衝撃に耐えながら、儀堂は己を罵った。
――莫迦野郎が! 下手な楽観をしやがって、このざまだ!
すぐに思考を切り替える。やるべきこと山ほどある。彼は艦長職を演じる必要があった。
「被弾箇所、知らせ!」
次々と報告が上がってくる。<宵月>は被弾箇所に4つだった。内1発は後部第三砲塔に命中し、飛び込んだ砲弾が砲塔内で跳ね回った結果、配置された兵員は全滅した。機械的に弾薬庫注水を命じる。
目立った損害はそれだけだった。敵弾は徹甲弾らしく、大半は<宵月>の薄い船体を突き抜けていった。
「不幸中の幸いでした。もし敵が榴弾を使用していたら、今頃<宵月>は火だるまですよ」
興津が額の汗をぬぐう。儀堂は首を振った。
「まだ不幸のただ中だ。これからだよ。今まで通りにはいかなくなった」
その通りだった。弾薬庫注水と浸水によって、<宵月>は30ノットまで速度を落としていた。応急班の対応が間に合ったとしても、<アリゾナ>に追いつかれるのは時間の問題だった。
<アリゾナ>は第一射から間髪いれずに、副砲を発射した。次々と第二波、三波、四波が飛来する。その度に<宵月>は被弾し、戦力を低下させていく。
敵は相変わらず徹甲弾を使いたがっていた。そのため火災による人的損失は回避できたものの、船体に穴を空けられたことで浸水は拡大していった。ついに速度が25ノットを切ったところで、<アリゾナ>は後方5000メートル上空まで迫っていた。
<アリゾナ>が主砲の16斉射目を放ったのはそのときだった。轟音と共に後部よりかつて無い規模の震動が伝わってきた。儀堂はかろうじて艦長席の肘掛けにつかまり耐えた。
――主砲を食らったのか……?
そう思うも、直感で否定する。仮に主砲の直撃を食らったら、こんなものでは済まされないはずだ。ハワイ沖海戦の経験から彼は結論づけていた。恐らく副砲の集中砲火を浴びたのだ。
儀堂の推測は正しかった。<アリゾナ>は主砲と副砲を同時に放ち、主砲は前方100メートルの進路上へ着弾していた。それは本来ならば<宵月>の命運を終わらせたはずの砲弾だった。<アリゾナ>の計算を狂わせたのは、皮肉なことに自身が放った副砲弾だった。
「スクリューに被弾だと?」
絶望的な報せを儀堂は表情を変えずに受け取った。内心では死を覚悟していた。
<アリゾナ>の副砲の弾は悪魔じみた弾道で<宵月>の艦尾へ命中し、そのまま船底まで突き抜けてスクリューをへし折っていた。主砲弾が外れたのは、副砲の射撃で<宵月>のスクリューが壊れ、速度が急低下したためだった。
状況を認識し、儀堂はすぐに対処行動に移った。この場合、取るべき手段はひとつだった。
「煙幕展張急げ!」
<宵月>のボイラーで重油が不完全燃焼し、煙突から黒い煙が吐き出された。黒煙が活火山のごとく生み出され、周囲を覆いつくすまでさほど時間はかからなかった。
その間も<宵月>は<アリゾナ>の副砲弾を一身に受けていた。被害は増大し、戦死者数は急カーブを描いて上昇し始めた。
「味方航空隊の到着まで、あと何分だ?」
視界不良の中、黒煙特有の刺激臭に耐えながら儀堂は尋ねた。
「もう5分ほどです」
興津中尉は平静を保っている。彼も副長職を健気に演じているように見えた。ひょっとしたら短期間の地獄で、神経を麻痺させたのかも知れない。
「5分か……」
恐らく保つまい。敵艦はすぐ側まで来ている。煙幕を展開したところで、至近に迫れば<宵月>に照準を定めることなど造作もないことだった。
「敵との距離は?」
「3000切りました」
畜生、せっかく駆逐艦に乗ったのだ。せめて魚雷で
――いや、この艦は魚雷を積んでいなかったな。その代わりが、あの噴進砲か。
砲、そうだ、砲なのだと儀堂は気が付いた。
「興津中尉。噴進砲だが、あれは仰角をとれないか?」
儀堂は最後の望みをかけた。魚雷と違い、砲は上にも撃てる。もし仰角をとれるのならば、対空射撃が可能だ。いくら戦艦でも500キロの噴進弾を受けてはまともでいられまい。しかし興津は首を横に振った。
「駄目です。なにしろ、あんな高度を飛ぶ大型魔獣など想定されていませんでしたから……」
「そうか。まあ道理か」
ならば、ここまでだった。
儀堂は退艦命令を出す決意をした。ここで兵を死なせるわけには行かなかった。もちろん彼自身も死ぬつもりはない。艦は造ればどうにでもなるが、兵の育成は一朝一夕にはできない。
電話が鳴ったのはそのときだった。受話器をとろうとする興津を制止した。予感があった。
「ネシスか?」
『そうじゃ。どうしたのじゃ? 先ほどから威勢が衰えたように感じるぞ』
「それについてはまた後で話そう。御調少尉を出してくれ。そこにいるのだろう?」
根拠はないが、恐らく御調がどこかにネシスを連れて行ったのだろうと思っていた。ほどなく自分の予想が正しいとわかった。
『御調です。艦長、いかがなさいました?』
「ああ、うん。説明は省くがこの艦は沈む。君達は逃げろ」
『私達だけで逃げる?』
「そうだ。個人的な信条として婦女子を死なせるわけにはいかない。君らには優先的に出て行ってもらう」
『それはできま――』
御調の言葉は途中でネシスに乗っ取られた。
『妾は嫌じゃ!』
「好き嫌いで戦争は出来ないと言っただろう」
突き放すように言い返す。時間が無い。
『ギドー、アレから逃げ切れれば妾達の勝ちであろう? なぜ妾とこの女だけ逃がそうとする?』
ネシスは戸惑っているようだった。無理もないだろうと思った。なにせ、昨日までこの鬼をぶち殺そうとしていたのだから。我ながら矛盾している。いや、恐らく己の不手際で誰かを死なせたくないだけなのだ。
「もうこの艦は動けないんだよ。足をやられたとでも思ってくれ」
儀堂は苛立ちを治めながら、言い聞かせた。
『武器はないのか? アレを造ったのは元々お主ら人間じゃろう? ならばお主達で倒すことができよう?』
「あるが使えない。
『……真横に向ければ使えるのじゃな?』
ネシスは静かに言った。なぜか儀堂は嫌な予感がした。こいつ何をやろうとしている?
