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我々は神では無く(God only knows):1

 【東京 霞が関 海軍省】

1945年3月20日 昼


 六反田は再び海軍省の大臣室に居座る羽目になった。彼にとっては異例の事態だった。その部屋はつい4日ほど前に、嫌々ながら訪れた場所だった。付け加えるならば、たった今、彼と席を同じくしているメンバーも4日ほど前と全く同じだった。彼を嫌う(彼が嫌っている)二人、井上海軍大臣と山本軍令部総長だった。


「勘弁してくれませんかね。わざわざ、私をここに呼びつける必要があったのですかね?」


 六反田は後頭部をかいた。草色の三種軍装に白い雪が降った。井上はわずかに眉を顰めつつ、本題を切り出した。彼とて、この場を長引かせるつもりは毛頭無かった。


「君は今回の事態を予測していたのかね?」


 井上の元にオアフBM消滅の報せが届いたのは一昨日のことだった。何も知らなければ、誤報と疑いたくなるような内容だった。しかし三航艦司令部は、一隻の駆逐艦と一機の烈風によって、その大戦果がもたらされたと告げてきた。ならば、信じぬ訳にはいかなかった。少なくとも駆逐艦・・・には心当たりがあったのだから。


「全くしていなかったと言えば、嘘になりますね」


 六反田は胸ポケットからオレンジ色のパッケージの煙草を取り出した。卓上のマッチをすると一息吐いた。


「まあ、可能性のひとつぐらいで考えていました。そうですね。横須賀空襲が偶然の産物とは到底思えませんでしたから。あの鬼のお嬢さんネシスが目を覚ましてから数日も経たずして、横須賀が襲われたわけです。しかも、空襲当日は本人があの場に居たわけで、こいつに因果関係がないと言い切るにはよほどの楽観主義者でしょう。再び、何か仕掛けてきてもおかしくはない。まあ、さすがに私もBMが釣れる・・・なんて思いもしませんでしたが――」


「何にせよ。大手柄にはなったわけだ」


 山本が糖分を過剰に含んだコーヒーをソーサーの上に置いた。


「船団は危機を脱し、驚くほどの軽微な損害で、あのオアフBMを消失させた。満足すべき結果だろう。聞くところによれば、君の仮説は証明されたそうじゃないか」


 山本は含むように言った。彼の手元には、月読機関を介さず独自のルートで手にれた報告書があった。それはBM内へ突入した烈風、その搭乗員の証言をまとめたものだった。


「私の仮説では無く、ネシスの証言ですよ」


 六反田は眉一つ動かさず首をかしげると、内心で舌打ちをしていた。校長室に呼び出されたような気分だった。要するに隠し立てするなと山本は言っているのだ。


「それで、お二人とも何をご所望ですかね? 報告書ペーパーなら、もう少し待ってもらえませんか? <宵月>がシアトルに着くまで、こちらもまともに連絡がとれんのですから」


