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第三十五話  薬家長への制裁

 時刻は昼過ぎ――。


 薬家長である鄭八戒こと俺は、薬家行の中に設けている会議室にいた。


 1人ではない。


 長卓を挟んだ向かい側の椅子には、日焼けしたような赤銅色の肌をした長身の男が座っていた。


 都合よくこの街に滞在していた、南方から来ていた商人の1人である。


 名前は周馬玄しゅう・ばげん


 普通の商人ではない。


 華秦国の南方全土を商域にしている、〈南華十四行なんか・じゅうよんぎょう〉と呼ばれている大商団に所属する商人であった。


 そんな〈南華十四行〉は南方において茶葉や薬草などを始め、煙草や乾物などの商品の流通のほとんどを仕切っている。


 しかも皇帝が住まう後宮に商品を持ち込む隊商の一翼も担っているため、商家行(商人ギルド)たちですら下手に出るほどの権力を持っていた。

「それでは鄭薬家長てい・やっかちょう、これらの代物はこの値段で取引するということに」


 商人は手にしていた算盤を慣れた手つきで弾くと、長卓の上に並べていた薬草の横にすっと置いた。


 きちんとこちらに金額が分かるよう配慮している。


 どれどれ、と俺は算盤に提示されていた金額を確認した。


「おお、こんなに……いやはや、これはたまげましたな!」


 目の前の馬玄殿から提示された金額を確認すると、俺はあまりの嬉しさに大声を上げてしまった。


 馬玄殿は俺が思っていたよりも高い金額を出してきたからだ。


「いえ、それはこちらの台詞ですよ。この街での一通りの取引が終わって次は北方へ向かう間際に、これほどの商品を手に入れられるとは思いもしませんでした」


 俺と同年代の馬玄殿も、思わぬ取引ができたことに喜んでいるようだった。


「申菽や杜茝などもそうですが、まさか龍肝草や断火芝、そればかりか玉華棠まで揃えた状態で売っていただけるとは……価千金とはまさにこのこと」


 馬玄殿はにこりと笑う。


「さすがは薬草街と言われる、中農の街の薬家長ですな。よほど優れた流通網をお持ちのようだ。それとも、どなたか優秀な道士と懇意にされているとか?」


「ははははっ、もちろん私ぐらいになりますと何人もおりますよ。それに本当ならば仙丹果もあったのですが、残念なことに他の者へ渡ってしまいましてな」


「何と仙丹果まで……それは残念でした」


「いえいえ、こちらこそ申し訳ない」


 などと自分でも大口を叩いたが、俺にそんな懇意にしている道士はいない。


 正直なところ、俺は道家行に属している道士が嫌いだった。


 適当な理由を並べては、採ってきた薬草の値段を吊り上げようとするからだ。


 中には堂々と盗品を持ち込む輩もおり、それが最近では西方の異国から来た人間にまで波及する始末だった。


 2日前にふらりと薬家行に現れた、道士と名乗る異国人の女がそうだ。


 最初こそ道士の資格すら疑ったが、何とその異国人の女は本物の道符を堂々と見せつけてきたのである。


 まったく、道家行の奴らの気が知れない。


 異国人にまで道士の資格を与えるとはどうかしている。


 俺は長卓に並べられた薬草と薬果を見回す。


 この薬草と薬果は、その異国人の女が持ち込んできた代物だった。


 念のため調べたが盗難届などは出されておらず、一概に盗品とは呼べない代物だったことが判明したのは後になってからだ。


 だが、ここにある代物はどう考えても第5級の道士が採れるものではない。


 あの異国人の女は仲間と採ったと主張していたが、同じ第5級の仲間が何十人いようとも採れる代物でないことは俺もよく知っている。


 間違いなく、嘘をついたのだろう。


 では、あの異国人の女は一体どういう経緯でこれらの代物を手に入れた?


