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月獣(Moon Beast):7


 全く不意のことだった。月獣が足を止め、頭部の三つ首と尾部の二つ首が周囲を見渡した。やがて、それぞれ何かを話し合うように顔を寄せた。


 その様子を監視していたERB-29アームストロングは、すぐに地上のマウスへ異常を知らせた。


 ユナモと一緒にマウスへ戻った本郷は無線手から経緯を聞き、今すぐ発進すべきか否か迷った。


 本郷は展望塔キューポラから半身を乗り出したままだった。その視線は、4キロほど先に蠢く巨影に釘付けになり、額にじんわりと汗が浮かびつつあった。


―まさか感づかれたのか。


 否定したかったが、あまりにもタイミングが揃いすぎていた。彼は最悪を想定しながら、無線機と手に取った。上空の同盟者のほうが彼よりも状況を把握しているだろう。


「アズマよりアポロへ。月獣の様子はどうなっている」


『こちらアポロ。相変わらず停止したまま、お互いの顔を寄せ合っている。正直、それ以上のことはわからん。ただ、何とも不安に……ああ、待ってくれ。動きがあった。こいつは――』


 アポロの報告を待つまでもなかった。状況の変化は本郷の目からも明らかだった。巨体の前後についた五つの頭部が一斉に持ち上がり、鎌首を形成するや、咆哮を上げた。いや、それは咆哮と呼ぶにはあまりにも悲壮で哀愁に満ちた叫びだった。聞いている者は胸を締め上げられ、不可解な罪悪感を呼び起こされた。


「これは泣いているのか……」


 直感的な本郷の印象だった。無線機を通じて、車体前部の操縦席の反応が伝わり、自分の印象に確信を覚えた。


『ホンゴー、あのひと・・たちを止めてあげて……』


 ユナモが堪えられないように言ってきた。恐らく彼女も泣いているのだろう。


『あのひとたちは、わたしの魔導マギに気づいてしまった。そのせいで、自分が化け物になったとわかってしまった。もう狂ってしまったと自分で気づいて、泣いている。泣きながら、もっとおかしくなっていく。ホンゴー、あのひとたちをとめないと、かわいそう。わたしは、もう聞きたくない』


 本郷は双眼鏡を構えた。レンズに映るのは、苦悶にあえぐ月獣の顔だった。醜く歪んでいるが、嫌悪感よりも先に哀しみを覚えた。彼は速やかにユナモと望みを叶えることにした。


「ああ、そうだね。ユナモ、ごめんよ。これから僕は君に辛い思いをさせる。本当にすまない」


 彼は車内の乗員に合図を出した。


 数秒後、マウスの主砲が火を噴き、月獣の首元に橙色の炎が煌めいた。


 月獣に対する、人類初の一撃だった。それは直径百二十八ミリの鉄針だ。


 マウスの徹甲弾は上皮を貫き、そこからどす黒い血が零れでた。


「やるものだな」


 本郷は、喜びではなく安堵を強く覚えた。かすり傷程度かもしれないが、無力ではないと自分に言い聞かせる。攻撃が有効であることは心理的な負担を圧倒的に軽くするのだ。


 月獣は今度こそ咆哮を上げ、前進を再開した。


 針路は変わらず、ただその巨大な瞳には鋼鉄のモノリスが映っていた。


「ユナモ、全速後退だ。射撃を継続しつつ、やつを反応爆弾までおびき寄せる」


了解ヤヴォール


 履帯が枯れた芝生を跳ね上げ、黒い泥の軌跡を描きながら後退を開始した。月獣との相対距離を維持する必要がある。


 確認されている月獣の攻撃手段は背中に生えた巨大な針を射出するものだ。射撃精度も侮れない。二機のB-29を撃ち落とし、<宵月よいづき>も損傷を受けたらしい。唯一の救いは、その射界が上方を向いていることだった。対地攻撃には、適さないだろう。


 マウスの砲口から第二射が発射されるが、今度は逸れてしまったらしい。的が大きいとは言え、やはり四千メートル先の目標に当てるのは至難の技だった。


「ユナモ、少し速度を落としてくれ。月獣との距離を三千までつめさせる」


『いいの?』


「構わないよ。砲射程の限界で戦おう」


 マウスの百二十八ミリ砲は三千五百メートルが有効射程の限界だった。本郷は月獣に有効打を与えてつつ、誘導するつもりだった。


 速度を落としたことで、月獣との距離が一気に縮まった。第三射は逸れたが、四射目で再び着弾を確認する。今度は三つ首中央の頭部に命中した。本郷は自車の砲手の技量に満足を覚えたが、長くは続かなかった。着弾部に一発目ほどの効果は認められず、頭部は無傷だった。


―弾かれたのか。凄まじい石頭だな。


 空恐ろしいものを感じ、背筋が寒くなる。


 百二十八ミリ砲は同世代の戦車ならば容易に貫通できる性能を有している。具体的には、日本軍の五式戦車チリや合衆国軍のM26パーシングの前面装甲を最大射程でぶち抜くことができた。戦車の装甲板すらしのぐとは、いったいどれほどの強度の頭部だろうか。


