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第11話 御伽噺が始まる

 やけに静かな暗闇を冷たい生が音も立てずに近付いてくる。

 明らかな殺気は捕食する意思がある獣の気配だ。


 部屋の窓ガラスが割れるより早く、ソウはシドの上に覆いかぶさった。

 ガラスを割って入り込んできた金色の目に刃を突き立てる。


「キァッ……ッ」


 堪らずに逃げた蛇を追いかける。


「ソウ! 殺すな! 本体はそれではない!」


 後ろに聞いたシドの声に小さく頷く。

 追いかけた先の黒い大蛇の腹に、一太刀を浴びせた。

 悶えるようにその場に蜷局を巻く蛇を睨み据える。


 地面を弾いた尾を避けて大きく飛び上がる。

 頭にもう一太刀、斬り込んだが鱗に弾かれた。


(腹以外は硬い。血魔術なら斬り遂せるか)


 刀身に指を滑らせる。

 滴った血が黒い炎に変わる。刀が黒い炎を纏って魔力を吸った。


 着地と同時に走り込み、黒い炎の刀身で腹を捌く。

 悲鳴とも雄叫びとも取れない声を発して、大蛇が黒い体を地面に投げ打った。

 血魔術に酸ではなく痺れの毒をイメージした。

 大蛇が痙攣して動けなくなっている。

 思った以上の威力を見て取って、ソウは後ろに飛び退いた。


「動きは封じた。殺すほど斬り込んではいない」


 振り返ったシドの目が、紅く光っていた。

 右目を手で覆い隠し、左目で蛇を凝視する。


「ソウ、同じように凝視してみよ。蛇の腹の中に、黒い塊があろう」


 言われた通り、ソウは右目を隠して左目で蛇を注意深く見詰めた。

 腹の真ん中に、真っ黒な塊が蠢いている。

 まるで生き物のようなそれは、心の臓のように拍動している。

 強烈な異物感があった。


「あれは、何だ……」


 禍々しい気が漂い出て、思わず口と鼻を覆った。


「この世界を壊す破壊の種、トガル。エフトラ異界の使徒が持ち込んだ寄生種だ」

「トガル……。エフトラ……?」


 後ろから強い殺気を感じた。

 シドを庇って刀を構える。

 飛んできた何かを斬る前に、何かが目の前で弾けた。

 見えない壁が、見えない敵の攻撃を遮った。


「吾の結界だ。やはり、ここにはエフトラの使徒がいたな」


 殺気と気配が近付いてくる。

 蛇の中にある種より濃い異物感に、吐き気がした。


「今ならソウも感じるであろう。この世界の外から来た者の匂いだ。お前と違い、歓迎できる匂いではないがな」


 シドが顔を顰めた。

 確かに感じる。

 この世界にあってはならないと警鐘を鳴らすような、強烈な刺激臭だ。


(俺はシドの魔力を流されているから、この世界に馴染んだのか。だからアレが異物だとわかるのか)


「困りますねぇ、お客様。折角、手懐けた蛇を壊されては。ソレにはもうしばらく人を喰ってもらわないといけないのに」


 濃い暗闇から顔を出したのは、宿主の老婆だった。

 胸の真ん中に、蛇と同種の、もっと禍々しい気配を感じる。


「黒の大蛇は人喰の魔獣ではない。無理に人を喰わせて、貴様らは何がしたい」

「あぁ……。もしや西の魔王、竜王様ですか? 異世界から来た勇者に討ち取らせたはずだったのに。やはり、まだ生きていましたか」


 老婆がクックと気味の悪い笑いを漏らした。


「討ち取らせた? お前たちの仲間がシドを殺そうとしたのか?」


 老婆の目がソウに向いた。


「いえいえ、むしろ仲間というなら貴方のお仲間でしょう。勇者は貴方と同じ匂いがしました。同じ場所から来た人間、毛色は多少、違って見えましたが」


 自分と同じ日ノ本から来た人間だろうか。

 心当たりが全くなくて、わからない。


「つまりは、勇者とソウは同じ異世界から来た転移者、この世界の住人に呼ばれた救世主。目の前にいる気色の悪い異物はまた別の世界から勝手にやってきた。この世界を壊さんとする、侵略者だ」

