『暁の朝』壊滅のニュースは、朝の番組で大きく報じられていた。
『赤と青』の時よりも時間をかけ、重たい口調で、被害者の会の設立や遺体遺棄現場の発見、行方不明者との照合作業が進んでいることが伝えられていた。
テレビに映ったのは、よく知る顔。
両親、祖父、優香、そしてボス。
どの顔も、昔のままだった。
わたしを育てた人たちであり、壊した人たちでもある。
(……これから、裁かれるんだ)
不思議なことに、怒りや悲しみではなく、先に浮かんだのは「静けさ」だった。
自分の証言がどこまで役に立ったのかはわからない。
でも、あの日、わたしは確かに声を出した。
誰かの涙が繰り返されないようにと願って。
テレビを消すと、部屋にしんとした静けさが戻ってくる。
5月が終わる。
(渡辺さんからの連絡は……今日も、ない)
分かっていたことだった。
でも、それでも、どこかで少しだけ――いや、確かに「待って」いた。
(期待してたんだ)
気づくと、ひとつ息を吐いていた。
胸の奥に小さな痛み。
でもそれを押しつけるようなことはしたくなかった。
信じたことと、求めることは別だと、もう分かっている。
机の上には、今日も卵焼きが置かれていた。
石川さんが、毎朝欠かさず届けてくれる。
いつもメモを添えて。
【ごめん、甘卵焼きは甘すぎたらしくて。
店ではもう出さないことになったんだ。
でも、君には届けるよ。】
ふっと笑みがこぼれた。
「……美味しいんだけどな」
小さく呟いて、ひと口。
りんごの優しい甘みが口いっぱいに広がる。
懐かしい味。おばあちゃんの卵焼きにも、どこか似ていた。
涙は出ないけれど、心が少し揺れた。
その横に、もう一枚、折られたメモがあった。
【言葉足らずって、損だよね。
でも、それが渡辺さんじゃないかな。
伝えたいこと、うまく言えない人なんだと思う。】
それは、石川さんらしいまっすぐな文字だった。
そして、その下に、追伸。
【追伸:今度こそ、デートしてください。
——石川 学】
思わず手が止まる。
冗談めいてるけど、彼が茶化すような人でないのは知っている。
だからこそ、どう返せばいいのか分からなかった。
(……ごめんね)
まだ、誰かと肩を並べて歩くには、自分の足元が不安定すぎる。
甘えたくないし、笑ってごまかすようなこともしたくなかった。
だから、返事はもう少し先にしよう。
嘘じゃない自分で向き合えるようになってから。
そしてもう一枚の紙。
【悪かった。
助かったよ。
——渡辺】
たったそれだけ。
だけど、言葉の裏にあるものを、わたしは感じた気がした。
(……何が「悪かった」の?)
(……何が「助かった」の?)
答えはない。
でも、きっと届いていた。わたしの気持ちも。
スマホを見ても、やっぱりメールは届いていない。
――そもそも、アドレスも知らない。
(それでも、もう……それでいい)
今はまだ、涙も出ない。
寂しさは確かにある。
けれど、押し流されることはなかった。
天井を見上げる。
ひとつ、深く呼吸をした。
「……そろそろ、行かなくちゃ」
公安保護施設を出る日が来た。
就職先は、ずっと夢だった介護の現場。
お年寄りの隣で、自分の心とも向き合っていく。
新しい名前も決まっている。
毛利帆奈ではなく、
名札に書かれたその名前が、少しずつ身体になじんでいくのを感じていた。
(大丈夫。わたしは、ちゃんと前を向いていける)
たとえ、すれ違っても、会えなくても。
信じたことは、きっとどこかに残っている。
だから、いつかまた会えたら。
「ありがとう」と――そして、あの二文字も、
ちゃんと笑って伝えられるように。