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第五十二話  無明

 タンッ、と全身黒ずくめの男は龍の彫像の上から跳躍した。


 そして俺と笑山の間にふわりと着地する。


 この男……恐ろしく強い。


 何者かは分からないが、全身黒ずくめの男が凄まじい強さを持っていることだけは肌で感じた。


 しかし、それよりも俺には気になることがあった。


 なぜか全身黒ずくめの男は、俺に対して殺意と憎悪を向けていたのだ。


 理由は分からない。


 少なくとも、俺の記憶に全身黒ずくめの男の姿は影も形もなかった。


「お、お、お、お前は……む、む、無明……む、む、む、、無明……」


 俺がいきなり現れた全身黒ずくめの男に戸惑っていると、笑山は全身黒ずくめの男を見て怒りで身体を震わせた。


「き、き、貴様……い、い、生きて……い、い、い、生きていた……のか」


 無明と呼ばれた全身黒ずくめの男は、この大広間の惨状どころか妖魔と化している笑山を見てもまったく驚かない。


 それどころか、今の笑山を見ても鼻で笑うほどの余裕を見せている。


 この2人は顔見知りだったのだろうか。


 などと考えたとき、無明は俺から笑山へと顔を向ける。


「あんな雑魚どもで俺を殺せると思ったのか? 身体だけではなく頭の中身までも豚だったんだな……いや、もう豚どころか生者ですらなくなったみたいだが」


 まあいい、と無明は右手にはめていた黒手袋を外す。


「――――ッ!」


 俺は目を見開いた。


 黒手袋の下から表れた無明の皮膚は、魚鱗のような異質な皮膚をしていたのだ。


「どのみち孫龍信を殺したあとにお前も殺しに行こうと思っていたところだ。なぜこんな場所にいるのかは知らんが、西京の街まで戻る手間が省けたので良しとしよう」


 無明は右手を自分の顔の前まで持ってくると、親指を折り曲げて残りの4本の指を密着させながら伸ばす手刀の形に変化させる。


 それだけではない。


 無明の下丹田で練り上げられた強力な精気が、手刀の形に変化させた右手へと集約されていく。


 間違いない。


〈精気練武〉の1つ――〈発勁〉だ。


「孫笑山、順番は逆になるが孫龍信よりも先にお前から殺してやる。放っておいたら俺の復讐の邪魔をされそうだからな」


 この言葉を聞いた笑山は、瞳孔を異常に拡大させた。


「お、お、お前もか……お、お、お、お前も……」


 笑山は前のめりに倒れると、両手を床につけて4足歩行の体勢となる。


「お前もわしを殺すのかああああああ――――ッ!」


 そして引き絞られた強弓から放たれた矢のように、笑山は死体を容赦なく踏みつけながら無明へと猛進していく。


 同時に無明も笑山に向かって疾駆したものの、それは最初だけですぐに走るのをやめてあ・る・行・動を取った。


 無明は迫ってきた笑山に死体を蹴り飛ばしたのだ。


 身体ではない。


 転がっていた生首の1つを蹴り飛ばしたのである。


 バガンッ!


 凄まじい速度で飛んで生首が笑山の顔面に直撃した。


 生首はその衝撃で粉々に砕け散り、肉片や脳漿が周囲に飛び散る。


 常人ならば即死してもおかしくないほどの威力だっただろう。


 それでも妖魔となった笑山はその衝撃に耐えた。


 だが、あまりの衝撃に笑山の上半身は大きく仰け反る。


 直後、無明の眼光が鋭く光った。


 この時機を逃さんとばかりに間合いを一気に詰め、無防備だった笑山の心臓めがけて手刀の先端を突き込む。


「――〈邪毒貫手じゃどくぬきて〉ッ!」


 無明の手刀の先端を使った攻撃――貫手は笑山の皮膚を突き破って心臓どころから背中までも貫いた。


「ぎゃああああああああああ―――――…………」


 耳朶を打つほどの叫び声を上げた笑山。


 一方の無明はすぐに右手を引き抜き、体重を乗せた前蹴りを放って150斤(約90キロ)の笑山を蹴り離す。


 やがて笑山は背中から床に落ちると、全身を小刻みに痙攣させた末にピクリとも動かなくなった。


 そんな笑山を虫けらのような目で見下ろした無明は、すぐに興味を無くしたように目線を外す。


「さて、次はお前の番だ」


 無明は身体ごと振り返ると、血で真っ赤に染まっていた右手――手刀の指先を俺に突きつけてくる。


「孫龍信……俺の大切な者たちを殺した恨みを果たさせて貰うぞ」

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