「僕らじゃない」


 井上は六反田の認識を訂正すると、唐突に電話が鳴った。井上は事前に知っていたかのように立ち上がると、受話器を取った。短い返事の後で、彼は受話器を置いた。


「はて、またぞろ、どこかのBMが消えましたか?」


 六反田は口元に揶揄するように言った。井上は意に返さなかった。


「これから、我々と一緒に来てもらう」


「いったい、どこへですか?」


「首相官邸だ。米内さんが僕らを呼んでいる」


 米内総理大臣の名を出されても、六反田の態度は変わらなかった。


「それで、要件は?」


「合衆国だよ」


 山本がやれやれという具合に立ち上がった。


「駐米大使館から連絡があった。今回の件で合衆国政府が難癖を付けているそうだ。特に君のところの<宵月>についてね。彼等は情報の公開を求めている」


「よもや、<宵月>を引き渡すつもりじゃあないでしょうねえ」


 低い声で六反田は言った。


「莫迦を言え。そうせぬために話をしに行くのだ」


「ならば、構いませんよ」


 打って変わって快活きわまりない表情で六反田は立ち上がった。


 山本の真意を探るために、意図的に反抗を演じていたのだ。反応を見る限り、この戦争における共犯関係は未だに継続中らしい。


「それで、アメさんは何と言ってきているのですか?」


「知らんよ。それをこれから聞きに行くのだ。だが、碌でもないことは確かだろう」



【北太平洋 駆逐艦<宵月>】

 1945年3月21日 昼


 オアフBMの消滅から4日ほど経っていた。第三航空艦隊とYS87船団は死戦の名残を未だに色濃く引きずっている。この戦いで、彼等は500名近い人員を失い、数万トンの物資を海中へ投棄していた。船団は陣形の再編を迫られ、沈みかけた船舶の応急措置に追われている。各艦では負傷した乗員がうめき声を上げ、無言となった者達は密やかに水葬式で見送られていった。


 この日、大本営は三航艦とオアフBMの戦いを『北太平洋海戦』と命名した。まことに日本らしく、単純明快にして飾り気のない呼称だった。もっとも当事者たちにとって、名前などどうでも良かった。いや無意識に反発心すら覚えるものすらいた。まるで自分らの戦いが過去のものにされたように感じていた。冗談では無かった。この任務戦いは目的地の到着をもって完遂されるのだ。それはまだ先のことであり、未だに彼等は戦闘配置から容易に離れることができなかった。


 <宵月>の艦長とて例外ではない。儀堂は睡魔の誘惑に耐えながらも、かろうじて交代時間を迎えることが出来た。もう40時間ほど艦橋に詰めていたのだから、無理からぬことだった。興津が交代時間を知らせると、儀堂は礼を言い、艦長席から立ち上がった。よろめきそうな自分の身体を手すりで支えて、無理矢理背筋を伸ばすと艦橋を後にする。幸い、指揮官の疲労に気がついたものは皆無だった。誰もが似たような苦労に悩まされていたからだった。北太平洋は晴天の下にも関わらず、酷い時化しけに見舞われていた。役割から解放された儀堂は、揺動する艦内を慣れた足取りで歩いて行った。


 ある一室で足を止める。表札プレートには何も書かれていない。代わりに五芒星の模様の描かれた札がドアに貼ってあった。


 衛兵を労うと、儀堂は控えめにノックをした。


「失礼」


 ドアの先は簡素なものだった。パイプ式ベッドが二組あった。片方は空いていた。もう片方には一人の少女が寝かされて、傍らには御調みつぎ少尉が立っていた。儀堂は敬礼しようとした少尉に「そのままで」と言った。


 儀堂は少女の顔をのぞき見た。彼の知る鬼の子と顔つきも、特徴的な額の部位も似ている。ただ大きな違いがあった。酷く不健康な顔色で、痛々しいほどに全身を黒い大きなまだらに覆われている点だ。


 御調へ向き直る。


「具合は?」


「安定しています。ネシスさんの処置のおかげです」


「血を吸わせたことかい?」


「はい、栄養剤のようなものかと」


「では、このまま安静にすれば回復すると?」


「それは――」


 御調はためらいがちに続けた。


「わかりません。かつてのネシスさんのようにしばらく眠り続ける可能性が高いと判断しています。彼女らにとって、永い眠りこそが最大の回復手段ですから」


「そうか……」


 うなずきつつも、少し疑問に思うことがあった。御調の口調が断定に近いものを感じていた。まるでわかりきっているようなことを話しているようだった。


「君は、ネシスたち月鬼について詳しいのだな」


「それは……そうかもしれません」


「君ら宮内省で魔導を操るものたちは、みんな君ほどの知識を身につけているのかい?」


 儀堂が知る限り、御調は魔導に限らず、あらゆる分野に対して一角の知識と技術を習得していた。魔導機関の調整をこなし、あの独逸人の女史の助手として演算機の操作も難なくこなしている。この少女が<宵月>に運び込まれたときも、並の軍医と劣らぬほどの手際で救命措置を施していた。


