翌朝、『暁の朝』の逮捕ニュースはまだ流れていなかった。
その代わり、『赤と青』壊滅の速報が、朝のテレビ画面を賑わせていた。
犯行グループの逮捕、内部協力者の存在。詳しい情報は伏せられていたが、複数の顔写真と「国際犯罪組織の実態」というテロップが流れている。
(ボスは、これをどう見てるんだろう)
そんなことを思った自分に、少し驚いた。
でもきっと、焦ってる。
今度は『暁の朝』の番だと、内心で悟っているはず。
(だったら、今日もちゃんと証言しよう)
その気持ちは、昨日よりも静かに強かった。
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「あなたは、公安の保護対象になったから」
そう伝えられたとき、不思議とすぐには喜べなかった。
裏組織の構成員として育ち、命令に従いスパイの任務を続けてきた。
それなのに保護されるなんて、本当に許されるのだろうかという戸惑いが、胸の片隅に残っていた。
「貴重な証言をありがとう。……何か、あなたから聞きたいことはある?」
事情聴取を担当していた女性公安官が、淡々とした声で尋ねた。
言いたいことは山ほどあった。
ボスの行方。組織の今後。
おばあちゃんの遺体は、どこにあるのか。
でも、口をついて出たのは、思いがけない名前だった。
「……早川さんは?」
本当は、渡辺さんのことを尋ねたかった。
でも、今すぐ聞くべきではない気がした。
事情を知らずに巻き込まれてしまった先輩のことが、素直に気がかりだった。
「事情聴取中よ。……泣いてる」
あの早川さんが泣いていると聞いて、思わず胸が締めつけられた。
「じゃあ、優香は……? 小坂優香。友達なんです」
少しの間を置いて、公安官は訊ね返してきた。
「……知りたい?」
その言い方が、どこか慎重に聞こえた。
名を出すこと自体、扱いが違うのだと直感する。
「はい。教えてください」
静かに頷くと、公安官は短く言った。
「『暁の朝』の構成員だったのよ」
「……そんな」
「あなたの監視役だった。ボスがそう命じていたそうよ」
(優香が……?)
親しげな笑顔。なんでもない日常の会話。
すべてが“自然”だった。
だからこそ、疑いようがなかった。
でも、それが“任務”だったとしたら。
すべてが裏切りだったとしたら。
――わたしは、何を信じればよかったのだろう。
「……今日はここまでにしましょう」
公安官がそう言って、ペンをそっとわたしの前から引いた。
その動作のあと、ふと資料に目を落としたまま言葉を続けた。
「そういえば……毛利さん、一つだけ、伝えておきますね」
視線は資料から動かさないまま、彼女は告げた。
「拳銃は、偽物だった」
「……え?」
「内部構造が改造されていて、弾は装填できない。
撃鉄も作動しない。発砲したように見せかけるだけの、偽装品よ。
ほら、あなたのカバンの中に入っていたでしょ」
その一言が、わたしの中にゆっくりと沈んでいった。
(……なんで偽物だったの?)
静かな疑問だけが、胸の奥に残る。
ボスはわたしを使い捨てにしようとしていたはずだ。
本物の拳銃を持たせて、罪を背負わせるつもりだった。
なのに――すり替えられていた。
(誰が? いつ? 何のために?)
答えは、まだわからない。
でもその疑問を、わたしは確かに受け取った。
「また、明日ね」
公安官はそう言って、静かに部屋を出ていった。
その背中が、わずかに揺れて見えたのは、気のせいだっただろうか。
(偽物……)
その言葉だけが、心の底で静かに響いていた。
(ボスじゃない、組織じゃない)
誰かがわたしを守ってくれてるーー。