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第2話 せめてもの抵抗

 (今夜は、悪夢が来ませんように)


 夢の中で何度も繰り返す、真っ赤に染まったあの海。

 おばあちゃんが倒れたときの、鈍い銃声と、濡れた床の感触。


 本当は、ボイスレコーダーで証拠を残したかった。

 でも、ボスに仕掛けられた盗聴器がそれを許さない。


 だから、わたしなりのやり方で――もう一台のスマホに、静かにメモを打ち込む。



・ボスからの命令

・業務委託リストの指示

・持参時刻:17時


 そして最後に、一行だけ。


『誰かわたしを助けて』


 どうか、誰かに気づいてほしい——そんな気持ちは、甘えなんだろうか。



 暴走なんて、したくなかった。

 ただ、生きるために、誰にも見えない場所で叫びたかった。


 (誰かが、これに気づいてくれたら……)


 小さな希望だったけど、それがなければ、もう立っていられなかった。


 わたしは、いつか殺される。

 それを、自分でもうすうす分かっている。

 死ぬのが怖いというより、もう怖さに慣れてしまった。


 そんなとき――

 ふと、ある人の顔が浮かんだ。


 渡辺さん。

 無口で、感情を見せない人。

 でも、わたしは知っている。

 その目の奥に、誰よりも静かなあたたかさを隠していることを。


 (……本当は、恋、してみたかった)


 “してみたかった”の主語は、わたし。

 でも、そこに重なるように、彼の顔があった。

 気づいてほしかった。

 誰かじゃなくて――渡辺さんに。


 指先がメモ画面の上で止まる。



 「何してるの? 真奈美? 大丈夫?」


 優香の声が、ノックと共に聞こえた。

 現実に引き戻される。


 「……なんでもない」


 顔を整えてドアを開けると、

 いつもの空気が、そこには戻っていた。


 カウンターの奥では、渡辺さんが料理人の石川いしかわさんと何か話していた。

 その横顔がちらりとこちらを向く。

 でも、すぐに視線は逸らされた。


 (……気づいてる? わたしの異変に)


 そんなはず、ない。

 でも、期待してしまう。

 そんな自分を責めたくても、責めきれない。


 石川さんがわたしに手を振る。

 「まるで犬みたい」と、優香が笑う。


 わたしも、笑った。

 作られた笑顔。

 でも、それしかできなかった。


 カバンの中に、スマホを押し込む。

 画面のメモごと、見えない奥へしまい込む。


 (……ほんの少しだけ。誰かに、気づいてほしかった)


 そう思った気持ちは、間違いじゃない。


 でも“助けて”って、誰にも言えないまま、生きていくしかない。

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