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第3話 誰も知らない売り切れの理由

 ある日、僕は近所の児童公園の前を通りがかって、奇妙なものを見つけた。


 すぐ隣の自動販売機。紙パックもペットボトルも並ぶ中で、缶だけがすべて売り切れていた。一般的には、缶よりもペットボトルの方がお得なはずだ。お金は少しかかるが、量が圧倒的に多い。少なくとも、僕ならペットボトル一択だ。


 冬ならば、カイロ代わりにポケットに入れるかもしれない。だが、今は冬ではない。カイロ代わりにするという推理は残念ながらハズレだろう。


 僕はジャケットの内ポケットから小さなノートを取り出し、ひとまずその光景をメモしておく。後で小説のネタに使えるかもしれない。これは「日常の謎」にぴったりだ。


 そのときだった。


「あら、奇遇ね」


 後ろから、どこか楽しげな声が聞こえた。振り返ると、私服姿の東雲がいた。制服姿しか知らなかったせいで、一瞬誰か分からず、言葉が詰まった。


「東雲……こんなとこで何してるんだ?」


「買い物の帰りよ。それより、面白いものを見つけたのね」


 東雲の視線も自販機に向けられている。


「これ、不思議だと思わないか? 缶だけ全部売り切れって」


 僕が指差すと、彼女はわずかに目を細めた。


「なるほど。真は、この自販機の謎を解こうとしていたわけね」


「そういうこと。ミステリー作家を目指すからには、これくらいの謎は解けなくちゃいけないからな」


 東雲は笑いながら「意識が高いのはいいことよ」と言う。


「それで、どんな推理をしたのかしら」


 僕は、思いついていた唯一の推理――「冬だったらカイロ代わりに買われたのでは」という説を説明した。だが、今はそれが成立しない季節。


「なるほどね。確かに冬なら、その推理が正解かもしれない。でも、今は季節が違う。真、他の可能性は思い浮かぶ?」


「いや、全然。思いついてれば、こんなところでボケーとしてないさ」


「そうね。連休だから、宿題がどっさりあるもの」


 近くのグラウンドでは、子供たちがサッカーをして楽しんでいる。小学生なら、連休中だからといって宿題が多く出されることはないだろう。少し、羨ましく感じた。


「なあ、東雲。カイロ説以外になにか説明がつきそうか?」


 東雲は、目をつむると何か考え込んでいる。推理をするためとは思えない。いつもなら、さらっと解いてみせるのだから。それとも、東雲でさえも解けない難問なのか?


「真。可能性は二つあるわ」


「二つ? 東雲にしては珍しいな。いつもなら、一つに絞り込んで、あっと驚かせるのに」


 東雲は、頭を振り「買い被りすぎよ」と、苦笑いしている。


「いくら私でも、状況証拠しかないなら断言できないわ」


「まあ、確かに『自販機の缶だけが売れている』っていう事実しかないからな」


「ええ。おそらく、ホームズでも推測しかできないはず。でも、可能性を提示するのが探偵としての仕事よ」


 東雲は、一瞬の間をあけると「缶蹴りって知ってる?」と問いかけてくる。


「さすがに知ってるよ。待てよ、もしかして……」


「たぶん、真にも一つ目の可能性が分かったんじゃないかしら」


「こういうことか? 缶蹴りをするために、空き缶が必要だった。だから、缶ばかりが売れた」


 東雲は、右足で缶を蹴る動作をする。


 どうやら、当たりらしい。だが、二つ目の可能性が思いつかない。ここが、東雲と僕の差か。悔しいが、名探偵の解答を待つしかなさそうだ。


「二つ目の可能性は、この立地が大きく関係しているわ」


「立地?」


 ここは、閑静な住宅街で、この児童公園が唯一の遊び場だ。だが、それ以上は分からない。


 僕が肩をすくめると、東雲はこう言った。


「ねえ、あそこでサッカーをしている子供たちの身長ってどれくらいかしら?」


「え? いや、せいぜい僕の胸元くらいじゃないか」


 そう言って、僕は自販機の前に立って、ペットボトルが並ぶ上段に手を伸ばしてみる。たしかに、小学生がボタンを押すには高すぎる。


「つまり、上段には届かない。買いたくても買えない。だから、下段の缶だけが売れる。そういうことか」


「そういうこと。このふたつの可能性――缶蹴り、そして子どもたちの身長。どちらも成り立つし、どちらかが真実かもしれない。あるいは、全然違う理由かもしれないけど」


 東雲は、さわやかな風に揺れる木々を見上げながら、肩をすくめて言った。


「世の中には、はっきりした答えがない謎もある。でも、それがいいのよ。すべてが分かってしまったら、推理も、小説も、きっとつまらなくなるから」


 彼女の言葉を聞きながら、僕も空を見上げた。雲ひとつない青空。そこに答えが書いてあるわけじゃないけれど――それでも、謎は確かに存在している。


 ノートを閉じ、僕は笑った。


「なるほど。じゃあ、これは僕だけの“未解決事件”ってことで、ネタ帳にストックしとくよ」


「いい考えね、作家志望さん」


 そう言って、東雲は軽く手を振り、街の角を曲がって歩き出した。


 僕は、赤く光る「売り切れ」の文字をもう一度眺め、そっと呟いた。


「次にここを通るとき、また別の謎が見つかるといいな」

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