寂れたおんぼろ宿とは比べ物にならない立派な部屋に案内されて、唖然とした。
部屋は広くて綺麗だし、調度品も豪華だ。
何より、フカフカのベッドが二つある。
「シドは嘘が上手い。皆、信じていた」
「大衆を巻き込む口上には慣れておる。ちょっとは幻術も使ったがな」
「幻術?」
「そもそも冒険者はギルド登録が必須だ。冒険者登録証明書の提示を求めるのが普通だが、そこを突っ込まれると面倒だ。だから、少しだけ吾の幻術で興奮させて、忘れさせた」
「そんな幻術も使えるのか。シドは凄いな」
あの場で不審がられたら、宿ではなく牢に入れられていた可能性もある。
良かったと思った。
「悪くないフカフカだ。やっと、ゆっくり眠れる」
シドがベッドにゴロンと横になった。
ソウも横になってみた。
前の宿に比べて、フワフワでふかふかのベッドに感動した。
「おい、何故同じベッドに寝転がる。この部屋にはベッドが二つあるのだから、お前はあっちで眠れ」
「一緒に寝た方が、シドは元気になるのだろう?」
「今は、生気は要らぬ」
「魔力は使っただろう。補充しろ」
「お前ほどではない。むしろ、ソウの方が疲れていよう」
問われて、ソウは自分の手を見詰めた。
「疲れている感覚はないが。魔力を使ったのは初めてだから、よくわからない」
あの程度なら体の疲労もない。
魔力が減っている感じもしない。
「まだ自覚がないか。無意識の消耗は危険だ。今日は吾が魔力を分けてやる。仕方がないから、隣で眠れ」
「シドに生気や魔力が必要ないなら、いい。一人で眠る」
隣のベッドに移ろうとするソウの腕をシドがひいた。
「いいから、隣で横になれ」
そういう命ならばと、ソウは隣に横たわった。
「ソウは、アレをどう思った?」
「アレとは、老婆か? 不気味な気配だった。俺が知っている、どの生き物とも違う」
この世界で出会った魔獣もシドも、ソウが知る生き物ではない。
けれど、それとはまた別の、得も言われぬ不気味さがあった。
「あの場での会話を、覚えているか?」
「覚えている」
何気ない声や言葉を記憶するのは慣れている。
そういう聴術や記憶術もまた草の体術だ。
命を繋ぐ術でもある。
「老婆と吾の言葉、ソウはどちらを信じる? 奴らは救う者か、侵す者か……」
「シドだ」
即答したソウを、シドが苦々しい顔で睨んだ。
「もっと考えよ。頭を使ってから返事をしろ」
こめかみをグリグリされた。
気に入らなかったらしい。
「考えろというなら考えるが、答えは変わらないぞ」
「吾が依頼主だからか? ならばそれ抜きで考えよ」
主の命ならば、とソウは考えてみた。
(不気味だったのは、老婆や蛇の中にあった
排除、と思い至って、思考を止めた。
(この世界を知らないのに、何故、そう感じるのだろう)
明確な理由はわからないが、ソウはトガルを好まない。
それは確かだ。
「老婆と蛇に巣食ったトガルは、気色が悪かった。あれが良いものだと、俺は感じない」
人喰しない魔獣を人喰に変えてしまうような種は気味が悪い。
「シドの白くて冷たい魔力の方が、美しくて俺は好きだ」
シドが、ちらりとソウを眺める。
「エフトラの使徒は、この世界を正す者だと思うか? 侵略者だと思うか?」
「よくわからないが、どちらであっても余計な世話だと思う。国を正すか捨てるかは、この国の住人が決めればいい」
「違いない」
シドが、軽く吐き捨てた。
「老婆の話では、ソウは魔王討伐のためにリンデル王国が召喚した、異世界からの救世主のようだ」
「その依頼を俺は受けないぞ。今はシドの依頼を受けている」
依頼を受けたら一つに専念する。
ソウの矜持だ。
シドがソウを流し見た。
