【アメリカ合衆国 シアトル港 駆逐艦<宵月>】
1945年4月7日 午前
タラップから白い直方体の木箱がゆっくりと降ろされていく。複数の海兵に支えられなければいけないほどの大きさだった。海兵達は岸壁近くに止まっている軍用トラックへ慎重に木箱を降ろすと、荷台に申しわけ程度の白い布が被された。
甲板から、その光景の一部始終を銀髪の少女が見守っていた。
小さく、折れそうなほど細い後ろ姿だった。
「もういいのか?」
儀堂は横に並び立つと、念を押すように語りかけた。今ならまだ引き返せると暗に示していた。
「良かろう。しばしの別れじゃ」
トラックはネシスの妹の遺骸を載せると、しばらくして出発した。向う先は二式大艇が停泊する桟橋となるはずだった。
「お主の
ネシスの棺は、二式大艇へ乗せられ、六反田達と共に日本へ移送される手はずとなっていた。六反田は月読機関の管轄で、責任を持って保管すると確約した。貴重な研究素材に違いなかったが、遺体に手を加えられる心配はなかった。結晶化された遺体の硬度は
「まったく、あなたの一族は大した物ね」
唐突に呆れた口調で背後から話しかけられる。キールケ・リッテルハイムだ。この独逸人の研究者はとも、そろそろ別れることになるだろう。彼女の足下には大きめの
「あんなガチガチに固まっていては、解剖もできやしない。
ネシスは眉間に皺を寄せた。あからさまな怒りを浮かべている。
「女、勘違いをするな。あのような最期は妾たちの本意では無い。シルクとて叶うならば朽ち落ちた挙げ句、塵として地へ還りたかったはずじゃ。それを留めたのは
ネシスの怒りを向けられても、リッテルハイムは臆することがなかった。いや、はなから興味がなかったようだ。彼女の関心は別の所にあった。
「そう、まさにそれよ。なぜ、あなた達をここに送り込んだ連中はあんな手の込んだ機密保護装置を組み込んだのかしら?」
謎かけをするように、リッテルハイムは言った。儀堂は肩眉を上げて、一歩前へ出た。これ以上、ネシスと話を続けさせても、碌なことにはならないだろう。
「どういう意味だ?」
「あの鬼の子は、意図的に結晶となるように仕組まれたのでしょう? ならば、その理由はなにかしら? ねえ、
リッテルハイムは再びネシスに視線を戻した。
「妾は何も知らぬ」
ネシスは、ただそれだけ返すと、後は押し黙ったままだった。何か知っているようには見えなかったが、リッテルハイムの指摘に理を認めているようだ。
「その様子だと、本当に知らないようね。残念だわ。時間さえあれば、本国から機材と人員を呼び寄せて調べることが出来たのだけれども……まあ、それはまたの機会にしましょう。ご存知でしょう。今日で私も艦を降りるの。さようなら、日本のサムライさんと鬼の少女。そう遠くない未来にまたお会いできるよう願っているわ」
「お元気で、フロイライン」
儀堂は海軍軍人として必要十分な礼をもって応対した。具体的には敬礼をもって、下船する姿を見送ったのである。
◇
【????】
1945年4月7日 午後
その男は、シアトルより9時間ほど時刻が進んだ地にいた。
室内、執務机の電話が鳴った。男は受話器をとる前から相手の正体がわかっていた。
「やあ、ひさしぶりだね」
少し鼻に掛かった甲高い声で答える。
「ああ、その件なら先ほど聞いたよ。月に支配された海はいかがなものだったのだろうか。聞けば、月世界旅行まで堪能したそうじゃないか。砲弾ではなく、駆逐艦で突入とは
男は執務机から離れると、壁にかかった世界地図の前に歩み寄った。極東の島国が右端に描かれた地図だった。
「おや、意外だったかね。私とてジュール・ヴェルヌくらいは知っている。メリエス? ああ、映画の方か。確かにどちらかと言えばそちらに近いかな。いずれも私は好かないがね。ほう、気に障ったかな……? はは、冗談だ」
