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第17話

「渡辺さ、」


 声にする直前、石川さんに腕を引かれた。

 その瞬間、視線の先に見えたのは、渡辺さんの隣にいた女性。


(……分かってたはずなのに)


 言葉にしなくても、理解できてしまった。

 会えるように頼んだのに。連絡がなくても、信じようとしたのに。

 笑って「会えるよ」って言ってくれたのに——。


「行こう。今日は訓練でしょう?」


「……ごめん、チケットもったいないし、まだ時間あるけど、場所、変えていいかな?」


「うん。ついてきて」



 連れていかれた先は、小さなパフェ専門店だった。

 ガラスの器に盛られたフルーツが、やけにまぶしかった。


「春音ちゃん、パフェ初めてでしょ?」


「……うん。じゃあ、今日は私が奢る」


「え、いいの?」


「今日一日付き合ってくれたお礼」


 そう言って、いつものように笑ったつもりだった。

 だけど内側では、ぐらぐらと何かが揺れていた。


 石川さんがパフェを差し出してくれたとき、わたしはふと問いかけてしまった。


「……ねえ、なんでフルーツパフェなの?」


「え? 嫌いだった?」


 石川さんが驚いたように顔をのぞき込む。


「ううん、ちがうの。ただ……チョコレートパフェの気分だっただけ」


 ほんの冗談のつもりだった。

 でも、自分でも驚くほど声がかすれていた。


 小さく笑ってくれる石川さんに、思わず心が緩んだ。

 泣きたいのに、泣かせてくれない優しさに、少しだけ救われる。



 寮の部屋に戻ると、静かに着替えてベッドに横になった。

 照明は点けず、スマホも見ない。


 無理に泣こうとは思わなかった。

 ただ、胸の奥に静かに沈んでいく思いが、確かにひとつあった。


(……好きだったんだ)


 そう認めたとき、心のどこかが、ふっとほどけた気がした。

 報われなかったとしても、あの人を信じた日々が、わたしの中にはちゃんとある。

 それだけで、きっと十分だった。


 優香のことが好きなんだと、最初は思ってた。

 職場の女性たちも、みんな彼を見てた。

 だから、好きになっちゃいけないって、自分に言い聞かせてた。


 ……でも、抑えきれなかった。


 もしあのまま、スパイとして失敗してたら、まだ会えてたのかな。

 そんなこと、思ってはいけないのに。

 付き合ってたわけでもないのに。

 なのに、忘れられなかった。


(執着……してたんだ)


 ばかみたいだよね、わたし。


 泣けば少しは楽になるのかもしれない。

 でも、涙が出ないのはなぜだろう。

 本当は、ちゃんと失恋したいのに。


 時間薬――そんなものがあるなら、早く効いてほしい。


 介護の仕事には就いたけれど、やっぱりまだ、ここから逃げたくなる。

 渡辺さんのいるこの街が、息苦しくなるときがある。


 でも、逃げたくない。

 あの人に救われたからこそ、わたしも、誰かの力になれるようになりたい。


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