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第12話 草は主の総てを守る

 振り返ると、シドが大蛇の顔に手を添えていた。


「可哀想だが、殺すしかないな」

「何故だ? トガルが埋め込まれているからか?」


 老婆の中にあったトガルと同じように、大蛇の中のトガルも拍動している。


「黒い大蛇は元来、人を喰わぬ。トガルのせいで人を食い殺すのは、摂理に反する。蛇も辛かろう」


 自分の意志とは関係なく、喰いたくもない生き物を喰わねばならないのは、辛いのかもしれない。

 シドが蛇に当てた手に魔力を込めた。


「殺すのもまた、魔獣の王である竜王の役割だ」

「待て、シド、ダメだ」


 ソウはシドの手を掴んで、蛇から離した。


「何故、止める。この蛇は人を喰うのだぞ。野放しにすれば、お前たち人が害を受ける」

「それでも、ダメだ。そんな顔で同族を殺すな」


 シドの表情が固まった。

 ソウは蛇の中のトガルを凝視した。


(老婆の中のトガルは根を伸ばして体に広く張っていた。蛇のトガルは、まだ根が浅い)


 拍動する種は根を伸ばしているが短い。


「トガルを取り出せば、問題ないのだろう」


 ソウは懐から薬研藤四郎を取り出し、引き抜いた。

 指を滑らせて刀身に血を馴染ませる。

 短刀に炎が纏った。


「取り出す? 根を張ったトガルを取り出せるはずがなかろう」

「やってみなければ、わからない。俺が失敗したら、その時は俺が蛇を殺す」


 シドの肩を退けて、ソウは蛇の腹に手を当てた。


トガルの場所は浅い。腹を裂いては、ダメだ。最小限の傷で収める。ならば)


 薬研藤四郎を握り締めて、ソウは念を込めた。


「刃をトガルに突き立てて血魔術で焼く。蛇の腹を守ってくれ」


 刀身に語り掛けるように呟いた。

 腹に触れ、慎重に刃を差し込む。

 薬研藤四郎の刃がするりと腹の中に滑り込んだ。

 トガルの真ん中を捕えた刃に、血魔術の炎を流し込む。

 蛇の腹の中で、トガルが焼き溶ける。

 根までも塵となり、消えた。


「まさか、本当にトガルだけを焼いたのか?」


 後ろでシドが戸惑った声を漏らした。

 ゆっくりと刃を引き抜く。

 薬研藤四郎が通った刃の傷跡は、刺した痕跡さえもわからない程、ぴたりとくっ付いた。


 大蛇が首をもたげて、シドに頬擦りした。


「気が戻ったか。殺そうなどと、すまなんだな。もう、住処の森へ帰れるぞ」


 シドが大蛇を撫でる。

 その手は大事なものを慈しむように優しく見えた。


 起き上がった蛇が、ソウにも頬擦りした。

 ありがとうと礼を言われているようで、照れ臭くなった。

 黒い蛇は鬱蒼と茂る森へ帰って行った。


「助かった。お前の機転がなければ、吾はあの蛇を殺していた」

「殺さずに済むなら、それがいいだろう」


 シドが不思議そうな顔でソウを眺めた。


「老婆を躊躇なく殺しておきながら、蛇を救ったのは、何故だ。人にとり、魔獣の方が害ではないのか」

「あの老婆はシドを殺すと言った。主を殺す輩を放置できない」

「そういうことか。そういう、依頼だったな」


 何故か、シドが悲し気な顔をしているように見えた。


「では何故、蛇を救った。蛇を救えなどと、吾は命じておらぬ」

「シドは蛇を殺したくなかっただろう。シドの思想や信念や心も、守るべきシドの一部だ。そのつもりでいる」


 シドがソウを見詰める。

 その顔が泣き出しそうにも嬉しそうにも見えて、ソウは戸惑った。

 強張っていたシドの顔が、力を抜いて笑んだ。


「やはりソウは、不思議な生き物だ」


 そう言って笑んだシドが、やけに幼く、人臭く見えた。


「おーい! 兄さんたち!」


 遠くから声がして振り返る。

 先日、立ち寄った服屋の主人が走ってきた。


「どうした、店主。夜明け前だぞ」


 シドに言われて、ソウは空を見上げた。

 明星が瞬く空は、夜の暗から朝の白さに変わり始めている。


「いつの間に、夜が明けそうだ」


 ぽつりと呟いた。


「どうもこうもねぇよ。街に人喰い蛇が出たってんで、皆、避難してんだ。俺は自警団だから、町中を見回ってたんだよ。こんな街外れで、何してんだ。ここには廃屋になった宿しかねぇぞ」


 服屋の店主の言葉を聞いて、ソウは宿を振り返った。

 さっきまでおんぼろ宿だった建物は、崩壊寸前の廃墟に様が変わっていた。


「エフトラの魔術が消えたか」


 シドが小さな声で呟いた。

 足元に目をやって、何かを拾い上げた。


「人喰い蛇なら退治した。もうこの街が襲われる懸念はあるまい」


 シドが服屋の店主に拾ったものを手渡した。

 覗き込むと、黒い蛇の鱗だった。


「本当か? 兄さんたちが退治したのか?」

「そうだ。吾の相棒は強いのでな。大蛇程度、朝飯前だ」


 シドが得意げに笑う。

 服屋の店主の目がソウに向いた。


「イケメンの兄ちゃん、戦士か何かか?」

「こやつは草よ」

「草?」

「分かり易く言うなら……、魔術剣士だな」

「魔術剣士たぁ、かなりスキルが高ぇジョブじゃねぇのか? そんなに強ぇ冒険者だったのか」

「いや、俺は……」


 魔術剣士がどんな職業か、わからない。

 否定も肯定も出来ない。


「と、とにかく、一緒に来てくれ。町長に報告しねぇと」


 慌てた店主に連れられて、ソウとシドは避難所になっている中央広場に連れて行かれた。

 服屋の店主はデニムという名らしい。


 中央広場で待機していた町長を掴まえて、デニムが事情を説明してくれた。

 黒い蛇の鱗を受け取った町長が、顔を顰めてソウとシドを見詰めた。


「たった二人で、あの大蛇を退治したと?」

「正確にはソウ一人でだ。吾は守られていただけよ」


 守られていただけ、という割に、シドは鼻高々な表情だ。

 町長の顔が見る間に驚きに変わる。


「この街周辺に人喰い蛇が出ると聞いたので、偵察がてら寄ったのだ。狙い通り、蛇が現れ、あっという間に退治した。夜は明けてしまったがな」

「では御二人は、初めから、魔獣退治のために、この街にいらっしゃったのですね」


 町長の言葉遣いが変わった。

 表情が既に感嘆に染まっている。


「その通りだ。吾等は魔獣を倒して金を稼ぐ冒険者だからな」


 ふん、とシドが鼻を慣らす。


「魔獣退治ができる冒険者は、かなりの高ランクだって聞くぜ」

「こんな辺境にまで来てくれる冒険者もいるんだな」


 避難していた人々が、ひそひそと話し始めた。


「もう怯える必要はないぞ。人を喰う魔獣は消えた。安心して暮らすがいい」


 シドが声高に宣言した。

 人々の間に歓喜の声が湧く。


 即興の嘘が上手いなと思った。

 何となく、竜王のシドが人の世の金を持っている理由が分かった。


「充分なお礼を準備させていただきます。お疲れでございましょうから、一先ずは宿でお休みください」


 町長の計らいで、街の中央にある立派な宿に部屋を取ってもらえた。

 疲れが癒えるまで何日でも滞在していいと伝えられ、かえって恐縮してしまった。

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