扉が開かれ、彼の部下が入室してきた。外から漏れた明かりが男のシルエットを世界地図に浮かび上がらせる。均整の取れた、かなり長身だとわかった。金髪にして碧眼だが、その瞳には爬虫類のように冷たい光を宿していた。
「さて、君には悪いが時間に限りがある。半身を失ったとはいえ、
受話器を置くと、男は世界地図に背を向け、入室してきた部下に向き直った。彼の部下は右手を斜め上方へ掲げた。
「ジークハイル」
「やあ、ヴァルター。麗しの都はいかがだったかね。君のご婦人は息災だったかな?」
ヴァルター・シュレンベルク大佐は答えに窮した。パリに愛人がいることは、誰も知らなかったはずだ。少なくとも、つい先ほどまでは。
「ええ、ハイドリヒ閣下。変わりありませんでした。パリも彼女も――」
「それは何よりだ」
ラインハルト・ハイドリヒは満足げに口元を歪め、肯いて見せた。彼は今ではほとんど見られなくなった
◇
【アメリカ合衆国 シアトル港
1945年4月7日 夜
夜半のシアトル港の搬入口、歩哨として立っていたのは金澤兵曹の隊だった。彼を含む部下達は、その肩に合衆国製のM1ガーランドを背負っている。近年、日本の海軍陸戦隊で賀式歩兵小銃として正式採用された物だった。
陸戦隊は、1941年まで陸軍にならい九九式小銃もしくは一世代前の三八式歩兵銃を装備していたが、兵員に対して生産数が不足していた。そのため、一部部隊ではさらに旧式の三十年式小銃が支給されることすらあった。供給不足は小銃に限らず、陸戦隊の装備全般で起きていた問題だった。
1943年、合衆国でレンドリース法が改正され、適用対象国として日本が加わると、徐々にこの問題は解消されていった。まず合衆国は自国で余っていた旧式ライフルを日本へ貸与し、陸戦隊が優先的に受領した。陸軍は、合衆国産の武器を素直に受け取らず、可能な限り国産で埋め合わそうとしていた。彼等が国産至上主義だったからではない。主力としている三八式歩兵銃と弾薬の口径が異なるため、補給体系に余計な混乱を招くと判断したからだった。彼等はM1ガーランドはじめ、M1バズーカの設計図を入手し、それらを改良、ライセンス生産する方式を選んだ。近年、更新されつつある五式小銃や三式ロタ砲などが、その一例である。
陸戦隊の装備不足が完全に解消されたのは先年の1944年半ばになってからだった。それまで陸戦隊は、臨時に編成される戦闘組織だった。しかし1944年の国防改編法により、合衆国の海兵隊同様、
初代陸戦隊長官に大田実中将が任命され、いよいよ正式な軍として設立される運びとなると、陸戦隊には予算が確保された。これで、ようやく装備の統一化と充足の目途が立つようになったのである。大田長官は手っ取り早い方法として、"現地調達"を選択した。すなわち小火器に関しては、合衆国本土で生産されたものを買い取り、そのまま前線の部隊へ優先的に配備したのである。残念ながら大砲や戦車などの重火器に関しては、完全解消に至っていない。それらは合衆国軍ですら不足しがちだったからだ。先日、シアトルに入港したYS87船団に積載した物資も、重火器の砲弾や備品が占めている。
「M1は良い銃だと思うんですがねえ」
部下の一人が、金澤に言った。特に意味は無い。歩哨という任務の性質上、やむを得ないことだった。いつもの1分が、10分にも感じられる時間だった。無駄話もしたくなる。ましてや、ここは前線から遠く離れたシアトルならば、なおさらだった。
「なんで陸軍は採用しないんですかね」
「無駄撃ちが多いからさ」
