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第15話 報酬をもらった

 宿に備わっている大浴場は広かった。

 里の奥の山に湧いていた温泉を思い出して、ゆっくり浸かれた。


 宿の主人が気を利かせてくれたのか、朝食も豪華だった。

 相変わらず知らない料理ばかりだったが、美味かった。

 町長が準備してくれた報酬は、手に持って余るほどの麻袋が二つ。

 その中にたっぷりと金貨が詰まっていた。

 小さな町の貯えにしては多い額だったようだ。


「人喰い蛇には、街の者も何人も喰われました。どれだけギルドに申請しても冒険者が来る気配はなく、打つ手もなく困っておりました」


 町長の顔には苦悩が刻まれている。

 助けもなく、本当に困っていたのだろう。


「魔術剣士様にお支払いするには足りぬ額とは存じますが、街中からかき集めた報酬です。どうか、お受け取り下さい」


 二つ並んだ麻袋をシドが眺めた。


「町長、質問に答えよ。人喰い蛇に街が襲われ始めたのは、いつからだ?」

「この一年ほどでございます。三年前に西の魔王である白の竜王が勇者様に討たれて以降、魔獣が暴れ出しました。それまで人を喰わなかった魔獣までもが、人を喰い始め、街の結界師だけでは対処しきれなくなりました」


 シドが神妙な顔をしている。


(シドは三年も前に討たれたのか。俺と同じ日ノ本から来た勇者は、それより早くリンデル王国に来ていたのだな)


「街の後ろに広がるは魔窟の森、魔獣が生息する森であろう。棲み分けも対処も心得ておるのではないのか」

「仰る通りです。我等は魔獣を恐れ敬う森の民にございます。時に守り、時に狩り、共存を図ってきた住人です。しかしその均衡が、崩れてきている。これまでのやり方では、命を守れません」


 それはきっと、竜王であるシドが力を失ったから。

 魔獣が統率を失くした。

 そんな気がした。


(それに、トガル。蛇の腹にあったのと同じ種が他の魔獣にも仕込まれていたら、魔獣は無作為に人を喰らう)


 生を繋ぐための捕食ではない。 

 寄生種である破壊の種に人を喰わされる。

 寒気が走る怖さだ。


「もう一つ、答えよ。町はずれにある廃屋は、元は宿だそうだな。いつから、あの状態だ?」

「あの宿は、十年以上前には主であった老婆が亡くなり、宿を畳みました」


 ソウたちが街に着いた一昨日までは、確かに宿が経営しており、老婆が生きていた。

 服屋の店主であるデニムがソウたちに案内した宿は、間違いなく二か所だった。


(デニムも町長も気が付いていない? これも幻術か?)


