警察の事情聴取は長かった……。本田と別々に事情を聞かれた。令和なら保護者同伴とかも必須だったろうけど、ここはアビリティ世界。しかも、2000年ごろ。
そんなもんミミズの目玉ほどもない。
本田とは「じゃあな」「また明日」くらいの感覚で分かれた。帰りはそれぞれパトカーで家に送ってもらえたのでタクシー代が浮いた。
(ガチャ)「ただいま」
「おかえり」
俺は帰った。キッチンから母さんの声が聞こえた。
家には母さんのみ。父親はいない。あ、出かけてるって意味じゃなくてずっといないのだ。物心ついたときから。
俺にとってあんまり誇らしくない要素として、うちは裕福ではないことだろう。
短い廊下を歩いてキッチンに入る。
「ごめん、遅くなった」
「警察から連絡があって。びっくりしたわよ……」
キッチンに入ると同時に母さんが俺に飛びついてきた。病院から警察が電話したのだろう。確かに電話番号も言った。それで心配したのか。
……そうか。心配かけて悪かったな。
「ちょっと! あんたそのシャツ!」
顔を合わせたと同時に母さんがぎょっとした表情で俺のほうを見た。
「あ、ごめん。汚した」
「そんなのいいの! これ血!?」
そう言えば、血なまぐさい気もする。遅く帰って来たかと思ったら血まみれ……俺はとことん親不孝だ。
「心配しなくていいよ。これは俺の血じゃない。ちゃんと話すから落ち着いて! 座って」
人は目の前の人が慌てれば慌てるほど、こちらが冷静になっていくもんだ。俺はまず、目の前の母さんが落ち着けるだけの材料を提供しないといけないことに気が付いた。
血まみれのシャツのままキッチンに置かれた小さなテーブルに向かい合わせで座って俺は今日会ったことを話した。アビリティ・デバイスのことは別として。
「そうなのーーー。で、そのおじさんも無事だったのね」
俺の話を聞いて母さんは椅子の背もたれに体重をあずけるように倒れた。安心したのだろう。
「おっさんも無事だった。ただ、頭を打ってるから検査とかも含めて入院するらしい」
「そうなの、分かったわ。大変だったわね。そうだ、お風呂! もう沸くから! あ! お腹空いた!? ご飯が先!?」
俺が無事だと分かったら、急に風呂だのご飯だの言い始めた。いつもの母さんらしくて俺は安心した。
〇●〇
ご飯を食べて、風呂に入ったら、もういい時間になっていた。
放課後、クラスメイトと遊びに行ったことも疲れたけど、そのあとのおっさんの事故に立ち会ったのも疲れていた。体力的にも、精神的にも。
俺は自分の部屋でベッドに寝転がっていた。母さんのご飯もたらふく食べた。好物のカレーだったのがよくなかった。おかわりして3杯も食べてしまったのだ。元気なころの俺なら2杯くらいは食べられただろうけど、カレーを2杯も食べたら胃がもたれて来ていただろう。
ところが、全然気にならない。思い出してみたら、俺は高校に入学したばかり。若いっていいな。誰もある日突然、歳を取る訳じゃないし、若返ることはないわけで。この感覚を説明しても、理解してもらうのは難しそうだ。
腹の皮が突っ張ると目の皮が緩むって言ったのは誰だったか……。俺の瞼は次第に閉じていくのを自分自身で認識していた。宿題や、予習をするような優等生じゃない。そんなもんはあったとしても、しなくていい。でも、歯磨きはしておきたい……。
それでも起き上がることもできず、瞼の重力に抗うこともできず、ベッドに沈み込む様な感覚に飲まれて行った……。
〇●〇
気付けばそこは「魔空空間」だった。鬼武者のほうじゃなくて、ギャバンのほう。簡単に言うと、一種のブラックホールだ。
ついさっきまで眠たくてベッドの上に横になっていたのだけど、今は目がパッチリだ。驚いて目が覚めたからか!?
それよりも周囲は完全に闇。立っている足元すら見えない。何が起こっているんだ!? 「作者」よ。もうちょっと安定した世界観は望めないものか。
真っ暗な割に自分の手は見える。上を見上げると「LV1」と表示されていた。何も無い空間に液晶表示みたいな文字で表示されている。
もうちょっとで手が届きそうだけど、ギリギリ手が届かない高さにある。
「なんなんだよ、これ」
ギリギリ手が届かないから背伸びして手を伸ばす。ちょっとだけバランスを崩して一歩足を踏み出してしまった。
(ぐにゅ)なんかやわらかいものを踏んだ。人とか動物じゃない。大きさもドッチボールくらい。しゃがんでよく見ると、それは半透明の物体。ドラクエで言えば「スライム」
(ティティティティッティッティッティーーー!)あ、なんかリアルに音にしたら著作権に引っかかりそうなファンファーレ的な音がした。
次の瞬間「LV1」と表示さえれた文字が「LV2」に変わった。
それと同時に真っ暗な空間は霧が晴れるようにして景色が変わり、そこは俺の部屋だった。時刻は12時34分。数字が「1234」になったのを喜ぶ心の余裕もない。
確かに俺は眠たくなって、寝落ちしたはず。しかし、どれくらいいたのか分からないけど、あの真っ暗空間にいたはず。スライム的なやつを踏んで……全く意味が分からない。
よくある異世界物の主人公は何の説明もなくてこの状況が理解できるのだろうか。感心する。「作者」よもう少し分かりやすい状況にしてくれないだろうか。
聖書とか呼んだら今回のことを連想させるようなエピソードとかがあるのか……!? 俺は聖書とか全く読まないので全く意味が分からない。
ただ、あの眠気は一切なくなっていて、身体は十分な休息を取った後の様に力がみなぎっていること。ヤバい薬とか摂取させられてないよね……。
そして、驚くべきことにそれは朝まで何度も起こり、レベルが上がるほど踏みつけるスライム的なものの数が多く必要なこと。レベル5になる頃には100匹くらい倒す必要があった。
ちなみに、レベル2で7匹。レベル3で23匹、レベル4で47匹、レベル5で110匹。素数でも2の階乗でもない。……多分、これドラクエⅠの経験値だ。誰がこんなの分かるんだよ。
そして、その真っ暗な「魔空空間」から帰ってきても、こちらの世界では時間がほとんど進んでいないこと。最初は変な夢を見ていると思っていたんだ。もう、大概のことが起きても驚かないから。
でも、違う。俺は確実に「魔空空間」に引きずり込まれるようになったようだ。そして、そこではレベルが上がらないと出てこれない。どうせなら「マジ恋しないと出られない部屋」とかでかわいい子と一緒に閉じ込められたかった。
この日、俺はこの「魔空空間」の意味が分からず、混乱のまま朝を迎えるのだった。