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第10話 プリンの音が止まるとき

 録音ボタンを押した瞬間だった。


「ぷるぷるプリ〜ン、冷たくておいしいよ〜! 本日も冷やしプリンが絶好調〜!」


 教室の窓ガラスがびりびりと震えるような大音量が、部室に響き渡った。


「……また来た」


 望月が録音機材の前で力なく肩を落とす。指先は、ぴくりとも動かない。


「これで三回目ね」


 隣で冷静に波形モニターを見つめていた東雲が、モニターを指差した。


 そこには、確かに“ぷるぷる”の音がばっちりと録音されていた。


 季節は梅雨明け。蒸し暑い空気が放送室にじっとりと貼りついている。僕と東雲は、放送部のコンクール用の音声収録を手伝っていた。けれどこの数日、冷やしプリンの訪問販売カーが、ちょうど収録時間を狙ったかのように教室の外を通るのだった。


「もう、一週間ずっと来てるんだ」


 望月が疲れた声で言う。目元にはクマがあり、寝ている時も夢で冷やしプリンカーにうなされていることが簡単に想像できる。


「午前中に時間を変えても、午後にずらしても……。なんで録音しようとすると、あれが来るのか……」


「偶然にしてはタイミングが良すぎるわね」


 東雲が窓の外をじっと見つめる。冷やしプリンカーは、ゆっくりとグラウンド脇を横切っていた。軽トラックの荷台に設置されたスピーカーから、今もなお甘ったるいリズムが流れ続けている。


「でもあの音、止めることはできないよな?  営業妨害になるし……」


 僕は苦笑いを浮かべながら言った。


 そのとき、東雲が言った。


「なら――全部、買ってしまえばいいんじゃないかしら」


「……え?」


 僕と望月は、同時に東雲を見た。


「商品が売り切れれば、宣伝する必要はなくなる。音も止まる。プリンなら傷みやすいし、保存が利かないからその日の分しか積んでいないはずよ」


「なるほど……!」


 さすが東雲だ。とても僕には思いつかないことをさらりと提案してくる。


「しかも、プリンならクラスメイトに配れば喜ばれるでしょう? 私たちの印象アップにもなるし、フードロスの観点からも一石二鳥ね」


 理屈としては正しい。けれど――


「それって……つまり、買収ってことか……?」


「協力です。あくまで、静かな環境のための協力」


 冷静な顔で言い切る東雲に、僕と望月は顔を見合わせた。


 そして数時間後、僕たちはクラス中から小銭をかき集め、部費の一部と合わせて、軽トラックのプリン四十個を無事に“買取”することに成功した。


「ありがとうねぇ。こんなに買ってもらったの、初めてだよ」


 ドライバーの男性が、首にかけたタオルで汗を拭いながら笑った。


 その日、放送部の収録はついに静寂の中で行われた。収録終了の合図が出たとき、望月は小さくガッツポーズを取った。


 だが、僕の中には、まだ引っかかるものがあった。





 翌朝、僕は思い立って、冷やしプリンカーの運行ルートを調べてみた。何気なくネットで「〇〇市 冷やしプリン 軽トラック」と検索すると、意外な情報がヒットした。


「……え、常設じゃないのか」


 プリンカーは、日によって時間も場所も変えているらしい。近所で遭遇できるのは、かなりのレアケースだった。にもかかわらず――なぜか僕たちの録音時間に限って、ピンポイントで出現していた。


「東雲、ちょっと……確認したいことがある」





 その日の放課後。


 僕と東雲は、グラウンド裏の駐車スペースでプリンカーを見つけた。軽トラックの横で、スピーカーのコードを片付けていたのは、昨日と同じ男性だ。


「あら、お客さん。また食べたくなっちゃった?」


「ええと、突然ですみません。もしかして……赤坂先生の弟さん、ですか?」


 僕の問いに、男性はぱちりと目を瞬かせた。


「え、どうして分かったの?」


 確信した。


 赤坂先生は放送部の顧問。物静かで、滑舌の良い声を持つ声のプロだ。その口調と、目元の感じが、この人とそっくりだった。


「昨日、部の話をしたとき……どこにも書いていない録音スケジュールをご存知でしたよね? 先生から聞いて来てたんじゃないかと思って」


 男性――赤坂先生の弟さんは、申し訳なさそうに頷いた。


「その通り。兄貴が『今どきの騒音環境で、若い子たちは苦労してる』って言っててさ。ちょっと気になって、録音に支障がないか調べてたんだよ。まさか自分が一番うるさい音出してるとは思わなかったけど……」


「だから、録音時間を避けるつもりで来てたけど、うまくいかなかったんですね」


「そうそう。気をつければ気をつけるほど、録音時間にぶつかるっていう。もう、音の呪いかと。あんな大量に買ってくれるなんて思わなかったし。クラスで分けたんだって? 若いっていいねえ」


 そう言って、彼は軽トラックの扉をバタンと閉めた。


「今度はもっと静かな販売方法を考えてみるよ。せめてメロディじゃなくて旗にするとかさ」


「いえ、また食べたくなったら、音で知らせてください」


 僕はそう言って笑った。


 甘い音が止んで、静けさが戻った放送室。でも、心のどこかには、ほんのりとプリンのやさしい響きが残っている気がした。

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