「『深海生物観察部』って知ってる?」
隣の席の
……いや、あるわけないでしょ、中学校にそんなの。「バードウォッチング部」ならあるが、深海生物を観察する部活の話は聞いたことがない。近所には水族館も漁港もない。どうやって観察するんだ。
「あら、信じてくれてないようね。じゃあ、あれはどう説明するの?」
彼女が指さす先には、「深海生物を一緒に観察しよう!」という一文が添えられたポスターが貼られていて、チョウチンアンコウのイラストが写実的に描かれている。写真じゃないあたり、本当に観察して描いたとしか思えない。
「ポスターがあるのなら、部活があるはずよ。でも、先生に確認しても『そんな部活はない』の一点張り。
「あのー、東雲さん? いきなり名前呼びはどうかと思うよ。さっき知り合ったばかりなんだから」
くじ引きをして席替えしたばかりだし、三年生になるまで一緒のクラスになったこともない。サラッと名前で呼ぶあたり、東雲さんはフランクな性格らしい。
「ずっと他人行儀よりはいいと思うんだけど」
「まあ、分かるけどさ……。って、待った! 僕は自己紹介で名前を言った覚えはないよ?」
自己紹介では「
「そうね。でも、私には分かるわ」
東雲さんは、謎めいた笑顔を浮かべている。
「じゃあ説明してよ。どうして、名前を知っているのか」
彼女はもったいぶることなく「そのノートの表紙に書かれているじゃない」と、一言。なんだ、期待して損した。
「じゃあ、中身を当ててあげる。それには、自作の小説が書かれてるわ」
「東雲さん、声が大きいよ」
これは秘密のノートだ。誰にも知られてはいけない。「小説家希望だ」ということを。
「ごめん、知られたくなかったのね」
「まあね。でもさ、なんで分かったの? 小説だって」
さっき、ノートを落としたが中身をじっくり見る余裕はなかったはずだ。
「チラッと中身が見えた時、縦書きだったわ。つまり、日本語ってわけ」
「なるほど、確かにそうだ。でも、国語のノートかもよ?」
「それはないわ。今日の授業は数学と英語だけよ。それに、ルビがふられてた。小説と推理するのが自然よ」
推理。その言葉は、一番好きな言葉だ。なぜなら――。
「そして、目指しているのはミステリー作家。違う?」
まさか、ジャンルまで当てられるなんて。出会ってしまったのかもしれない。理想の名探偵に。
「さあ、探しに行きましょう。『深海生物観察部』を」
「それで、ありもしない部活をどうやって探すんだ?」
問題のポスターを観察しても連絡先の記載はないし、他にこれといった手がかりもない。完全に手詰まりだ。
「真、諦めるのが早すぎるわ。これだけ写実的な絵を描けるなら、まずは美術室を訪ねるべきよ。美術部員がイタズラで書いたかもしれないから」
「なるほどね。でも、こんな手が込んだイタズラするかなぁ」
イタズラをする暇があれば、腕を磨くべく色々な絵を描くべきだろう。チョウチンアンコウにこだわる必要はない。深海生物なら何を描いてもいいのだ。たとえ、シーラカンスだろうと。
「『なぜ、手の込んだイタズラをするのか』という謎を解くのが、ホームズとワトソンの腕の見せ所でしょ」
どうやら、僕はワトソンになったらしい。まあ、探偵の活躍を書くのが夢なのだから、あながち間違いではない。
「さっそく、美術室に行きましょう。私は観察に徹するから、質問役をお願い」
大役を任されたわけだが、まさか「探偵は顔がばれると、今後の活動に支障がでるから」なんて考えてないよな……?
その時、彼女がほほ笑んだ。まるで「その通り」と言うかのように。
「それで、うちの部に何の用? 入部希望者が多くて忙しいの。手短にね」
美術部の部長は「忙しい」の部分をやたらと強調してくる。嫌味ではなく、うれしい悲鳴のようだ。
「ええ、もちろん。最近、深海生物ばかり描いている部員はいませんか」
「どういうことかしら」
事情を説明すると「面白い話ね」と興味を持ったが、該当する部員はいないとの返事だった。
「彼らは何をしてるのかしら」
東雲さんが後ろからひょっこり姿を現すと、同じ絵を描いている部員たちを指さす。
「ああ、あれね。うちは美術部でしょ? だから、レベルアップも兼ねてポスターは全部手書きなの」
「へえ。だから、美術部のポスターは同じ絵でも画風が違うんですね」
ポスターは写実的なものもあれば、ピカソのように抽象的なものもある。
「あのポスター見てもいいかしら」
東雲さんは、写実的なポスターを描いてる部員のもとへ行くと何やら観察しだす。
「なるほどね……」
「ちょっと、一人で納得しないでよ。何か意図があるんでしょ?」
「ああ、ごめん。真、このポスターはとても素敵よ。深海生物のポスターもよく描かれているわ。でもね、決定的な違いがあるの」
スマホで撮った「深海生物観察部」のポスターを見せてくる。
「違い? 僕には分からないな……」
「深海生物の方は、輪郭がブレてるわ。もう少し正確に言えば、『迷いを感じられる』。絵がうまいのに、迷いを感じる。不思議じゃない?」
よく見てみると、自信がないのか線がひょろひょろとしている。
