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第1話 深海より深い校内ミステリー

「『深海生物観察部』って知ってる?」


 隣の席の東雲しののめさんが、突然そんな部活の名前を出してきた。


 ……いや、あるわけないでしょ、中学校にそんなの。「バードウォッチング部」ならあるが、深海生物を観察する部活の話は聞いたことがない。近所には水族館も漁港もない。どうやって観察するんだ。


「あら、信じてくれてないようね。じゃあ、あれはどう説明するの?」


 彼女が指さす先には、「深海生物を一緒に観察しよう!」という一文が添えられたポスターが貼られていて、チョウチンアンコウのイラストが写実的に描かれている。写真じゃないあたり、本当に観察して描いたとしか思えない。


「ポスターがあるのなら、部活があるはずよ。でも、先生に確認しても『そんな部活はない』の一点張り。まことも知らないのね」


「あのー、東雲さん? いきなり名前呼びはどうかと思うよ。さっき知り合ったばかりなんだから」


 くじ引きをして席替えしたばかりだし、三年生になるまで一緒のクラスになったこともない。サラッと名前で呼ぶあたり、東雲さんはフランクな性格らしい。


「ずっと他人行儀よりはいいと思うんだけど」


「まあ、分かるけどさ……。って、待った! 僕は自己紹介で名前を言った覚えはないよ?」


 自己紹介では「氷室ひむろです。一年間よろしくお願いします」と、ありきたりな挨拶をしたはずだ。中学校も今年が最後。早く高校生になって、つまらない毎日に別れを告げたいと思っていたから。


「そうね。でも、私には分かるわ」


 東雲さんは、謎めいた笑顔を浮かべている。


「じゃあ説明してよ。どうして、名前を知っているのか」


 彼女はもったいぶることなく「そのノートの表紙に書かれているじゃない」と、一言。なんだ、期待して損した。


「じゃあ、中身を当ててあげる。それには、自作の小説が書かれてるわ」


「東雲さん、声が大きいよ」


 これは秘密のノートだ。誰にも知られてはいけない。「小説家希望だ」ということを。


「ごめん、知られたくなかったのね」


「まあね。でもさ、なんで分かったの? 小説だって」


 さっき、ノートを落としたが中身をじっくり見る余裕はなかったはずだ。


「チラッと中身が見えた時、縦書きだったわ。つまり、日本語ってわけ」


「なるほど、確かにそうだ。でも、国語のノートかもよ?」


「それはないわ。今日の授業は数学と英語だけよ。それに、ルビがふられてた。小説と推理するのが自然よ」


 推理。その言葉は、一番好きな言葉だ。なぜなら――。


「そして、目指しているのはミステリー作家。違う?」


 まさか、ジャンルまで当てられるなんて。出会ってしまったのかもしれない。理想の名探偵に。


「さあ、探しに行きましょう。『深海生物観察部』を」





「それで、ありもしない部活をどうやって探すんだ?」


 問題のポスターを観察しても連絡先の記載はないし、他にこれといった手がかりもない。完全に手詰まりだ。


「真、諦めるのが早すぎるわ。これだけ写実的な絵を描けるなら、まずは美術室を訪ねるべきよ。美術部員がイタズラで書いたかもしれないから」


「なるほどね。でも、こんな手が込んだイタズラするかなぁ」


 イタズラをする暇があれば、腕を磨くべく色々な絵を描くべきだろう。チョウチンアンコウにこだわる必要はない。深海生物なら何を描いてもいいのだ。たとえ、シーラカンスだろうと。


「『なぜ、手の込んだイタズラをするのか』という謎を解くのが、ホームズとワトソンの腕の見せ所でしょ」


 どうやら、僕はワトソンになったらしい。まあ、探偵の活躍を書くのが夢なのだから、あながち間違いではない。


「さっそく、美術室に行きましょう。私は観察に徹するから、質問役をお願い」


 大役を任されたわけだが、まさか「探偵は顔がばれると、今後の活動に支障がでるから」なんて考えてないよな……?