「侵略者……」


 シドと老婆を見比べる。

 侵略者という表現は分かり易くソウの脳に沁み込んだ。


「恐らくはリンデル王国が召喚した勇者を侵略者が誑かしたのだろう。魔王討伐など、この世界の人間なら考えもせぬ。北の魔王と時々、小競り合う程度だ」

「誑かすなど、人聞きの悪い。リンデル国王と勇者様はご理解くださったのですよ。我等エフトラの使徒の崇高な思想をね。魔王は生かしておけない。邪悪な存在を殺して、この世界を清く美しく浄化しよう」


 老婆が両手を上げて笑んだ。

 その顔があまりに醜悪で、ソウは眉を顰めた。


「外の世界から勝手にやってきた侵略者に掃除してもらわねばならぬほど零落れておらぬわ」


 シドが手を翳す。

 氷結の刃が老婆に向かって飛んだ。

 老婆はそれを軽く往なした。


「折角、命からがら逃れても、力は戻りませんね。討たれてから何年も経つというのに、身を隠すのが精々でしたか。竜王ともあろう存在が、お可哀想に」


 老婆の目が歪に笑んだ。


(何年も? シドは何年も前に討たれていたのか? 勇者というのは、俺よりずっと早くに、この世界に来ていたのか)


 初めて聞く話ばかりで、頭が混乱する。

 シドが目をそらさずに老婆を睨み据えていた。


「目的を聞いておる。エフトラの使徒が魔王を殺す目的はなんだ。トガルを使って、この世界を壊したいか?」


 老婆が、目を見開いた。


「我等は世界を正す者。魔王が世界の均衡に関わろうなど、そもそもが間違っている。だから正そうというのです。邪なる存在は悪魔で邪でしかない。そんなものが蔓延る世が正しいはずがない。真の正しさだけが世界を救うう!」


 歓喜に満ちた目が血走っている。

 それがソウには常軌を逸した顔に映った。

 老婆の目がソウに向いた。


「異世界からの救世主。貴方が真に討たねばならぬのは隣にいる魔王です。魔王から世界を救うために、リンデル王国が貴方をこの世界に呼んだのです。使命を果たしなさい」


 ソウは老婆をじっと見詰めた。


「つまりお前は、魔王を殺したいのか? 竜王を殺したいのか?」

「その通りです! 魔と邪を排し綺麗な世界を作る。それがエフトラの使徒の使命です! 崇高な正義を掲げるリンデル王国をエフトラは支持する! さぁ、この世界の救世主よ。魔王を殺しなさい!」


 常軌を逸した目が同じ言葉を繰り返す。

 老婆から目を離さぬまま、ソウはシドに問い掛けた。


「シド、聞いてもいいか」

「なんだ」

「大抵の生き物は首を落とせば死ぬ。アレも同じか?」

「胸の中のトガルを壊さねば死なぬ。トガルは心臓に寄生し脳を乗っ取る、種自体が生き物だ」


 老婆の胸で拍動する種を凝視する。

 まるで真っ黒な心臓のようだった。


「もう一つ、聞いていいか」

「なんだ」

「シドは、どうなったら死ぬ?」

「……心臓を壊す。ソウが死ぬ。どちらかだ」

「わかった」


 返事をした瞬間に、ソウは走った。

 俊足を老婆が捉えた瞬間にはもう、血魔術を纏った刃がトガルを貫いた。

 刃を伝って血魔術を流し込む。 

 酸の毒と炎がトガルを焼き溶かした。


「お前は! 自分の役割がわかっていないのか! リンデル王国がお前を召喚したのは、魔王を殺させるためぞ!」


 老婆が必死の形相でソウを睨む。


「草は主を自分で選ぶ。俺の主はシドだ。主を殺そうという者に容赦しない」


 刀を引き抜き、横に薙ぐ。

 白く走った閃光が、老婆の首をはねた。

 静かな音を立てて首が落ちる。

 トガルが燃えた体と共に、黒い炎に巻かれた。


 炎に焼かれながら、首が転がる。

 その目がソウを睨みつけた。


「おのれ、転移者。いずれ後悔するぞ。魔王は、この世界を滅ぼす存在……」


 言い終えぬうちに、首が塵になって消えた。


「俺の後悔はお前が決めることじゃない。俺が守るのはシドだけだ」


 焼き消え空を舞う塵を、ソウは色のない目で眺めた。

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