、頭に叩き込まれたものだった。


 儀堂だけでは無く4年前、極東の島国日本西の大国アメリカへ戦を仕掛けようとしていたとき、海軍軍人ならば誰もが一度は目にしている。


「アリゾナ……」


 合衆国海軍所属USS、戦艦<アリゾナ>だった。巨大な鋼鉄の凶器は虚空へ浮かぶ廃墟の城と化していた。


 かつて合衆国海軍の一翼を担った雄姿の影は全くなかった。全身を藻のようなものに覆われ、黒い瘴気を放っている。真珠湾奇襲の際に黒い竜によって破壊された後甲板は無残に引きちぎられ、腐った花びらのように垂れ下がっている。


 儀堂は急速に自分の中で何かが醒めていくのを感じた。それは侮蔑と怒りの感情がない交ぜにされたものだった。


 <アリゾナ>に対するものでは無く、アリゾナ彼女をこのような姿で晒しものにしている存在に対してだった。それは貴婦人の墓を暴き立て、冒涜的な行為に及ぶに等しい。


――なるほど、俺の敵は相当下種な奴ばららしい。


 たとえ狂気の渦から浪漫が途絶えたとしても、敵味方関係なく義務を終えたものへ払うべき尊厳がある。それをわからぬものは等しく滅してしかるべきだった。


 厚い雲保護膜を引き剥がされた<アリゾナ>は、その艦首を宵月犯人へ向けた。


 向こうはる気らしい。いいだろう。その代わり、横須賀から離れてもらう。


「艦長、機関より報告。全力発揮可能」


「よろしい、機関全速。あれを横須賀から引き剥がす。取り舵一杯、真方位160へ変針」


 操舵手の「宜候」と共に、<宵月>は徐々に速度を上げていった。


 儀堂は受話器を取った。電路の先にいる鬼へ確固たる口調で呼びかける。


「ネシス」


『なんだ?』


「言ったからには、役に立てよ」


『あっは、おぬしよ、怒っているな。滾る声音じゃ。ますます気に入った。妾が役に立とう』


 鬼が嗤った。


 同時に上空より砲声。


 敵弾は8秒後かけて飛翔し、到達した。



 <アリゾナ>の初弾は大きく逸れて着弾した。六本の水柱が右舷遙か彼方で立ち上がる。前甲板の第一と第二砲塔より放たれた35センチ砲弾による水芸だ。あんなものを<宵月>よいづきで受けたら、一溜まりもないだろう。


 儀堂は機関出力を最大のまま、艦をジグザグに突っ走らせた。敵艦は左後方10万メートルより追尾してきている。防空指揮所から敵艦の飛行高度は約1500メートルで、速度は30ノットほどと報告された。


 幸い<宵月>の最大速力は33ノットだった。逃げ切れないことはないが、儀堂にその意思は皆無だ。彼は反撃を命じた。


「後部第三、第四砲塔、対空射撃始め」


 まもなく<宵月>後甲板より、連続的な発射音が聞こえてくる。<宵月>に搭載されている長10センチ高角砲が砲弾が吐き出していた。戦艦相手には気休め程度にしかならないが、こちらに交戦の意思があると示さなければ再び横須賀へ進路を向ける可能性があった。


 儀堂は次々と入ってくる報告を思考へ入力していきながら、いずこにいるとも知れぬ鬼に話しかけた。


「ネシス、お前の妖……魔導であれを海上まで落とせないか?」


 せめて海上に降りてくれれば、<宵月>の魚雷か噴進砲で屠ることも可能だろう。なまじ莫迦みたいに空へ浮かんでいるから面倒が生じるのだ。全く、なにゆえアリゾナあれを空へ浮かばせたのか。船は海上を航行してこそ船なのだ。


『そうさな、やってみよう』


 ネシスは再び六芒星の陣を<宵月>の艦尾に展開させた。それは先ほど横須賀上空の雲を払ったものと紋様が異なっている。陣の中央から赤い光が放たれ、まっすぐアリゾナへ伸びていくが途中で弾かれてしまった。


『だめじゃな。あやつめ結界を張っておる。すまぬ。今の妾ではあれを引きずり降ろすのは出来そうに無い』


「……そうか」


『お主らこそ、妾を堕としたときのようにできぬのか? ほれ、あのときのように羽虫爆撃機から火の弾250キロ爆弾を落として、鉄の楔徹甲弾を打ち込めば――』


「可能だろうが、ひとつ問題がある」


 その間にも敵艦より発砲があり、上空より飛来した砲弾は再び逸れた。しかし、今度は初弾よりも近くに落ちている。どうやら修正射が可能らしい。


 警報スクランブルがかかって関東一帯の航空基地から増援が来るまで、最速で1時間はかかるだろう。その間、あの砲撃の雨をかいくぐる必要があった。


 横須賀の航空基地ならば、もっと早いかもしれない。しかし儀堂の記憶が正しければ、横須賀の航空戦力は哨戒機が主力で、対艦能力は低かったはずだ。


 あるいはハワイ沖のようにこちらも戦艦を持ち出せば、例え被弾してもすぐには沈まないだろう。だが、いま儀堂が乗っているのは駆逐艦<宵月>だ。35センチ砲弾の前には駆逐艦の装甲など、ボール紙にも等しい。


――仕方が無い。味方航空隊の来援まで避け続けるか。


 幸い、35センチ砲弾の装填には時間がかかる。その間、不規則に変針し、避け続ければ勝機ができるかもしれない。


「味方が来るまで、俺達は逃げ続けるしか無い」


『つまらぬのう。逃げるのは好みでは無い』


「同意だが、好き嫌いで戦争ができるほど、この世は楽じゃないんだ」


『道理じゃな』


 ネシスは儀堂の口癖で愉しげに応じた。


 <宵月>は蛇行しながら、<アリゾナ>を横須賀から引き剥がした。逃走劇は30分ほど繰り広げられた。その間、<宵月>と<アリゾナ>の距離は少しずつだが縮まっていた。


 速力では<宵月>の方が優勢のはずだが、<アリゾナ>の砲弾を避けるため、変針を頻繁に行う度に距離を詰められてしまっていた。


 <アリゾナ>から15斉射目が放たれる。儀堂は再び変針を命じた。


「面舵30度!」


「おもかぁあじ!」


 操舵手が舵輪を回す。5秒後に左舷前方距離300メートルで水柱が立った。危なかった。そのまま直進していたら、直撃したかもしれない。


――やりすごせるかもしれない。


 儀堂の中に確信に近い展望が見えていた。通信室から、あと15分ほどで増援の航空隊が到着すると報告があった。館山から発進した部隊だ。このまま回避を継続すればあるいは……。


 残念ながら儀堂の希望は叶わなかった。見張り員が悲鳴のような報告を発した。


「敵艦発砲!」


「発砲? 早すぎるぞ! 次発装填まで1分以上はかかるだろう?」


 興津が儀堂の認識を修正する。


「副砲です! アリゾナヤツが副砲を使い始めたんです!!」


 <アリゾナ>の両舷から小さな発砲炎が見えた。間をおかずして小口径弾の雨が<宵月>に降り注いできた。続いて断続的な震動が<宵月>を駆け巡る。


 処女航海にして、ついに<宵月>は被弾を迎えた。

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