金澤は気のない声で応えた。陸軍が採用しているボルトアクション方式の九九式小銃では、一発撃つごとにボルト(遊底)を引き入れし、手動で弾薬を排出、装填する必要があった。一方、M1ガーランドは発射時のガス圧を利用し、自動で弾薬を装填する方式だった。発射と装填速度ではM1ガーランドが優れており、命中精度に大差はない。一見すると、M1が優れているように思えた。
「一発必中を訓練で叩き込むには、M1は不向きな銃だ」
M1は自動装填であるがゆえに、兵士は以前よりも
「まあ、新兵に限らず残弾を意識できる奴はほとんどいませんからね」
古参の部下が苦笑いを浮かべた。初めにM1で戦闘に臨んだときに、弾薬消費に激しさに泣かされたのである。魔獣が数メートル先まで迫ったところで、彼は残弾がないことに気がついたのである。やむなく銃剣で始末したが、あのときのように小型のグールが相手だと限らない。次はワームなどの竜種かもしれない。銃剣で分厚い鱗を貫くのは難しそうだった。
「仕方ないさ」
金澤はあくびを堪えながら言った。
「よく考えてもみろ。前線で、後先無く突っ込んでくる魔獣相手に弾薬を節約しろなんて命令できるわけがない。それに奴らにはありったけの火力を叩きつけるのが一番効くんだ。陸さんもM1みたいな新型の小銃へ切り替え――」
そこで、金澤はこちらに近づいてくるセダンを認めた。この時間へ訪問客がいるなど聞いていない。
部下の一人に目配せをすると、金澤はM1を構えつつ、一緒にセダンの前へ出て行った。
「止まれ!!」
ジープは金澤達の数メートル前で止まった。
「誰何!!」
金澤の呼び声に、一人の日本陸軍士官と兵士が降りて来た。金澤は相手の襟章を見ると表情を一変し、敬礼した。続いて部下も慌てた様子で捧げ銃を行った。
「失礼しました」
「いや、こちらこそ夜分にすまない。自分は遣米軍所属、第三機動歩兵師団第一連隊参謀の狭間中佐だ。ひとつ我々を助けて欲しいのだ」
「助ける? いかがされましたか?」
「いや、シアトル港は久しぶりでね。恥ずかしい話だが、道に迷ってしまった。我が隊用にYS87が新装備を運んできたはずなんだ。そいつを確かめに来たのだが、ここは第八集積所かね?」
「あ-、第八は隣です」
「なるほど、どうやら惜しかったようだ。ところで、この入り口からでも第八まで行けるかね?」
「ええ、大丈夫ですよ。通行証は所持されていますか?」
「もちろんだとも。ほら、この通り」
狭間は懐から遣米軍の発行印が押された書類を出した。
「これなら問題ありません。外回りよりも早いですよ」
「有り難い。助かるよ」
セダンに乗り込もうとする二人を、金澤は止めた。
「ああ、すみません。一応、後部座席とトランクを確かめても良いですか?」
「貴様、無礼だろうが」
兵士が低い声で言うと、金澤は表情を固くした。
「そういう規則だ」
「まあ、待て。すまない。彼は海軍さんの言葉遣いに慣れていないんだ。許してやってくれ。おい、貴様、トランクを開けろ」
兵士は不服そうにトランクを開けた。金澤とその部下は後部座席をのぞき込み、トランクを確かめた。怪しい様子は無かった。
「どうぞ、お通りください」
「ありがとう」
狭間は礼を言うと、セダンを走らせた。
車の後ろ姿を見送りながら、一人の兵士が言った。
「珍しいですね」
「確かに、陸さんにして随分と気さくな士官だったな」
金澤は陸軍に対してある種の偏見を抱いた海兵だった。今は緩和されつつあるが、一昔前まで陸軍における士官と兵士の関係は、海軍よりも一層絶対的なものだった。
「ああ、いやそっちじゃないですよ」
「そっちじゃない? じゃあ、なんだ?」
「あの兵士、陸軍なのにうちらと同じM1ガーランドを持ってましたよ」
金澤はわずかに眉をひそませた。彼がしばらく考え、自分の判断を確かめるべく、無線で司令部を呼び出したのは30分後だった。
その頃には架空の士官と兵士はセダンごとシアトル港の闇へ消えていた。