「笑山さま……いや、孫笑山。どうしてあんたがこんなところにいたのかは知らないが、人を襲う妖魔となったからには容赦しない。すぐに本当に殺して冥界へ送ってやる」
俺がそう言うと、笑山は「ふひひ」と下卑た笑い声を発した。
「わ、わしを……ど、ど、どうするって? そ、そ、孫家の……と、と、当主たる……わ、わ、わしを……殺す? こ、こ、殺す? こ、こ、こ、殺す?」
次の瞬間、笑山は一転してギロリと俺を睨みつける。
「こ、こ、このわしを殺すだとおおおおおおおおおお――――ッ!」
笑山は大広間全体が揺れるほどの叫び声を上げると、死体を踏みつけながら俺に向かって突進してきた。
普通の人間のように2本足で走りながらではない。
獰猛な肉食獣のような4足歩行でだ。
しかも生前とは比べ物にならないほど動きが速かった。
この位置だとアリシアも巻き込まれる。
俺はそう判断した直後、距離を縮めてきた笑山へ疾走する。
もちろん、死体に足を取られないような場所を選びながらだ。
瞬く間に間合いが詰まると、最初に攻撃を仕掛けてきたのは笑山だった。
笑山は獲物に食らいつく虎のように、大口を開けて俺に襲い掛かってくる。
大きく開けた口からは、生前にはなかった鋭くて太い牙が何本も見えた。
吸血鬼という妖魔になった笑山は、その鋭くて太い牙を使って俺を嚙み殺すつもりなのだろう。
だが、易々と噛まれるほど俺は甘くはない。
俺はそんな笑山の口撃を紙一重で躱すと、そのまま剝き出しだった首の付け根に破山剣を振り下ろす。
ガキンッ!
しかし、俺の斬撃はあっさりと弾き返されてしまった。
俺は心中で舌打ちする。
くそっ、生身の状態で硬度は〈硬身功〉以上か。
僵屍と同じぐらいの強さかと思えば、どうやら総合的に西方の吸血鬼という妖魔のほうが強さにおいては上のようだ。
とはいえ、それで攻撃の手を緩めてはジリ貧になるのは目に見えている。
なので俺は、再び襲い掛かってきた笑山に攻撃を仕掛けた。
裂帛の気合とともに、あらゆる角度から笑山の身体に剣を走らせていく。
けれども、どの部分を斬りつけても笑山の身体に剣は深く食い込まない。
すべて硬い金属を打ちつけたように弾かれてしまう。
どれぐらい笑山の口撃を避け、どれぐらい笑山に斬撃を放っただろうか。
俺は笑山の顔面を蹴り飛ばして身体を転倒させると、床にある死体の位置を把握しながら後方へと大きく跳んだ。
これ以上の接近戦は無意味だと悟ったからだ。
あの笑山がこれほどの化け物になるなんてな……。
どうやら破山剣の状態では吸血鬼となった笑山を倒すのは非常に難しかった。
それこそ寸分の狂いもなく同じ場所を何十回と斬り続ければ話は違うだろうが、相手は置かれた場所から動かない陶物ではない。
鋼鉄以上の肉体と、猛獣の敏捷性を併せ持つ妖魔なのだ。
だとすると、やはり破山剣を形状変化させるしかない。
もしくは〈周天〉で高めた精気を〈発勁〉にして斬り込むかである。
そうすれば破山剣の状態でも、時機さえ間違えなければ硬質化している皮膚を貫いて心臓を突けるはず。
などと俺が考えたときだ。
笑山はむくりと起き上がって2足立ちとなった。
「や、や、やはり……お、お、お前も……あ、あ、あ、あの糞兄貴……く、く、糞兄貴と……お、お、同じだ……い、い、忌々しい……い、い、忌々しい……」
こめかみに幾つもの青筋を浮かべた笑山。
そんな笑山は、ひどく吃った言葉で話を続ける。
「く、く、糞兄貴と……ゆ、ゆ、ゆ、優炎は……か、か、簡単に……こ、こ、こ、殺せたのに……お、お、お前は……か、か、簡単に……こ、こ、殺せない……い、い、忌々しい……い、い、忌々しい……」
このとき、俺の片眉がぴくりと反応した。
「おい……それは一体どういうことだ?」
俺は震えた声で笑山に尋ねる。
優炎はそのまま優炎坊ちゃんのことであり、糞兄貴とは笑山の実兄であった仁翔さまのことだろう。
その2人を笑山が殺した?
数瞬後、ぞくりと俺の全身が粟立った。
「まさか、仁翔さまと優炎坊ちゃんの事故は――」
わしだ、と笑山は赤い舌をべろんと出す。
「わ、わ、わしが画策……か、か、か、画策したのだ……ふひひ……す、す、すべては……わ、わ、わしが……そ、そ、そ、孫家の……と、と、と、当主になる……た、た、ためにな……ふひひひひひひひひひひ……」
俺は頭部を金槌で叩かれたような衝撃を受けた。
ぐわんぐわんと耳鳴りもしてくる。
同時に仁翔さまと優炎坊ちゃんの顔が鮮明に浮かんできた。
俺を本物の家族同然に接してくれた2人の笑顔が。
「……よくも俺の大切な人たちを殺したな」
喪失しそうだった意識を堪え、俺は吸血鬼という妖魔と化した笑山に強烈な殺意を飛ばす。
「きさまは絶対に許さん!」
吠えるように言い放った俺は、手にしていた破山剣に精気を集中させた。
恩人の仇と分かった笑山をこの世から葬り去るべく、破山剣を別の武器へと形状変化させようとする。
と、そのとき――。
「笑わせるなよ」
どこからか不気味な声が聞こえた。
俺はその声が聞こえたほうに顔を向ける。
大広間の真ん中には巨大な龍の形をした彫像が置かれていたのだが、その龍の彫像の上に全身黒ずくめの長身の男が立っていたのだ。
「孫龍信、お前にそんなことを言う権利など微塵もないわ」