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前夜祭(April Fool):3

 狭間と呼ばれた少佐はシアトル港の一角へ車を止めさせると、誰も居ないはずの後部座席へ振り向き、話しかけた。


「もう大丈夫だ」


 その一言を合図に、座席のシートが開かれ、中から一人の白人が出てきた。


「ずいぶんと小芝居が長かったな、オロチ」


 白人は少し訛りの入った英語で、コードネームを呼んだ。


「必要なことさ、グレイ」


 オロチは日本語で応えた。


「あそこの検問所が目標に一番近いんだ。私が言うのも何だが、日本人という奴は一度気を許すと相手を疑うことをしなくなる」


「そのための小芝居か?」


「そうさ。それに我々と違って、多くの人間は言葉を交わした相手に敵意を持ちにくい。言語の本質は、他者との意思疎通にあるからな。意思疎通に敵意は相反する感情となる」


「なるほど、君は学者にでもなれば良かったのにな。いや、外交官でも務まりそうだ」


 グレイは至極感心したように肯き、オロチは複雑な表情を浮かべた。


 その間に、彼の兵士役がトランクの隠しスペースからもう一人黒人を連れてきた。


「ったく、ひでえ乗り心地だ」


 黒人は流暢な仏蘭西フランス語を操った。彼のコードネームはオクトだった。


「奴隷船よりはマシだろう?」


 グレイが茶化すように言った。オクトはむっとした顔になり、何かを言いかける。


「早く行こう。予定時刻まで猶予はないぞ」


 狭間の部下役だった兵士は中国語で急かした。コードネームはサイとなっている。


 それぞれ割り当てられたお互いの言語を理解し、話している。彼等はそういう訓練を受けた部隊だった。


 オロチ達はそれぞれ座席に隠した武器を手にした。彼等の言語と対称的に装備は米国産で統一されていた。M1ガーランド、M1バズーカにM50短機関銃などだ。唯一、オロチだけが見慣れない拳銃を持っていた。銃身が異様に長く数カ所に穴が空いている。中国のトンファーのような形状だった。4人は武器の他に、大きな背嚢を背負っていた。彼等が目標を運ぶ際に必要な物が入っている。


「小芝居が長すぎたな。まあ、想定の範囲内だ。さあ、眠り姫を迎えに行こうか」


 指揮官のオロチが先頭に立って歩き出し、3人が後に続いた。


 彼等の目標は、この先の波止場で安置されているはずだった。


 オロチ達は途中、数カ所で寄り道をしながら目標へ向った。万が一のときを考えてのことだった。はたして彼らの予感は的中した。 


 港内に警報が鳴り響いた。うなり声のようなサイレンと共に、放送が侵入者の存在を知らせた。間もなくして、あちこちで日本兵が忙しく動き始める。


 オロチはオクトへ命じた。


「やってくれ」


A VOS ORDRES了解


 オクトは片方の口角を上げると、手元の起爆装置を押した。港内各所で小規模な爆発が生じ、橙色の火炎が巻き起こった。瞬く間に混乱が拡大し、あちこちで銃声が生じる。


「プランBだな」


 グレイがやれやれという具合にM1バズーカを手にした。


「オクト、君は俺に付き合え。攪乱するぞ。日本人と遊ぼうじゃないか」


「二人とも油断するな」


 オロチがたしなめるように言った。オクトが面白くなさそうな顔で応じた。


「それは相手が日本人だからか? 身びいきってやつかい?」


「いいや、違う。向こうに、我々の同業者がいるかもしれないからだ。そいつなら、恐らく我々の目的に感づくだろう」


「オロチの言う通りだ。東洋のことわざでも言うだろう。浅い川も深く渡れだったか?」


「まあ、そんなところだ。我々の渡る川に浅いものなどないがね。それに今回渡らねばならないのは海だ」


「はは、確かに。じゃあ、また後で落ち合おう」


 グレイとオクトは港内に立ち上る炎の群れへ歩き出した。


「さあ、ここからが本番だ」


 オロチ達は爆発とは正反対の方向へ向かった。




 集積所内は完全な混乱に陥っていた。いたるところで爆発による火災が発生し、煙によって視界が急速に悪化し始めている。兵士と作業員達の誰もが事故によるものだと思い、消火に専念しようとした。そのままならば収束は時間の問題だったかも知れない。しかし、警備本部が侵入者の可能性を告げることで、混乱にさらなる拍車がかかってしまった。


 兵士達は恐怖から、いるはずのない敵へ向けて発砲を開始した。各所で同士撃ちが多発し、警備責任の大佐は怒りと共に発砲禁止命令を大半の部隊に発した。


 グレイとオクトが混乱のただ中へ参戦したのは、そのときだった。二人の工作員にとっては最良にして、日本海軍にとって最悪のタイミングだった。 


 グレイは油槽車タンクローリーへ向けて、銃撃を行った。オイルに引火、たちまち大爆発を起こし、火炎が周辺にまき散らされる。その間にオクトは起爆スイッチを押し、変電所を爆破した。集積所が暗闇に閉ざされ、禍々しい橙色の炎が浮かび上がった。


