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月獣(Moon Beast):8


 月獣に終末を告げに来た使徒が、そこにいた。


「黄昏のふね……」


 赤く輝く<宵月よいづき>を見て、本郷は呟いた。


 <宵月>はマウスから見て、右方向の上空を低速で移動していた。月獣と並行する形で南進している。目測で高度は百メートルほどで、距離は相対距離は五千メートルほどだった。遠目で見ても、その様子はスペリオール湖で別れたときと異なっていることがわかった。船体全体が赤い光を放ち、巨大な方陣が縦横にわたって幾重にも展開されていた。方陣を形成する帯は、<宵月>を中心に回転している。帯には文字らしきものが描かれているが、解読できる人間はいなかった。


 月獣は<宵月>を明確な脅威として認識したようだ。前後の五つの頭部が鎌首をもたげ、<宵月>を指向すると、一斉に咆哮を上げた。それは悲鳴とも怒号とも聞こえるものだった。五つの首がそれぞれの思いのたけを叫んでいるようだった。


 本郷は恐怖を覚えながらも、説明不能な呵責を覚えていた。あれは吼えたのではなく、啼いたのではないかと思った。


 <宵月>の反応は全く容赦がないものだった。使用可能な火器である前部甲板の第二砲塔と後部の第三、第四砲塔が、それぞれ指向する。各砲塔には、砲口を中心に小型の方陣が展開されていた。方陣は回転数を上げると、赤い光輪が砲身を包み込んだ。


 間髪入れず、全砲門が火を噴く。


 発射された百二十ミリの徹甲弾は紅い光の螺旋に包まれ、炎の尾を帯びながら、月獣の頭部へ向っていく。


 前後、二つずつ、合計四つの頭部に着弾すると、大輪の火炎が咲いた。魔導によって硬度と初速を強化され、さらに摩擦熱で溶解寸前となった徹甲弾は致命的な破壊をもたらした。


 絶叫と同時に、黒い血しぶきが頭部から流れ、鎌首が次々と倒れていく。


 唯一無事だったのは、前部中央の頭部だけだったが、ほどなくして同じ境遇を迎えることになった。


 <宵月>の全砲門から次弾が発射され、中央頭部を吹き飛ばした。柘榴のように破裂した頭部の一部が落下し、後を追うように残された頸椎部が倒れ落ちた。


 さらに次々と百二十ミリの徹甲弾が灼熱の矢となり、月獣に叩き込まれた。そのたびに月獣から黒い血しぶきが噴き出し、奇怪な悲鳴が大気を切り裂いた。


 <宵月>が圧倒しているのは明らかだった。


 しかし、月獣が動きをとめることはなかった。


 月獣は灼熱の鉄芯を打ち込まれながらも、驚異的な回復力で、吹き飛ばされた頭部が再生し、徹甲弾の炸裂で飛び散った傷口が塞がれていく。


 突然のことだった。<宵月>の射撃が止んだ。


「弾切れか……?」


 本郷は目前で繰り広げられる神話的な戦闘に圧倒されながらも、軍人としての思考を手放さなかった。ここで手放したら正気を失うような危機感があった。


 双眼鏡で<宵月>の前部砲塔を確認する。すぐに理由の見当がついた。砲身が真っ赤な鉄棒と化している。砲弾の加熱に堪えられず、過熱オーバーヒートを起こしているのだ。冷却しなければ次弾を放つことはできないだろう。


 月獣は本能的に反撃の機会を得たことに気がついた。


 背面から無数の針が放たれ、<宵月>に襲いかかった。



【シカゴ郊外上空 駆逐艦<宵月>】



 敵獣から無数の黒い針が放たれるのが見えた。


「総員、耐衝撃! 手近なものにつかまれ」


 艦長席に座ったまま、儀堂は喉頭式マイクを押さえた。


「ネシス、頼む!」


『任せよ』


 ネシスは<宵月>の周囲に防御結界を展開し、さらに回避運動を行った。<宵月>は艦首を下げ、突っ込むように低空へ降下する。無数の黒い線が上空をすり抜けていく。そのまま<宵月>は月獣の正面へ回り込んだ。


「砲身が焼け付くとは予想だにしませんでした」


 艦橋内の手すりに身体を固定した興津が苦しげに言った。<宵月>の無茶な機動を行ったため、危うく倒れ込むところだった。


「あと数秒遅ければ、砲塔もろとも破裂するところでした」


「戦場は例外だらけさ。だいたい、オレが今ここに座っていられるのだって予想外じゃないかい?」


 儀堂はからかうように言った。この危機的状況を楽しんですらいるようだった。


「ええ、それは否定はしませんが……」


 興津は何と応えれば良いかわからなかった。心の底では、恐怖に近い感情を懐いている。無理もないだろう。彼の上官は重傷を負い、数時間前まで生死の境を彷徨っていたはずだ。それがどういうわけか何事もなかったように、無事な姿で艦長席に座っている。あまつさえ笑みすら浮かべているのはどういうことだ。本当にこいつはオレの上官なのか。


