目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第11話 裏切り者の正体

 渡辺さんは、スマホをポケットにしまい、何も言わず席を立った。


 渡すつもりなんて、なかった。

 だけど、彼のそばにいると、どこか息ができた。

 「この人なら、大丈夫だ」と思ったわけじゃない。

 ただ、手が、動いた。


 渡辺さんは、書類をひとまとめに持ち、資料室へ向かうように自然に歩いて行った。


(……行ってしまった)


 ふと、わたしの胸に空白が広がる。


 その静けさを割るように、足音が近づいてきた。


 重く、床を踏みしめる音。

 この会社で、あの歩き方をする人間は一人しかいない。


 振り返る前に、名前を呼ばれた。


「やってくれたな、毛利帆奈」


 血の気が引いた。


 声の主は、社長の息子、友澤さんだった。


 (どうして、名前を……)


「驚いたか? こっちは最初から分かってたんだよ」


 無表情で笑いながら、まっすぐ近づいてくる。


「お前が“暁の朝”のスパイだってことも、この会社に送り込まれた理由もな」


 壁際まで下がったところで、彼はわたしの胸元をぐっと掴んだ。


「泳がせていたのに……全部、台無しだ」


「……なにが、ですか」


「“オレンジ運輸”」


 その言葉に、息が止まりかけた。


 (……あの時、リスト整理の指示をされて……)


 気になって、ほんの少し検索しただけだった。

 でも、友澤さんは吐き捨てるように言った。


「あれは、2年前に潰れた会社だがな。組織の資金を隠すための幽霊口座だった。公安に繋がる手がかりなんて、一切残してなかった」


「……そんな……」


「だが、お前がアクセスした。記録が残った。システムに痕跡がついた」


 理解が追いつく。


 自分の小さな好奇心。それが裏目に出た。


「公安が、そのアクセスログから金融の流れを辿って、隠し資産の一部にたどり着いた」


 そんなつもりじゃなかった。


「あの一手で、公安に道を開いたんだよ。……分かるか?」


 苦い声が耳元に迫る。


「……全部、お前のせいだ」


 そう言うなり、友澤さんはわたしのポケットからスマホを引き抜いた。


 その瞬間、黒い金属の光が視界にちらつく。


「っ……!」


 銃口が向けられたと思った次の刹那、鋭い破裂音が響いた。


 スマホが、弾けるように砕けた。


 ディスプレイのガラスが床に散り、粉々になった機体が目の前に転がる。


(あれは……ボスとのやりとりが入った端末……)


(でも……違う)


 わたしが託したのは、もう一つのスマホ。

 “信じる”と決めて、静かに渡したそれだけが、いま、わたしの希望だった。


(渡辺さん……どうか……)


 どうか、あれだけは、守って。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?