 その時、彼女がほほ笑んだ。まるで「その通り」と言うかのように。





「それで、うちの部に何の用? 入部希望者が多くて忙しいの。手短にね」


 美術部の部長は「忙しい」の部分をやたらと強調してくる。嫌味ではなく、うれしい悲鳴のようだ。


「ええ、もちろん。最近、深海生物ばかり描いている部員はいませんか」


「どういうことかしら」


 事情を説明すると「面白い話ね」と興味を持ったが、該当する部員はいないとの返事だった。


「彼らは何をしてるのかしら」


 東雲さんが後ろからひょっこり姿を現すと、同じ絵を描いている部員たちを指さす。


「ああ、あれね。うちは美術部でしょ? だから、レベルアップも兼ねてポスターは全部手書きなの」


「へえ。だから、美術部のポスターは同じ絵でも画風が違うんですね」


 ポスターは写実的なものもあれば、ピカソのように抽象的なものもある。


「あのポスター見てもいいかしら」


 東雲さんは、写実的なポスターを描いてる部員のもとへ行くと何やら観察しだす。


「なるほどね……」


「ちょっと、一人で納得しないでよ。何か意図があるんでしょ?」


「ああ、ごめん。真、このポスターはとても素敵よ。深海生物のポスターもよく描かれているわ。でもね、決定的な違いがあるの」


 スマホで撮った「深海生物観察部」のポスターを見せてくる。


「違い? 僕には分からないな……」


「深海生物の方は、輪郭がブレてるわ。もう少し正確に言えば、『迷いを感じられる』。絵がうまいのに、迷いを感じる。不思議じゃない?」


 よく見てみると、自信がないのか線がひょろひょろとしている。


「これ以上、美術部にいても手がかりは得られそうにないわ。もう一度、例のポスターのところに行きましょう」





「ねえ、東雲さん」


「呼び捨てで構わないわ。私も真呼びなんだから」


 今朝知り合ったばかりの人を呼び捨てにするのは抵抗がある。しかし、距離を縮めるには最適かもしれない。


「じゃあ、遠慮なく。東雲、深海生物のポスター、一枚じゃないみたいだよ」


 僕の視線の先には、例のポスターが掲示板に貼られていた。不気味なチョウチンアンコウが、謎を深めている。


「あら、いまさら気づいたの? 付け加えると、必ず隣には写真部のポスターが貼られてる」


「ちょっと傷つくな。写真部のポスターをよく見ると思ったら、それが原因か」


「行き先変更よ。写真部に行きましょう。謎の鍵を握ってるかもしれないから」


「写真部が……?」


「ええ。もう少し正確に言うと、推理が合っているか確認のためよ」





「ここが、写真部の部室……のはずだけど」


 そこは、校舎の片隅でお世辞にもきれいとは言いがたい。


「先生に聞いたんだから間違いないわ。自信を持ちなさい。それじゃ、良質なミステリーは書けないわよ。トリックに自信がなくちゃ、読者も不安になるわ」


 そうかもしれない。「ミステリー作家になりたい」という想いが強いことに自負はあるけれど、トリックには自信がない。東雲の推理ショーを見て、「これぞ、探偵のあるべき姿」というのを学ばせてもらおうか。


 ガラッと音をたててドアを開くと、ひょろりと背の高い男子生徒がいた。おそらく写真部の部長だろう。部屋の状態から考えるに部員は一人に違いない。机は一つだけ。それだけではない。部屋に飾られた写真の構図はどれも似ている。同一人物が撮ったからだろう。


「も、もしかして、入部希望者かい?」


 部長の目は輝いているが「謎の調査のため」と言うと、「ああ、あれね」と落胆した。


「結論から言うわ。『深海生物観察部』のポスターをでっちあげたのは、あなたね」


 え、この部長が犯人?


「東雲、待ってくれ。いきなり結論を言われても……」


「あら、悪いかしら。ホームズだって先に結論から言うでしょ? 彼も言ってるじゃない。推理をすっ飛ばして答えだけ言えば、まるで手品のように見えて周りが驚くって」


 そんなセリフがあった気がする。それに、東雲の指摘に驚いたのは事実だ。


「まず、ポスターのチョウチンアンコウだけど、輪郭がブレてたのは覚えてるわよね?」


「もちろん。忘れるほど鳥頭じゃないさ」


 東雲は「よかったわ」と一言。もしかして、バカにされてるのか?


「あれは、写真を上からなぞったからよ。トレーシングペーパーを使って。二つ目。必ず写真部のポスターが隣にあった。真はどういう印象を持ったかしら?」


「印象というか、写真部をよく見るなくらいだけど」


「そう、それがこの事件を解く鍵よ。不思議なポスターと写真部のポスターはセット。つまり、アンコウのポスターで目を引いて、写真部の印象を強くしようとしたのよ」


「黙って聞いてれば、言いたい放題言いやがって!」


 さすがに、部長も頭にきたらしい。だが、東雲の推理ショーは止まらない。


「そして、最後。私たちが例のポスターの話をしたら『ああ、あれね』って言ったわ。他の生徒は不思議がるのに当事者は違う。それは、自分であちこちに貼ったからよ。それも、すべては写真部存続のため。一人じゃ部活として成立しないもの」


 部長は「そこまでお見通しか」とため息をつく。


「勝手にポスターを貼るのはいただけないわね。うちの校則じゃ、禁止されてるわ。それに、不思議なポスターで気を引くなんて、まるでチョウチンアンコウじゃない。獲物を引き寄せるために、擬似餌を使うみたいだわ」


「ちょっと、東雲。言い過ぎだよ!」


「事実を言ったまでよ。でもね、それだけ必死なのは写真を愛しているから。何かに一途なのは素敵なこと。それなら、正攻法を使うべきよ。写真への愛をぶつけるのが一番。違うかしら?」


「……確かに、君の言うとおりかもしれない。でも、たった一人でやれることは限られてるんだ」


「そうかもね。私の記憶が正しければ、部員が三人以上の部活は体育館で部活アピールの時間がもらえるはずよ。そして、そのイベントは明日」


「おいおい、東雲。そりゃ無茶苦茶だよ。今から二人集めるなんて。いや、もしかして……」


「そう、ここには三人いるわ。私たちが一日だけ入部する。明日のイベントで彼が写真部の魅力を伝えるには十分でしょ? 入部希望者が来るかは、彼次第」


「ほ、本当かい」


「ええ、もちろんよ。さあ、準備をするのよ。あくまで私たちは幽霊部員なんだから」


 部長は鼻歌を歌いながら隣の部屋に消えていく。


「東雲は探偵の素質があるよ。いや、名探偵だ。それだけじゃない。問題を根本から解決するなんて、普通じゃできないよ」


「そうかしら。私は不気味なポスターを見たくないから、この手段をとっただけよ。真は買い被りすぎよ」


 東雲は、ロングの黒髪を耳にかけながら否定する。顔は夕暮れに照らされている。だが、僕は見た。彼女の耳が赤くなるのを。

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