 そのときの俺は少しばかり考えたものの、すぐに思考を切り替えてこれらの代物をどうするかを決断した。


 早々に誰かに高値で売り払ってしまおう。


 それも何とでも誤魔化しが効くような遠方に取引に行く商人に、と。


 こんな出所が不明の希少な薬草薬果を持っていては、いつどこで何かしらの危険に晒されるか分かったものではなかった。


 さりとて異国人の女を探し出して、謝罪とともに返すこともあり得ない。


 そんな時間と手間を掛けることは面倒でしたくなかった以上に、何よりあれだけ大勢の前で啖呵を切ったのだ。


 自分が間違っていたと訂正するなど俺の矜持が許さない。


 だからさっさと売ってすべてを無かったことにしようとしたとき、ちょうどこの街に滞在しているという商人のことを思い出した。


 俺はすぐにその商人に連絡を取ると、この薬家行の中に設けている会議室に来てもらって商談に移った。


 その商人こそ目の前にいる馬玄殿だ。


 そして馬玄殿を選んだのには理由がある。


〈南華十四行〉に所属している商人ならば高値で買ってくれると思ったことと、この街から遠く離れた北方へ商売に行くということを聞いていたからだ。


 これほど証拠隠滅に適した相手などいなかった。 


 などと俺が思っていると、馬玄殿は足元に置いていた高級そうな荷物入れを長卓の上に置いた。


「鄭薬家長……こうして商談が決まった早々に悪いのですが、私は次の商談へ向かう前に大切な方にご挨拶に行かねばなりませんので、ここらでお暇させていただきますよ。代金は外で待たせている従者が支払います」


 大切な方?


〈南華十四行〉の商人が、わざわざ街を出立するときに挨拶へ行くほどの相手が他にいるのか? 


 ……まあいい。


 何にせよ、こちらはこれで思わぬ臨時収入が入った。


 今夜は久しぶりに花街に繰り出して豪勢な遊びでもするかな。


 とは表情には微塵も出さず、俺は仕事で培った営業笑顔を馬玄殿に向けた。


「分かりました。こちらこそ、急に商談を持ち掛けてしまって申し訳ありませんでしたね。どうか道中――」


 お気をつけて、と口にしようとしたときだ。


「失礼いたします」


 と、1人の女が馬玄殿の従者とともに室内に入ってきた。


 非常に身なりの良い格好をした、馬玄殿と同じ赤銅色の肌をしている老婆だ。


 誰だ、このばばあは?