 エフトラの魔術が切れた、とシドは呟いていた。

 トガルで老婆の死体を操り、幻術で街の人間の意識を塗り替える。

 そのくらいの摩訶不思議は、可能に思えた。


 腕を組んで思案していたシドが、自分の腕にすぃと手を滑らせた。


「宿屋の廃墟に社を建てよ。中にこれを祀れ」


 シドの手の中にあったのは、小さな竜の鱗だ。

 真っ白い鱗はソウの胸の鱗に似て、美しい。


「これは、白竜の鱗ではありませんか。上級の占術師ですら一生に一度、出会えるか否かの品です。貴方様は、一体……」


 町長の顔が驚愕している。

 シドの手の中の鱗は親指の爪程度の大きさだ。

 ソウの胸に埋め込まれた鱗に比べたら、遥かに小さい。

 それでこれだけ驚かれるのだから、シドの鱗は貴重品のようだ。


「吾は、呪術師よ。リンデル王国直属の呪術師ドルイトより遥かに上級の、ドグ=フレイズマルだ」

「ドグ=フレイズマル……! 伝説の魔法使いで呪術師の……、永遠の命を得て大陸を旅されているとの噂は本当だったのですか」

「其方も結界師であるなら、吾のただならぬ魔力を感じ取れよう」


 シドから普段感じない魔力を感じた。

 わざと流しているのだと思った。

 町長が驚愕と歓喜に満ちた顔をしているから、幻術も使っているようだ。


「何という奇跡、何という幸運。生きている間にドグ=フレイズマル様にお会いできるとは……」


 町長が、最早泣いている。

 幻術のせいなのか、本気なのかよくわからなくなった。


「わかったなら、あの場所に社を建てて鱗を祀れ。この金は、それに宛がえ」


 シドが二つの麻袋の内、一つを町長に押し戻した。


「それでは報酬が足りませぬ。受け取っていただかなければ」

「ギルドへの報告が必要ないのは、名を聞けば理解できよう。吾に出会った時の約束事は、何とする?」

「ドグ=フレイズマルとの出会いを他言するな。話せば災いを引き寄せる」

「我ら二人への報酬であれば一袋の金貨で充分よ。お前は言い伝えのまま、この出会いに口を噤み、指示通りに社を建て、街を守っておればよい」

「なんと、なんとお礼を申し上げたら良いか……。貴方様はやはり災禍などではない。民を救う英雄にございます」


 町長が泣きながら深く頭を下げた。

 泣き縋る町長の引き止めを何とか躱して、シドとソウは宿を立った。


「やはり、シドは嘘が上手い。今日は幻術をあまり使わなかった。それでも町長は騙された」


 袋にパンパンに詰まる金貨をシドが満足そうに眺めた。


「幻術など使わずとも、人心を掌握する口上は心得ておると話したろう。何より、社を建てさせ守らせるに幻術は不向きよ。あの町の者どもには永劫、祀り続けてもらわねばならんからな」

「そうだな」


 シドが意外そうな目をソウに向けた。


「理由を聞かぬのか?」

「人と魔獣の棲み分けのためだろう。あの鱗からはシドの魔力を感じた。シドの力を感じれば魔獣は気を丸く収めるだろう? 魔獣が襲わなければ、あの町の人間は魔獣を無駄に殺さない」


 黒い大蛇がそうであったように。

 魔獣の王である竜王の気で、魔獣は正気を戻すのだろう。


「何故、そう思った。この世界に来たばかりのお前に何故、わかる?」


 シドが怪訝な顔をしている。

 何かを警戒しているような顔だ。


「俺が住んでいた日ノ本にも、似たような民がいた。山に住まう人間は、共存のために獣と棲み分け、必要以上に関わらない。互いを重んじ、干渉しない。それが長く生きる秘訣だ」


 武蔵国の山奥には、そうやって狼と共に生きる民がある。

 狼は大神、山神の神使だ。


「やはりシドは魔獣の王なのだな。しかし、人にも配慮がある」

「魔獣を守るため、時には人も守る。場合によっては人も魔獣も殺す。それが竜王だ」

「そうか」


 それは難儀だな、と続けそうになった言葉を、ソウは飲み込んだ。

 シドの顔から警戒が抜けていた。

 少しだけ満足そうな顔をして見えたから、言うのをやめた。


「金貨は、勿体なく思ったか?」

「一袋返したことか? 社を建てるなら、入用だろう。この町はお世辞にも栄えているとは言えない。蓄えは必要だろう」


 はたと、別の考えが過った。


「俺を養うのに銭が必要なら、俺が稼ごう。また冒険者とやらの真似事をすればいい」

「それでは己で己を養っていよう」


 シドが可笑しそうに笑った。

 言われてみればそうか、とちょっと恥ずかしくなった。


「この一袋の金貨だけでも充分な貯えよ。当面は働かずとも困らぬ。案ずるな」

「そうか。だが、蓄えは大事だから、仕事があれば受けよう」

「真面目だな。まぁいい。道中、そういう事態もあろうからな」


 シドが麻袋を仕舞った。

 どこに仕舞ったのかわからなかったが、手から消えていた。


「さぁ、次の場所へ向かうぞ。道のりは長いからな」


 シドについて、斜め後ろを歩く。

 何も知らない異世界での魔王護衛の依頼は、始まったばかりだ。

 不安より、まだ見ぬ世界への興味が先立つ自分の心に戸惑う。

 戸惑いながらも、不安はなかった。

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