「行こう。そろそろ感づかれるぞ」


 グレイが周辺を見渡しながら言った。ゆっくりと、それでいて有無を言わせぬように口調だった。彼は夜目が効く男だった。その目には多数の武装した日本兵が集まってくるのが遷っていた。


「やれやれ、ひとつ聞いて良いか?」


 オクトは起爆装置の接続を解除すると、立ち上がった。心なしか不満そうだった。


「なんだ?」


「なんで、小物しか狙わないんだ? あんなチンケなタンクローリーじゃなくても、ここにはオイルタンクや弾薬庫が山ほどあるんだぜ。そいつらを爆破してやった方が俺たちの仕事も楽になるって言うのに……」


「上からの命令だ。過度に日本軍の力を削ぐような工作は控えろと言われている。それにな。その手の施設は相手IJNも重要だとわかっているはずだ。恐らく、この基地でも最も厳重な警備が敷かれているだろうさ」


 グレイの予測は当たっていた。警備本部は弾薬集積所とオイルタンクへ増援を送り込もうとしていた。兵員を積んだ軍用トラックが次々と要所へ向っていくのが見て取れた。その中の1グループが港の奥地へ向おうとしているのがわかった。


 グレイは眉間にしわ寄せた。


「まずいな……」


 こいつはしまった。少しばかり、やりすぎたらしい。


「どうする?」


 オクトが短機関銃を肩にかけ、手榴弾の残りを確かめていた。


「もちろん、やるしかない」


 グレイはM1バズーカの次弾装填を完了させた。


「やれやれ、貧乏くじをひいちまったな。もう片方の任務のほうがやりやすかったろうに……」


 オクトが肩をすくませる。グレイは笑いを堪えていた。


「俺もお前さんも肌の色のせいで損な役回りになったな。まったく皮肉なもんだ」


「放っておけ。ここだけの話だが、黄色JAUNEは嫌いなんだ。何だか中途半端な色だろう? ああ、誤解するな。BLANCはもっと嫌いだ。冷たい色だ」


「へっ、ああ、そうかい!」


 目標へ向う車列は2台のトラックで構成されていた。グレイは、まず先頭車両へ向けてバズーカを放った。フロントエンジンに直撃し、燃料タンクへ引火する。蠢く炎の塊から数体の人のかたちをしたものが、奇怪な声を上げながら現われた。先頭車両の惨劇を受けて、2台目は急停車し、中から十名近い兵士が降りてきた。オクトは兵士の群れへ向けて、手榴弾を立て続けに2発投げ込んだ。爆発でまき散らされた破片により、6名が戦闘能力を奪われた。


 残り4名は咄嗟に物陰へ身を隠し、果敢にも反撃を行ってきた。


 グレイとオクトはM50短機関銃を放ち、その場を制圧しにかかった。


――4人か。俺とオクトなら何とかなりそうだ。


 そう思ったときだ。重々しいギアの駆動音が迫ってくるのがわかった。聞き覚えのある音だった。


 履帯・・を備えた車両の音だった。


「ケ・セラ・セラってか?」


 グレイは、余裕の笑みを浮かべた。ある種の諦観が込められていた。M1バズーカの残弾は残り1発だった。


 オクトが抗議を告げる。


「どこの言葉だ? ルール違反だぜ」


 この日、警備責任の大佐が派遣したのは陸戦隊に配備されたばかりの五式戦車チリだった。彼はグレイ達2名へ向けて、1個小隊3両を派遣していた。たった2名に対して送り込まれた戦力としては過剰きわまりない物だった。




 シアトル港の日本海軍管轄区で起きた混乱は、夜半から日をまたいだ頃合で頂点ピークに達した。集積所で巻き上がっている火炎の柱は、岸壁に停泊中の<宵月>からも視認できるほどだった。


「何事だ」


 艦橋へ儀堂が上がった儀堂は、すぐさま状況を陸上の連絡支部へ問い合わせた。まったく話にならないということだけがわかった。


 誰も何もわかっていない。


「いったい何が――」


 副長の興津も困惑している様子で尋ねてきた。こっちが聞きたいところだった。


「わかっていることは何者かが侵入して、この騒ぎを起こしたということだけだ」


 問題は、その目的だった。誰が、いったい何をしにここまで来たのだ。


 こんな騒ぎを起こして――。


 ――いや、待て。それが狙いか。だとしたら……。


「副長、すぐに戦闘配置だ。艦を出す」


 興津は疑問を覚えたが、差し挟むことをしなかった。北太平洋の激戦から、この艦長の言うことに絶対的な信頼を置くようになっていた。


「総員、戦闘配置。緊急出港準備!」


 興津は高声令達器を通して、艦長の意思を伝えた。すぐさま機関室へ連絡を取る。


「艦長、機関発揮まで30分ほどかかるとのことです」


「わかった。機関始動と同時に沖へ出してくれ」


「承知しました。の目標は、この艦だとお考えですか?」


 興津は港の攻撃から避けるためだと解釈していた。残念ながら、儀堂の答えは違った。


「違う。敵の目標は不明だ」


「では、港の火災に巻き込まれぬ為に出すと?」


「それも違う。ただ、オレは可能性を潰しておきたいだけなんだ」


「可能性……?」


 興津は余計に何もわからなくなった。


 儀堂は禍々しい赤色に照らし出されたエリオット湾へ目を向けた。




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