やっと紅葉が色づき始めた頃、心理士さんに言われた。
「人間関係の訓練を、そろそろやってみましょうか」
その言葉で、石川さんと一緒に遊園地に出かけることになった。
(……訓練なら、介護の仕事で毎日やってるんだけど)
そう思いながらも、人生で初めての遊園地は、想像よりずっと眩しくて、どこか懐かしい匂いがした。
石川さんは案内マップを手に、嬉しそうにあれこれ言っている。
その周囲をさりげなく囲む大人たちは、明らかに警察の人間だった。
(……何かあったのかな?)
でも不思議と、それが嫌じゃなかった。
守られている、という感覚に近かった。
わたしは今、「遠野春音」として暮らしている。
不起訴処分となり、裁判は免れた。
新しい名前にも仕事にも、ようやく馴染んできた。
孤独も、昔とは少しだけ違って見えていた。
石川さんとは「友達」。
そう言い聞かせながら誘ったこの日も、「訓練だから」と前置きしたのに、彼はそれを真っ直ぐに喜んでくれた。
「絶叫マシンって、慣れないね」
「春音ちゃん、体力ないな〜」
「嘘。介護で鍛えてるつもりだったんだけどな」
冗談交じりの会話。
こういうやり取りすら、ずっと避けて生きてきた。
でも今は、こうして自然に笑えている。
彼が差し出してくれたレモネードは、手作りらしかった。
「ありがとう」
「すっげー美味いんだよ、それ。自信作」
手作りなんて、昔は信用できなかった。
でも今は、素直に口に運べる。
「……うん。美味しい」
そう伝えると、石川さんはちょっと誇らしげに笑った。
「ねえ、事件とかじゃないよね? 周り、ちょっとピリピリしてる」
「気にしすぎだって。ほら、何乗る?」
「……観覧車」
「……えっ」
そのとき、彼の顔が真っ赤になる。
「そ、そうだね! ……よし、乗ろう!」
(なんでそんなに焦ってるの)
わたしは不思議に思いながらも、何も言わずにゴンドラへ乗り込んだ。
⸻
観覧車のてっぺん近く、街が遠くなっていく。
この景色を見ながら、思い出す人がいた。
渡辺さん。
恋をしてはいけないと分かっていたのに、それでも心は動いてしまった。
あの人に「助けて」と手を伸ばしたことに、後悔はなかった。
「……観覧車のてっぺんでキスすると、結ばれるってジンクス、知ってる?」
石川さんが小さく言った。
「ジンクスって、信じる?」
「俺は、信じたい方かな」
わたしは何も言わず、窓の外に目を向けた。
けれど、彼の言葉はちゃんと胸に届いていた。
「……俺、陰のヒーローには勝てないな」
ぽつりと呟かれたその言葉は、どこか遠くのもののようだった。
「ごめん、昔のこと思い出してた。なんか言った?」
「ううん、差し入れの話してただけ」
「ありがとう。わたしも何か返さなきゃね」
「気にすんなって。俺、好きでやってるだけだから」
観覧車がゆっくりと降りていく頃、地上に見慣れた後ろ姿があった。
黒い服。さらりと流れる髪。
間違いない。渡辺さんだった。