「これ以上、美術部にいても手がかりは得られそうにないわ。もう一度、例のポスターのところに行きましょう」
「ねえ、東雲さん」
「呼び捨てで構わないわ。私も真呼びなんだから」
今朝知り合ったばかりの人を呼び捨てにするのは抵抗がある。しかし、距離を縮めるには最適かもしれない。
「じゃあ、遠慮なく。東雲、深海生物のポスター、一枚じゃないみたいだよ」
僕の視線の先には、例のポスターが掲示板に貼られていた。不気味なチョウチンアンコウが、謎を深めている。
「あら、いまさら気づいたの? 付け加えると、必ず隣には写真部のポスターが貼られてる」
「ちょっと傷つくな。写真部のポスターをよく見ると思ったら、それが原因か」
「行き先変更よ。写真部に行きましょう。謎の鍵を握ってるかもしれないから」
「写真部が……?」
「ええ。もう少し正確に言うと、推理が合っているか確認のためよ」
「ここが、写真部の部室……のはずだけど」
そこは、校舎の片隅でお世辞にもきれいとは言いがたい。
「先生に聞いたんだから間違いないわ。自信を持ちなさい。それじゃ、良質なミステリーは書けないわよ。トリックに自信がなくちゃ、読者も不安になるわ」
そうかもしれない。「ミステリー作家になりたい」という想いが強いことに自負はあるけれど、トリックには自信がない。東雲の推理ショーを見て、「これぞ、探偵のあるべき姿」というのを学ばせてもらおうか。
ガラッと音をたててドアを開くと、ひょろりと背の高い男子生徒がいた。おそらく写真部の部長だろう。部屋の状態から考えるに部員は一人に違いない。机は一つだけ。それだけではない。部屋に飾られた写真の構図はどれも似ている。同一人物が撮ったからだろう。
「も、もしかして、入部希望者かい?」
部長の目は輝いているが「謎の調査のため」と言うと、「ああ、あれね」と落胆した。
「結論から言うわ。『深海生物観察部』のポスターをでっちあげたのは、あなたね」
え、この部長が犯人?
「東雲、待ってくれ。いきなり結論を言われても……」
「あら、悪いかしら。ホームズだって先に結論から言うでしょ? 彼も言ってるじゃない。推理をすっ飛ばして答えだけ言えば、まるで手品のように見えて周りが驚くって」
そんなセリフがあった気がする。それに、東雲の指摘に驚いたのは事実だ。
「まず、ポスターのチョウチンアンコウだけど、輪郭がブレてたのは覚えてるわよね?」
「もちろん。忘れるほど鳥頭じゃないさ」
東雲は「よかったわ」と一言。もしかして、バカにされてるのか?
「あれは、写真を上からなぞったからよ。トレーシングペーパーを使って。二つ目。必ず写真部のポスターが隣にあった。真はどういう印象を持ったかしら?」
「印象というか、写真部をよく見るなくらいだけど」
「そう、それがこの事件を解く鍵よ。不思議なポスターと写真部のポスターはセット。つまり、アンコウのポスターで目を引いて、写真部の印象を強くしようとしたのよ」
「黙って聞いてれば、言いたい放題言いやがって!」
さすがに、部長も頭にきたらしい。だが、東雲の推理ショーは止まらない。
「そして、最後。私たちが例のポスターの話をしたら『ああ、あれね』って言ったわ。他の生徒は不思議がるのに当事者は違う。それは、自分であちこちに貼ったからよ。それも、すべては写真部存続のため。一人じゃ部活として成立しないもの」
部長は「そこまでお見通しか」とため息をつく。
「勝手にポスターを貼るのはいただけないわね。うちの校則じゃ、禁止されてるわ。それに、不思議なポスターで気を引くなんて、まるでチョウチンアンコウじゃない。獲物を引き寄せるために、擬似餌を使うみたいだわ」
「ちょっと、東雲。言い過ぎだよ!」
「事実を言ったまでよ。でもね、それだけ必死なのは写真を愛しているから。何かに一途なのは素敵なこと。それなら、正攻法を使うべきよ。写真への愛をぶつけるのが一番。違うかしら?」
「……確かに、君の言うとおりかもしれない。でも、たった一人でやれることは限られてるんだ」
「そうかもね。私の記憶が正しければ、部員が三人以上の部活は体育館で部活アピールの時間がもらえるはずよ。そして、そのイベントは明日」
「おいおい、東雲。そりゃ無茶苦茶だよ。今から二人集めるなんて。いや、もしかして……」
「そう、ここには三人いるわ。私たちが一日だけ入部する。明日のイベントで彼が写真部の魅力を伝えるには十分でしょ? 入部希望者が来るかは、彼次第」
「ほ、本当かい」
「ええ、もちろんよ。さあ、準備をするのよ。あくまで私たちは幽霊部員なんだから」
部長は鼻歌を歌いながら隣の部屋に消えていく。
「東雲は探偵の素質があるよ。いや、名探偵だ。それだけじゃない。問題を根本から解決するなんて、普通じゃできないよ」
「そうかしら。私は不気味なポスターを見たくないから、この手段をとっただけよ。真は買い被りすぎよ」
東雲は、ロングの黒髪を耳にかけながら否定する。顔は夕暮れに照らされている。だが、僕は見た。彼女の耳が赤くなるのを。