振り返ると、シドが大蛇の顔に手を添えていた。
「可哀想だが、殺すしかないな」
「何故だ? トガルが埋め込まれているからか?」
老婆の中にあったトガルと同じように、大蛇の中のトガルも拍動している。
「黒い大蛇は元来、人を喰わぬ。トガルのせいで人を食い殺すのは、摂理に反する。蛇も辛かろう」
自分の意志とは関係なく、喰いたくもない生き物を喰わねばならないのは、辛いのかもしれない。
シドが蛇に当てた手に魔力を込めた。
「殺すのもまた、魔獣の王である竜王の役割だ」
「待て、シド、ダメだ」
ソウはシドの手を掴んで、蛇から離した。
「何故、止める。この蛇は人を喰うのだぞ。野放しにすれば、お前たち人が害を受ける」
「それでも、ダメだ。そんな顔で同族を殺すな」
シドの表情が固まった。
ソウは蛇の中のトガルを凝視した。
(老婆の中のトガルは根を伸ばして体に広く張っていた。蛇のトガルは、まだ根が浅い)
拍動する種は根を伸ばしているが短い。
「トガルを取り出せば、問題ないのだろう」
ソウは懐から薬研藤四郎を取り出し、引き抜いた。
指を滑らせて刀身に血を馴染ませる。
短刀に炎が纏った。
「取り出す? 根を張った
「やってみなければ、わからない。俺が失敗したら、その時は俺が蛇を殺す」
シドの肩を退けて、ソウは蛇の腹に手を当てた。
(
薬研藤四郎を握り締めて、ソウは念を込めた。
「刃をトガルに突き立てて血魔術で焼く。蛇の腹を守ってくれ」
刀身に語り掛けるように呟いた。
腹に触れ、慎重に刃を差し込む。
薬研藤四郎の刃がするりと腹の中に滑り込んだ。
トガルの真ん中を捕えた刃に、血魔術の炎を流し込む。
蛇の腹の中で、トガルが焼き溶ける。
根までも塵となり、消えた。
「まさか、本当にトガルだけを焼いたのか?」
後ろでシドが戸惑った声を漏らした。
ゆっくりと刃を引き抜く。
薬研藤四郎が通った刃の傷跡は、刺した痕跡さえもわからない程、ぴたりとくっ付いた。
大蛇が首をもたげて、シドに頬擦りした。
「気が戻ったか。殺そうなどと、すまなんだな。もう、住処の森へ帰れるぞ」
シドが大蛇を撫でる。
その手は大事なものを慈しむように優しく見えた。
起き上がった蛇が、ソウにも頬擦りした。
ありがとうと礼を言われているようで、照れ臭くなった。
黒い蛇は鬱蒼と茂る森へ帰って行った。
「助かった。お前の機転がなければ、吾はあの蛇を殺していた」
「殺さずに済むなら、それがいいだろう」
シドが不思議そうな顔でソウを眺めた。
「老婆を躊躇なく殺しておきながら、蛇を救ったのは、何故だ。人にとり、魔獣の方が害ではないのか」
「あの老婆はシドを殺すと言った。主を殺す輩を放置できない」
「そういうことか。そういう、依頼だったな」
何故か、シドが悲し気な顔をしているように見えた。
「では何故、蛇を救った。蛇を救えなどと、吾は命じておらぬ」
「シドは蛇を殺したくなかっただろう。シドの思想や信念や心も、守るべきシドの一部だ。そのつもりでいる」
シドがソウを見詰める。
その顔が泣き出しそうにも嬉しそうにも見えて、ソウは戸惑った。
強張っていたシドの顔が、力を抜いて笑んだ。
「やはりソウは、不思議な生き物だ」
そう言って笑んだシドが、やけに幼く、人臭く見えた。
「おーい! 兄さんたち!」
遠くから声がして振り返る。
先日、立ち寄った服屋の主人が走ってきた。
「どうした、店主。夜明け前だぞ」
シドに言われて、ソウは空を見上げた。
明星が瞬く空は、夜の暗から朝の白さに変わり始めている。
「いつの間に、夜が明けそうだ」
ぽつりと呟いた。
「どうもこうもねぇよ。街に人喰い蛇が出たってんで、皆、避難してんだ。俺は自警団だから、町中を見回ってたんだよ。こんな街外れで、何してんだ。ここには廃屋になった宿しかねぇぞ」
服屋の店主の言葉を聞いて、ソウは宿を振り返った。
さっきまでおんぼろ宿だった建物は、崩壊寸前の廃墟に様が変わっていた。
「エフトラの魔術が消えたか」
シドが小さな声で呟いた。
足元に目をやって、何かを拾い上げた。
「人喰い蛇なら退治した。もうこの街が襲われる懸念はあるまい」
シドが服屋の店主に拾ったものを手渡した。
覗き込むと、黒い蛇の鱗だった。
「本当か? 兄さんたちが退治したのか?」
「そうだ。吾の相棒は強いのでな。大蛇程度、朝飯前だ」
シドが得意げに笑う。
服屋の店主の目がソウに向いた。
「イケメンの兄ちゃん、戦士か何かか?」
「こやつは草よ」
「草?」
「分かり易く言うなら……、魔術剣士だな」
「魔術剣士たぁ、かなりスキルが高ぇジョブじゃねぇのか? そんなに強ぇ冒険者だったのか」
「いや、俺は……」
魔術剣士がどんな職業か、わからない。
否定も肯定も出来ない。
「と、とにかく、一緒に来てくれ。町長に報告しねぇと」
慌てた店主に連れられて、ソウとシドは避難所になっている中央広場に連れて行かれた。
服屋の店主はデニムという名らしい。
中央広場で待機していた町長を掴まえて、デニムが事情を説明してくれた。
黒い蛇の鱗を受け取った町長が、顔を顰めてソウとシドを見詰めた。
「たった二人で、あの大蛇を退治したと?」
「正確にはソウ一人でだ。吾は守られていただけよ」
守られていただけ、という割に、シドは鼻高々な表情だ。
町長の顔が見る間に驚きに変わる。
「この街周辺に人喰い蛇が出ると聞いたので、偵察がてら寄ったのだ。狙い通り、蛇が現れ、あっという間に退治した。夜は明けてしまったがな」
「では御二人は、初めから、魔獣退治のために、この街にいらっしゃったのですね」
町長の言葉遣いが変わった。
表情が既に感嘆に染まっている。
「その通りだ。吾等は魔獣を倒して金を稼ぐ冒険者だからな」
ふん、とシドが鼻を慣らす。
「魔獣退治ができる冒険者は、かなりの高ランクだって聞くぜ」
「こんな辺境にまで来てくれる冒険者もいるんだな」
避難していた人々が、ひそひそと話し始めた。
「もう怯える必要はないぞ。人を喰う魔獣は消えた。安心して暮らすがいい」
シドが声高に宣言した。
人々の間に歓喜の声が湧く。
即興の嘘が上手いなと思った。
何となく、竜王のシドが人の世の金を持っている理由が分かった。
「充分なお礼を準備させていただきます。お疲れでございましょうから、一先ずは宿でお休みください」
町長の計らいで、街の中央にある立派な宿に部屋を取ってもらえた。
疲れが癒えるまで何日でも滞在していいと伝えられ、かえって恐縮してしまった。