 本郷は展望塔キューポラから身を乗り出したまま、車内無線で砲手へ照準変更を命じた。


「照準を胴体部に集中。とにかく引きつけるんだ」


 一発目は月獣の上皮を貫いて出血させていた。弩級戦艦並の巨体にどれほどの損害を与えられているのか不明だが、多少なりとも効果はあるだろう。そう、少なくとも小癪な蟷螂とうろうほどには認識してもらえば良いのだ。


 マウスは続けざまに五発の徹甲弾を発射し、うち三発が月獣の胴体各部に命中した。針のような疵痕から黒い出血が認められる。


 月獣は空を裂くような咆哮を上げながら、さらに突進してきた。一時的だがマウスの後退速度を上回り、相対距離が二千メートルを切ったときだった。


 予定されたグラウンド・ゼロに月獣が達した。


 本郷の双眼鏡は反応爆弾を載せた自動貨車トラックを捉えていた。彼等の努力は予想以上の精度で結実しつつあった。自動貨車の真上に月獣の腹部があった。


 すぐに双眼鏡を離し、本郷は展望塔から車内へ身を収めた。そして天蓋ハッチを完全にロックすると、確実を期すためドイツ語で命じた。


起爆ディトナティオン


 間髪入れず、跳ねるような声が操縦席から返された。しかし内容は本郷の予測に反するものだった。


だめナイン


「な……」


 混乱、絶句する本郷を置き去りにしたまま、状況は急変を迎えていた。


 月獣が三つの顎を大きく開き、口腔部からどす黒い火炎を吐き出した。三本の黒い火線が大地を焦がしながら、マウスへ向って伸びていく。それらはほんの数秒の間に展開され、百八十トンの鋼鉄の棺が出来上がるところだったが、直前に防がれた。


 マウスの前面に巨大な空中方陣が形成され、黒い火炎を弾いた。ユナモが展開した結界だった。


 火炎は数十秒にわたり投射されたが、方陣によってマウスは無事だった。


 本郷は展望塔の視察窓から一連の光景に圧倒され、見守るしかなかったが、混乱から立ち直ることはできた。月獣の攻撃は予想外だったが、結果的にユナモの機転によって救われた。ならば成すべきことに変わりは無かった。それも迅速に行う必要がある。月獣が、あの恐ろしい火炎を吐き出してくる前になさねばならない。


「ユナモ、すぐに反応爆弾を起爆してくれ」


 ユナモから返事はなかった。本郷は嫌な予感を覚えながらも言い直した。


「ユナモ、起爆ディトナティオンだ」


 まもなく苦しげなうめき声が無線機から聞こえてきた。


『うう……』


「ユナモ……どうした!?」


 マウスの砲塔と操縦席は分断されているため、車体前部を確かめる術はなかった。しかし、何かが起きたのは明らかだった。先ほどの月獣の攻撃によって、ユナモに異常が生じたのかも知れない。


 本郷の予測は当たっていた。ユナモは月獣の火炎を魔導で防いだ際に、過剰なまでに魔力を消耗していた。ユナモが非力であったわけではない。月獣の火炎が異常なほど高威力だったのだ。


「ユナモ、しっかりするんだ!」


 本郷は必死の呼びかけたが、ユナモが応えることはなかった。彼は意を決すると、展望塔の天蓋に手をかけた。


 彼の意図を察知した砲手が血相を変えた。


「中佐、まさか……」


「ここを頼む」


 言い終わるや、本郷は展望塔から飛び出し、車体前部へ向った。すぐに天蓋を開く。


「ユナモ、大丈夫か!」


 内心で莫迦な問いかけをしたと本郷は思った。目前の小鬼は明らかにぐったりとし、ピクリとも動かなかった。


 本郷は操縦席に身を滑り込ますと、ユナモを横たわらせた。脈はあるようだが、顔が青ざめており、完全に昏睡している。


―万事休すか……。


 操縦席の視察窓から月獣が見える。再びのその口が開かれようとしていた。口腔部の奥から、黒い霧が漏れ出ている。


『中佐、月獣が……』


 無線機から砲手の呻きが聞こえた。


「ああ、わかっている」


 奇妙なほど本郷は落ち着いていた。脳裏に家族の情景が思い浮かんでいる。


 玄関を開くと、妻が迎えにきて、続いて長女が現れる。長男は学校からちょうど帰宅したところだった。彼の妻は少しだけ驚いた表情を浮かべ、続いて柔和な笑みで夫が連れてきた小さな女の子について尋ねる。本郷は、角の生えた家族が増えることについて、弁解することになるはずだった。


「すまない……」


 彼が知る全てのものへ向けた言葉だった。


 月獣から黒い火炎が放たれる。


 大気を黒く焦がしながら、三本の禍々しい黒い火炎が伸びていく。しかし、それらはまったくバラバラな軌道を描くことになった。


 何者かが月獣の頭部へ赤い光弾を叩き込んだためだった。光弾は三つの頭部に吸い込まれるように命中し、火炎の軌道をマウスから逸らしていた。


 一部始終を見ていた本郷は、車体から身を乗り出し、光弾が放たれた方へ目を向けた。


「ユナモ、お姉さんが来たよ」


 <宵月>がいた。




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