 俺は頭上に疑問符を浮かべた。


 まったく以て見知らぬ顔である。


 高級な絹の衣服を着ているということは、よほど裕福な金持ちなのだろう。


 この中農は薬士や医術者が多いことに加えて風光明媚な土地柄ゆえ、他の街で隠居した富豪や士大夫(貴族)が移り住んでいることも多かった。


 もしかすると、この婆もそんな1人なのかもしれない。


 だからといって、勝手にこんな場所に入ってくるなど非常識にもほどがある。


 なので俺は立ち上がると、婆に「おい!」と一喝した。


「どこの誰だかは知らないが、薬家長である私の許可なくここへ入ってくるなど無礼だぞ! さっさと出ていけ!」


「そうは参りません」


 婆は室内の温度が一気に下がるような声色で呟いた。


 私はその迫力に気圧されて思わず口を閉ざしてしまった。


 しかし、俺とは逆に馬玄殿は全身を小刻みに震わせながら口を開く。


「まさか……どうしてこちらに?」


 どうやら、馬玄殿は顔見知りのようだ。


「馬玄殿、あの婆をご存じなのか?」


「ば、婆ですと!」


 突如、馬玄殿は人が変わったように激高した。


「あの方は楊水連よう・すいれんさま。今は隠居された身の上だが、かつては我らが〈南華十四行〉の大番頭の1人であられた方だ!」




 私こと楊水連は、久しぶりにはらわたが煮えくり返っていた。


 婆と面と向かって言われたことにではない。


 私を長年苦しめてきた肉体の苦痛から解放してくれた恩人――孫龍信さんから薬家長こと鄭八戒の悪行を聞いたからだ。


 そして本来ならば私も他人の許可なく室内に入るような真似はしなかったが、龍信さんのお仲間が非道な目に遭ったと聞いたら居ても立ってもいられなくなったのである。


「水連さま……それで、どうしてこちらに? まさか、私がご挨拶に行く時刻を間違えたのでしょうか? それとも何か私が知らぬ間に粗相を?」


 顔を蒼白にさせた馬玄に対して、私は「いえ、あなたは何も関係ありませんよ」と伝えたあとに八戒へ視線を向けた。


「私が用のあるのはあなたです、鄭八戒……あなたは薬家長という立場でありながら、とある人物が持ってきた希少で貴重な薬草薬果を代価も支払わずに着服したそうですね」


「――――ッ!」


 ぎくり、と音が聞こえそうなほど八戒は動揺した。


「しかも、その証拠品がずらりとそこに並んでいる」


 これには私も驚いたが、私よりも驚いたのは馬玄のようだった。


「鄭薬家長、今の話が真実ならばこれらは盗品と同じではないですか!」


「ち、違います! ご、ご、誤解です! これらは私の独自の流通網から手に入れた――」


「お黙りなさい!」


 それ以上の言葉を私は許さなかった。


鄭八戒てい・はっかい、すでに情報も証拠も上がっているのです。もちろん、あなたの悪行を見たというこの薬家行の者たちの証言もありますよ」


「な、何を馬鹿な!」


 まさか、子飼いの人間たちに裏切られるとは予想もしていなかったのだろう。


 だが、これも本当の話だった。


 私の過去の身分と今でも交流のある友人たちの名前を出したら、全員が全員とも快くすべてのことを洗いざらい話してくれたのだ。


 一方、まったく私の話を信じていないのは八戒である。


「こ、これらの薬草薬果は誰が何と言おうと私のものだ! それとも私が着服したという明確な証拠でもあるのか!」


 などと言われたので、私は懐から1つの薬果を取り出して2人に見せた。


 その薬果を見た2人は大きく目を見開いた。


「水連さま……それは仙丹果ではありませんか!」


「そうです。そこの鄭八戒に他の薬草薬果を取り上げられる前、その方はこれだけは持ち帰ることができたと言っておられました」


 事実である。


 この仙丹果は龍信さんのお仲間である、アリシア・ルーデンベルグという異国の女性から借りてきたものだった。


「このことも当然ながら薬家行の者たちも見ていたらしく、その方たちはあなたが裁きを受けるのなら私の友人たちに証言してくれると言っていますよ。よほど日頃からあくどいことをしていたらしいですね」


 直後、馬玄はハッとした顔になった。


「鄭薬家長、そう言えばあなたは先ほど仙丹果も持っていたと言っていたな。まさか、その仙丹果が水連さまが持っている仙丹果ではないのか?」


 顔から血の気が引いた八戒だったが、それでも最後の悪あがきとばかりに「あんたの友人なんぞ知らんわ」と強気な態度を取った。


 そればかりか「俺は亭長(警察署長)と親しいのだぞ」と言う始末である。


「あなたは馬鹿か?」


 そう八戒に言ったのは馬玄だ。


「すでに隠居されているとはいえ、水連さまは元〈南華十四行〉の大番頭の1人だったのだぞ。そんな水連さまは今でも行政長官(県令、県長、国政)の方々とご昵懇じっこんだ。たかが1つの街の薬家長と亭長(警察署長)などが意見できるはずないだろう」


 このあと、私は八戒に引導を渡すように続きの言葉を口にした。


「そしてもうしばらくすれば、私の友人たちに命じられたあなたと親しいという亭長(警察署長)の部下たちがやってくるでしょう。薬家行という組織の長でありながら、犯罪に堂々と手を染めて小金を稼ごうとした罪人を捕えるために」


 そのことを聞いた八戒は、全身の力が抜けたように床に崩れ落ちた。


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