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第13話 コンテナの呪い

 一限の体育。風が、まだ朝露の残るグラウンドを吹き抜けていく。


 運動着のズボンに着替えながら、僕は少しだけ空を見上げた。連休明けの空は不自然なほどに青く、どこか嘘くさい清々しさを感じさせた。身体は重く、心はまだどこか遠くにある。今日も一日が始まってしまったことを、ようやく受け入れようとしていた。


 そんな朝の始まりに、僕たちは、校舎裏に設置された白い仮設コンテナの前に並んでいた。つい昨日、工事用の資材搬入に伴って、急ごしらえで更衣室として設置されたものだ。もともとは荷物の運搬用に使われていたのだろう。角が錆びた、厚みのある鉄製の扉がそれを物語っていた。


 扉の蝶番は重たく、開けるたびに鈍く軋む音が響く。ギィ……という音が、静かな朝の空気を切り裂くようだった。順番が回ってきて、僕が扉を押し開けると、ひんやりとした空気が顔を撫でた。


「うわ、さっむ……!」


 思わず声が漏れた。まるで冷蔵庫の中にでも放り込まれたかのような、空気の密度が違う感覚。汗ばむほどの気温のはずなのに、足元からぞくりと冷たさが這い上がってくる。


 僕が入ったのは、コンテナの右端――つまり、入口から見て一番奥の方だった。だが、そこだけが明らかに異常なほど寒かった。冗談でも何でもなく、肌が直接冷気を撫でられているような感覚。


 周囲にいたクラスメイトも、次々にその異様さに気づき始めていた。


「なんか……こっちだけ異常に冷たくないか?」


 隣でシャツを脱いでいた町田が、肩をすくめながら言った。冬でもないのに、彼の吐いた息がほんのり白くなるように見えた。もちろん、見間違いだったかもしれない。でも、確かにそこには違和感があった。


「左側の方はそこまでじゃなかったぞ」


 そう言ったのは、先に着替え終えた山崎だった。彼は入口近く――つまり左側の方でさっさと準備を済ませていたらしい。彼の額にうっすら浮かんだ汗が、むしろ外気の温度を思い出させてくれる。


「やっぱり……呪いじゃね? このコンテナ、昨日見たとき、縦に立てかけられてたじゃん。変な置き方してたし」


 ふざけた調子で言ったのは村瀬だったが、その言葉に僕の思考が引っかかった。呪い。冗談めかしたその一言に、何かが脳裏をかすめた。


 ――縦に立てかけられていた?


 そうだ。昨日の放課後、たまたま校舎裏を通ったとき、僕はこのコンテナを見かけていた。確かに、それは異様な姿勢で立っていた。まるで背筋を伸ばすように、直立していた。長方形の“底”の面が、地面に接する形で、まるで棺桶を立てたような不気味さがあった。


 その姿勢が、今朝にはすっかり変わっている。横向きに寝かされ、扉が正面を向いた、一般的な“小屋”のような配置になっていた。


 ならば、僕が今立っている“右端”は、昨日までの“底”だった――つまり、ずっと地面に接していた部分ということになる。冷たさの理由。それが、なんとなく繋がった気がした。


 僕はそのままグラウンドに向かって歩き出した。整列に遅れないように足を速めながらも、頭の中ではさっきの寒さの理由を反芻していた。何かが繋がりそうで、まだ全てのピースがはまりきらないような、もどかしい感覚。


 そのときだった。


「真、冷気って下にたまるのよ」


 すぐ隣から、風のように静かな声が聞こえた。東雲だ。彼女はジャージの袖を直しながら、空を見上げるようにしていた。


 彼女の言葉はいつも突然で、核心を突く。


 僕は思わず立ち止まり、振り返った。


「つまり……」


 自分の考えを確かめるように、言葉を口にした。


「昨日まで縦に立っていたコンテナの“下”の部分が、今の右側に来ている。冷たい空気は下に溜まるから、その部分だけが極端に冷えてたってことか」


 東雲は、小さく頷いた。風が吹き、彼女の髪がさらりと舞い上がる。その瞳はまっすぐグラウンドを見つめていたけれど、その視線の端に、僕は微かな笑みを見た気がした。


「これくらい、分かって当然ね。ミステリー作家を目指すなら」


 言葉は少しだけ意地悪だった。でも、その声音にはからかいよりも、むしろ応援に近いものがあった。まるで、僕が自分で答えにたどり着くのを、ずっと待っていたかのような。


 僕は苦笑いを浮かべながら、ゆっくりと息を吐いた。


 風がまた、グラウンドを駆け抜けていった。朝の太陽は高く、地面を照らしているはずなのに、僕の中では、さっきまでの冷気がまだ体の芯に残っている気がした。


 けれど――それ以上に、胸の奥にじんわりと温かいものが広がっていた。



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