「なれば、依頼が終わったら、どうだ。吾に心臓が戻れば、依頼は終わりだ。その後なら、受けるか?」
「受けない。俺はトガルが嫌いだ。あんなものを生物の体に仕込む輩には関わりたくない」
直感的で感覚的だが、草には大事な感性だ。
自分が嫌悪するモノに不用意に近付くと、命を縮める。
依頼は自分で見極め判断する。
それが里の教えだ。
「顔を見る前に攻撃を仕掛けた吾も、同じようなものだろう。結果、お前に魔力を奪われたがな」
「あの蔦か? 避けようと思えば、避けられたぞ」
シドが怪訝な顔をした。
「なら何故、避けなかった?」
「避ける必要がないと判じた。受け止めても死なないと感じた」
シドが、ぱちくり、と瞬きした。
「お陰でシドに会えたから、良かったと思う」
何故かシドに頬を摘ままれ、引っ張られた。
「出会ったのが吾で、幸運だったな。他の三人の魔王に比べれば、吾は温厚だ」
自分を温厚と語る者が本当に温厚かは謎だと思う。
とりあえず、他の三人の魔王も癖が強いのだろうと思った。
「何にせよ、リンデル王国がエフトラの使徒と組んで、魔王を排そうと動いているのは間違いない。吾の生存はトガルを通して仲間に知れたかもしれん。道中、敵が増えそうだ」
シドがソウの頬から手を離した。
心臓を取り戻すまでの道すがらで、襲われる危険は充分ある。
シドが話していた以上に、道のりは険しくなったんだろう。
ソウは上体を起こして、シドを見下ろした。
「魔力を増やすには、どうすればいい。シドを確実に守るには、今より血魔術を使えた方がいい」
「考えても、答えは変わらぬか」
「初めから、そう言ったぞ。俺が信じるのも守るのも、シドだけだ」
シドから流れ込んでくる魔力は心地いい。
ソウにとって、シドを信じる理由は、それで十分だ。
シドの依頼を受けると決めたのも、主と定めたのも、ソウ自身だ。
「吾は良い拾い物をしたようだ。ソウなら、この先の道行で何を見ても、自分の頭で考えられような」
「草は矜持を持って仕事を全うする。何も考えていないわけではないぞ」
「そうだな。ソウの考えは奇想天外で面白い」
シドがソウに手を伸ばした。
頬に触れた手は、やっぱり冷たくて気持ちがいい。
「食って寝て、魔力に馴染め。常に血魔術で遊んでいろ。ソウなら、それで十分だ。吾のために魔力を増やせ」
シドが嬉しそうに微笑んだ。
その顔から緊張や悲壮感が抜けていた。
少しだけ、安堵した。
「わかった。なら今は、眠ろう。起きたら飯を食って、風呂にも入りたい」
「そういえば、大浴場があるとか言っていたな。起きたら行くか」
「行く……」
ごろりと横になって、シドに手を回した。
唐突に疲れと眠気を感じた。
フワフワしながら、シドの体を引き寄せる。
「やけに、眠い……な。俺も、疲れていたようだ。普段は眠っていても起き様に、人の首くらい落とせるのに……」
そういえば昨日も、シドに触れたら眠くなった。
いつもより深い眠りに落ちそうになる。
それではシドを守れないから困るのに、瞼が重い。
「初めて魔力を使ったのだから、当然だ。眠くなるのは、吾に生気を喰われているせいだ。だから、引っ付くな。自分の魔力を回復しろ」
「シドも魔力を使った。俺の生気を喰っていいから、シドも回復しろ」
「生気は要らんといったぞ。くっ付くな」
シドがソウの体を押し退ける。
その手を払って、体を寄せた。
「ダメだ。シドの元気がないと心配だ。大人しく俺を喰え。空腹を隠すな」
「……頑固者め。普段は鈍のくせに、時々やけに敏くて、面倒だ」
鬱陶しそうに零したシドが、抵抗をやめた。
冷たい魔力と温かな肌が心地よい。
ソウの意識は抗えない眠りへ落ちていった。