「待て。お前何をやろうとしてる?」
『ギドー、妾はアレを落とすことはできぬ。じゃが、これを
「持ち上げるだと? どういう意味だ?」
答えはすぐに示された。<宵月>を中心に海上に五芒星の紋様が描かれた。
紋様は高速で回転し、<宵月>を赤い光の輪で包んだ。
「ネシス、何をやっている!?」
<アリゾナ>が十七斉射目の主砲弾を放った。3秒後に<宵月>へ到達する。
◇
<アリゾナ>が放った主砲弾は狙い通りの軌道描いて到達した。東京湾に瀑布のような水柱が6本屹立する。
その光景を儀堂は俯瞰で見ていた。脳内では軍艦マーチの
守るも攻むるも
――莫迦野郎、限度があるだろう。誰が空へ浮かべろなんて言った。
赤い五芒星の円に包まれて、<宵月>は空を浮遊していた。
「か、艦長……これは?」
興津中尉が間の抜けた面を儀堂へ向ける。興津中尉、君の反応はもっともだと思う。
「何か不思議なことがあるのかい? 戦艦が飛ぶご時世なんだよ。駆逐艦が飛んだところで何の不思議がある」
半ば投げやりに儀堂は答えた。どういう原理かなんて聞くなよと思った。そんなこと知るわけが無いのだから。
「副長、甲板へ出ている兵員を艦内へ収容してくれ。放送で呼びかけろ」
「了解!」
興津は通信室へ駆けていった。なぜ電話を使わないのか疑問に思い、気がついた。
何やら騒がしい声が手元から聞こえてきている。高声電話を握りしめたままだったのだ。
『ギドーよ! ギドー! 妾の力を見ているか!』
「ネシス、これはお前がやったのだな?」
『そうじゃ。役に立つだろう?』
ネシスは嬉しそうに言った。儀堂は少し考えてから返事をした。
「そうだな。役には立っている。だが一つ言わせてくれ」
『……なんじゃ?』
「次から勝手に飛ばさぬようにしてくれ。いいかい。船は空を飛ばないものなんだ」
『ふん、わかった。それで、どうするのじゃ? あのデカブツの始末をつけるのであろう』
儀堂は艦橋の外へ目を向けた。<宵月>はさらに高度を上げていき、やがて<アリゾナ>と同高度となった。
「ああ、その通りだ。あいつを解放してやろう」
正面から見たアリゾナは悲惨の一言に尽きた。艦上の構造物全てが藻に覆われ、砲身から水滴がしたたり落ちている。全身で泣いているようだ。
「ネシス、奴の後方へ回りこんでくれ」
『承知した』
<アリゾナ>の副砲群の射撃をかいくぐりながら、<宵月>は艦尾へ回り込んだ。そして五式試製噴進砲の射界へ収める。世界初の航空打撃戦の開幕だった。
儀堂は葬送の手順に移った。
「噴進砲発射準備」
「噴進砲、発射準備宜し」
「目標照準、<アリゾナ>。前方、第一及び第二砲塔」
「照準、第一、第二砲塔、宜候。測的、距離1500」
「艦長?」
『ギドー?』
「撃ち方はじめ!」
<宵月>の船体中央より、二本の矢が連続して放たれた。それらは秒速300メートルで<アリゾナ>に直進し、第一と第二砲塔を貫通する。間髪入れず砲塔内部で信管が作動、500キロの炸薬が大爆発を引き起こした。
爆発は弾薬庫および燃料タンクまで伝わり、<アリゾナ>は空中で瞬時に火葬された。3万トンの鋼鉄の棺が、自ら炎に包まれながら、海面へ向けて崩れ落ちていく。
<アリゾナ>の最期を儀堂は敬礼をもって見送った。炎がその顔を赤く照らしていた。そこから正確な表情を読み取ることは誰にもできなかった。