「この子が運び込まれたとき、当惑する軍医よりも先に君は的確な措置を施しているように見えたよ」


「確かに、私は他の魔導士よりも広く長けているところがあるかもしれません」


 御調はよどみなく肯定した。まるで予め答えを用意していたかのようだった。


「ただ、それは私が才気に溢れているからではないのです。私は、ただ人よりも少しだけ多くの時間を研鑽に費やしただけなのです」


 御調は柔らかな表情で答えた。しかし、そこにはどこか追求を許さぬものを含んでいた。儀堂は素直に彼女のメッセージに従うことにした。むやみやたらと、土足で人の過去に踏み込む状況ではないように考えたからだ。


 彼は入室以来、気にかけていた事柄を口にした。ここは二人部屋のはずだった。先住者の姿が見当たらなかった。


「ネシスはどこにいる?」


 御調少尉は「恐らく」と前置きをして答えた。それは不可解な回答だったが、なぜか外れているようには思わなかった。



 儀堂が自室に戻ったのは間もなくだった。すぐさま御調少尉の推測が正しかったと知ることになった。


 ベッドの隅で小さくうずくまる影を発見した。


「お前はそこで何をしているんだ?」


 背を向けたまま、ネシスは何も答えなかった。


 儀堂はベッドにゆっくりと腰掛けた。


「なぜ、あの子の側に居てやらない?」


 疲労感から、声に力が入らない。それが普段よりも穏やかな印象を与えていた。艦内の誰もが今の彼を見たら、驚くだろう。全く海軍軍人らしからぬ表情だった。緊張というものがはぎ取られている。


「御調少尉は嫌いか?」


 ネシスはしばらく押し黙っていたが、呟くように言った。


「あの女官のことなど、気にもとめておらぬ。あやつは妾ら・・の扱いに長けておるし、あやつに任せるに越したことはなかろう」


「そうか」


 儀堂が短く答えると、再び沈黙が訪れた。耐えきれなかったのは、ネシスの方だった。


「お主こそ……もっと聞きたいことがあるのだろう。なぜ妾に何も尋ねないのじゃ?」


「なんのことだ?」


「たばかるな。妾が思い出したこと、あの月のこと、そしてお主らが救った妾の同胞ことの子細を知りたいのではないのか? 聞くべきこと、聞かねばならぬことがあるだろうに――」


「君は話すと言っただろう」


「……」


「あれは聞き間違いか?」


「いいや……」


「ならば、オレが出来るのは待つだけだ」


 それまで背を向けていたネシスは、そっと首だけ儀堂の方へ向けた。驚いているようだった。


「妾のことを信じておるのか?」


「信じる、信じないの問題ではない。それが、あるべき道理だからだ。君がオレに約束し、オレが同意したのだ。あとは君次第だろう」


 ネシスは少し拍子抜けしたように「左様か」とだけ言った。


「しかし、妾がこの先ずっと話さぬやもしれぬぞ」


「そのつもりなのかい?」


「……いいや」


「ならば何も問題ないな」


 儀堂は立ち上がろうとした。ネシスは咄嗟に振り向いた。


「思い出せないのじゃ……」


 儀堂は少しだけ目を見張った。目前の鬼が取り乱していたからだった。


「どういうことだ?」


「妾は、あの童子の名を思い出すことが出来ぬ」


 童子とは、オアフBMから救出した月鬼のことだろう。


「それは……」


 本当かと言いかけて、儀堂は止めた。嘘を言っているわけではないらしい。そこには怪しげな術を使い、異常な怪力を持つ妖魔の姿はなかった。


 思い詰めた少女がいた。


「しかし、お前はあの月で、あの子と言葉を交わしていただろう。あの子はお前のことを姉と呼んだのでは――」


「そうじゃ……。あの童子、妾を姉と呼びおった。どうやら妾と血を分けた同胞はらかららしい。なのに、妾は一切覚えがないのじゃ。あのとき妾はただただ不憫に思い、あのものを受け入れたのだ。しかし今となっては果たして、それでよかったのかと思い始めておる。妾はあのものをたばかってしまったのだ。ギドー、妾はどうすればよい……」