「その、艦長はどこも異常は無いのですか?」


 興津は得体の知れぬものを見ているようだった。儀堂は悪ふざけが過ぎたと思ったのか、いつものように能面を浮かべたような顔に戻った。


「オレかい? ないわけじゃないが、些細なことだよ。当面の戦闘に支障はない。それで十分だろう?」


「ええ……」


「とにかくオレの身体のことはあとだ。まずは、あの月獣を始末する」


 儀堂はそっと目をつぶり、喉頭式マイクを切り替えた。


「ネシス、お前の魔導で砲身を冷やせるか」


『やれなくはないが、今の術式を解く必要がある。少々面倒じゃな』


「わかった」


 続けざまに興津へ目を向ける。


「すぐに応急班を各砲塔へ向わせるんだ。消火用水で砲身を冷却させる。ネシス、その間、月獣の攻撃を防いでくれ。今のお前ならば出来るだろう」


『無論じゃ。造作も無かろう』


 <宵月>の艦内が慌ただしくなった。応急班の兵士は消火ホースを運び出し、二番から四番砲塔の冷却を行い、ネシスは月獣から攻撃を結界で弾き続けた。


 月獣は<宵月>に向って火炎を放ち、背中から針の雨を降らしてきた。針は至近で爆発し、船体が衝撃で揺らされるもネシスの結界のおかげで直撃は免れている。


 儀堂は艦長席に掴まりながら、通信室へ回線を繋いだ。


「すぐに地上の本郷中佐との回線を開いてくれ。まだ重戦車の中にいるはずだ」


 まもなくマウスの本郷と無線がつながった。


「儀堂です。本郷中佐、ご無事ですか?」


『ああ、助かったよ。ありがとう。こちらは何とかなっている』


「すぐにここから退避してください」


『そうしたいのはやまやまなんだがね。わけあって、動けないんだ』


 本郷は端的に事実を要約して伝えた。儀堂はすぐに状況を理解した。


「ネシス、お前の魔導で反応爆弾を起爆できないか」


『すまぬが、さすがにここではできん。妾がその爆弾までたどり着ければ話は別じゃが』


「ユナモが何か魔導を仕掛けたらしいが、それを引き継ぐのは?」


『それはもっと無理じゃ。解読に時間がかかるうえ、どのみち爆弾の近くに寄らなければならぬ。お主よ、ユナモはどうなっておるのじゃ。あやつが発現させるのが早かろうに。妾が呼びかけても応えぬぞ。何があったのじゃ?』


「魔導の使いすぎで昏倒したらしい」


 ネシスは一瞬黙り込むと、弾けたように嗤い出した。


『なんじゃ、そんなことか。ならば話が早い。ホンゴーへ伝えよ。お主の血をくれてやれとな』


「おい、まさかオレと同じ目に遭わせる気か?」


 低い声で儀堂は問うた。ネシスは呆れたように言い返す。


『莫迦者め。アレに比べれば児戯に等しいものよ。二、三滴でよいからホンゴーの血をわけてやれ。他に用がないなら妾は切るぞ。れいきゃくとやらが終わったらしいからのう。すぐに月獣かのものの相手をしてやらねば……儀堂、妾は早く終わらせたいのじゃ』


「……ああ、わかっているよ」


 月獣の正面にいる<宵月>から、その形相が見えた。苦悶と怨嗟に歪んでいる。それは明らかに知性を持ったものの反応だった。


 儀堂は喉頭式マイクを切り替えた。


『本郷中佐、この地獄を終わらせましょう』 


 ほどなくして同意が得られた。



【シカゴ郊外 VIII号戦車マウス】


―これで回復するのならば、次から輸血パックを携行した方がよいかもしれないな。


 指先をナイフで切りながら、本郷は思った。ユナモは本郷の血を二、三滴ほど口に含むとすぐに目を覚ました。


「ホンゴー……?」


 ユナモの顔色が急速に回復し、瞳に色が戻っていく。


「大丈夫か?」


「うん」


 眠たげに目をこすりながらも、ユナモは操縦席へ戻った。


「ホンゴー、どうなっているの?」


「<宵月>が、君のお姉さんが助けに来てくれたんだよ」


「ネシスが?」


「ああ」


 本郷は車外を指さした。ユナモは紅く煌めく<宵月>を目にした。


「ネシス……うん、わかった」


 誰にともなくうなずくユナモを見て本郷は怪訝に思った。


「どうかしたのか?」


「ううん、なんでもない。本郷、あの爆弾を使う。わたしはもう大丈夫。ホンゴーは戻って」


 本郷はユナモをまじまじと見た。無理をしているわけではなさそうだ。


「よし、わかった。起爆は僕の合図を待つんだよ」


「うん、待つ」


「良い子だ」


 本郷はユナモの頭を軽く撫でると、天蓋ハッチを開き、車長席へ戻った。


 砲塔内の車長席から本郷は<宵月>へ呼びかけた。


「こちらアズマ……いや本郷だ。儀堂少佐、準備は出来ている。後は君ら次第だ」


『こちら儀堂、宜候。あなたたちは、可能な限り離れてください。月獣は我々が引きつけます』


「頼む」


 一呼吸おくと、続けて念を押すように本郷は尋ねた。


「儀堂少佐、よもや靖国へ行くわけではないだろうね?」


 数秒遅れて儀堂から返信があった。


『いいえ、中佐。そのつもりはありません。それに恐らく自分は靖国へ行けない・・・・でしょう』


「行けない?」


『大した意味はありません。とにかく自分は生きて戻ります。お互い生身で再会しましょう』


「ああ、そうしよう……通信終わり」


 釈然としない気持ちを抱きながら、本郷は回線を車内に切り替えた。


「ユナモ、旋回百八十度、月獣から距離を置こう」


了解ヤヴォール


 マウスは信地旋回を行い、月獣に背を向けると、そのまま全速で離脱を開始した。


 展望塔キューポラの視察窓から遠ざかる月獣と<宵月>を見送った。


 <宵月>の砲塔から橙色の煌めきが見えた。




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