 ネシスは肩を落とし、うつむいた。


「一緒におれば何か思い出すやもと思ったが、何も思い出せぬ。妾は怖いのじゃ。あの童子が目を開けたときのことを思うと、妾はあの場に居られなくなったのじゃ」


 塩分を含んだ水滴が落ちていくのがわかった。


「あの童子は妾に助けを求めておった。月に犯され、身体が朽ち果てながらも妾の名を呼び続けておったのだ。あのものが頼れるものは、きっと妾しからおらなんだ。妾を信じておった。それなのに妾は――」


 ネシスは言葉を詰まらせてしまった。儀堂はしばらくその様子を無言で見守っていた。


 この世には、足掻いても取り替えしがつかないものが存在する。5年前、彼はその真理を心の奥深くに刻んだ。それは後悔という言葉だけではあがないきれないものだ。敢えて言うならば、呪いに等しい。彼は呪いを解く術こそ知らなかったが、付き合い方は知っていた。


 そっと小さな肩に手を置く。


「仮に時間が巻戻ったとして、他の選択肢をお前は思いつくのか? 仮にお前があの子に『お前のことなど知らない』と言ったとして、その先に何がある」


「わからぬよ。ただ、お主が言ったようなことはしたくない。あのものを突き放すことなど妾はできぬ」


「なぜだ?」


「わからぬのか! 何も救われぬからだ! そんなことをして何の意味があるのだ!?」


 ネシスは激昂し、儀堂の襟をつかんだ。その赤い瞳が燃えるように輝いていた。儀堂は、焼き付けるような視線から一切目を逸らさずに続けた。


「答えは出ているじゃないか」


「……なんだと」


「お前は心から最大限の努力をやった。その上での結果だ。オレ達は神様じゃない。全てを見通すことなど不可能だ。仮に出来たとしてもやれることは限られている。ならば、その場の一瞬において全力を尽くすしかないだろう。なによりも――」


 儀堂は耐えられずに目を閉じた。ああ、全く嫌になる。気づいたぞ。オレはこいつネシスを出しに自己弁護をしているだけなのだ。


「お前の妹は、まだ生きているだろう」


 首元を締める力が緩まっていくのがわかった。


「すまぬ。許すが良い」


 再び目を開けると、ネシスは視線を逸らしていた。瞳に後悔の色が見えた。


「気にするな。とにかく、今はあの子の側に居てやれ。要らぬ後悔をもう一つ背負うことになるぞ。記憶は無くとも、あの子の姉なのだろう? 正直に言うか、あるいは嘘を貫き通すかは目覚めた後に自分で決めることだ。ただ、一つだけオレが断言してやる」


「なんじゃ」


「いずれにしろ茨の道だが、君とあの子が生きる限り手遅れにはならない。赦しは生者からしか得られないのだ」


「そうじゃな……。お主の言う通りじゃ」


 電話が鳴った。儀堂はネシスに少し待つように言うと、受話器を取った。


「覚醒しました」


 電話口の相手は、ただ一言だけ告げた。儀堂は「わかった」と答えると、ネシスへ向き直った。


「目を覚ましたそうだ。行くか?」


 ネシスはベッドから這い出た。その顔から迷いが消えていた。


「無論じゃ。さあ妾を案内あないせよ」


「お前、自分の部屋へ行くのに案内もへったくれもないだろう」


五月蠅いうるさい。つゆ払いは殿方の務めであろうに」


 儀堂はやれやれと首をふると、ドアを開けた。


「決めたのだな」


「ああ、決めたぞ」




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