歩きながらソウは、もう一つ、気になった名前を聞いてみた。
「ドグ=フレイズマルとは、何だ? 偉い呪術師なのか?」
「大陸最強と謳われた大魔法使いで呪術師。何千年も昔の英雄だが、不死の体となって大陸を旅して廻っていると言い伝えられておる。吾の二つ名だ」
事も無げに語るシドの横顔を眺める。
「つまり、シドがドグ=フレイズマルなのか?」
「今となってはな」
よくわからなくて、首を傾げる。
シドが今のように人の形に化けて何千年も大陸を旅しているのだろうか。
「ドグ=フレイズマルとの出会いを他言するな。話せば災いを引き寄せる。噂が独り歩きするには充分な口上ですね」
町の門の外側から声が飛んできた。
声の主は一昨日会った魔道具商人だった。
(あの男、アルハと言ったか。気配が流動的で、捉えにくい)
感じる気配はあまりにも無害で、佇まいは植物のようだ。
不思議な人間だと感じた。
「魔道具屋か。一昨日は世話になったな。お陰で吾の相棒は強くなった」
シドが普通に話しかけたので、ソウは警戒を弱めた。
そんなソウに、アルハが笑みを向けた。
「本当ですね。たった二日で見違えるほど魔力が強くなった。馴染んだ、のでしょうか?」
「魔晶石のお陰よ」
「お役に立てたのなら光栄に存じます」
アルハが仰々しく礼をする。
「お前はこれから、どこに向かう? これまでどこを歩いてきた?」
「私は旅商人故、方々を歩きますが。ここ数年はリンデル王国の中をあちこちと歩いてまいりました。行きたい場所には立ち寄れましたので、このまま南へ下り、コナハト皇国へ至ろうと思っております」
「それが賢明であろうな」
シドとアルハの会話を遠巻きに聞く。
(コナハト……。南の隣国なのか。この世界にはリンデル王国以外にも、国が在るのだな)
ソウがいた世界にも多くの国が在るのは知っている。
日ノ本以外の国から宣教師が武将の元へ赴いていた。
「北へ向かわれる前にコナハトに立ち寄ることをお勧めしますよ。北は今、物騒です。今のまま向かわれては、命を捨てる羽目になりましょう」
シドの気配が尖った。
ソウも警戒を強めた。
「何故、吾らが北を目指すと思う?」
「商人の勘です」
アルハは変わらず、柔らかな笑みを崩さない。
「リンデルは北に進軍を始めたか?」
「軍を整えている最中のようです。進軍にはまだ時が掛かるでしょうね」
「では何故、物騒だ」
「王国は北の魔王の元に、勇者パーティを既に何度も送り出しています。その度に負けて、大事な皇子たちが捕らわれてしまいました。だからこそ、王は焦っているのでしょう」
「貴方は何故、そんな話を知っている? それほどの大事、国の機密情報ではないのか?」
皇子が魔王に囚われるなど、リンデル王国の沽券にかかわる内容だ。
秘匿されて然るべきだろう。
思わず口を挟んでしまった。
「本来そうなのでしょうが、王都は噂で持ちきりでしたよ。勇者として立ち向かった皇子三人が相次いで囚われ、北の魔王の従者になった、とね。国民は北の魔王を早く殺せと躍起になっています」
「皇子が三人も……」
確かに由々しき事態だ。
国も放置はできないだろう。
「第三皇子シャムル殿下に至っては、魔王の側近になったとか。リンデルの騎士団を自ら討ち取り、姿を晒しているようです。国を守るべき皇子が敵になったせいで、リンデルの王都は揺れています」
「噂が広がったのは、そのせいか」
「どうでしょう? 噂とは尾ひれ背びれが付くものです。出所は案外、足元かもしれませんね」
アルハが意味深な返しをした。
(どうにも心得があるようだ。ただの商人ではないな)
商売人の身軽さはソウも心得ている。
間諜の仕事で商人に扮する機会は多い。
だからこそ、商人と商人に扮した間者は見分けがつく。
「おのれ、ヴェルヴァラント……。遊びが過ぎるぞ」
シドが呻るような声を絞り出した。
ソウは気持ちを抑えて口を噤んだ。
「リンデル王国が公的に大軍を送り込む前に北の魔王を討ちとろうと、リンデルの冒険者は挙って退治に向かっています。まるで蟻が行列を成すように、孤城に続く死の崖を人間が歩いていますよ」
だからこの街には、いくら申請しても冒険者が来なかったのだろうか。
「ほとんどがワイバーンの餌になろうがな。それもエフトラの狙いか、或いは先導か」
シドが独り言のように零した。
「今、北に向かうは愚策か。だが……」
それきり、シドが黙ってしまった。
アルハの目がソウに向いた。
「お名前を窺ってもよろしいでしょうか?」
「ソウ、という」
「良いお名前で。御二人は仲がよろしいのですね」
「俺はシドの護衛だ。シドは俺の主だ」
「主で護衛で、相棒……。そうでしたか。それは、何よりです」
微笑まれて、戸惑った。
何が何よりなのか、よくわからない。
「……仕方がない。遠回りな寄り道だが、コナハトに向かうか」
シドが意を決したように呟いた。
考えが纏まったらしい。
「それがよろしいでしょう。相棒のソウ様のためにも、貴方様のためにも」
進言したアルハをシドが見上げた。
「コナハトに戻ったら主に伝えよ。ファフニールが会いに行く、とな」
「御意に。道中の御武運をお祈り申し上げます」
胸に手を当てながら、アルハが深々と礼をした。
シドが歩き出したので、ソウは後に続いた。
振り返ると、アルハの姿は既になかった。
「あのアルハという男は何者だ? シドの知り合いか?」
「知り合いではないが、知り合いの従者のようだな」
「ただの魔道具商人ではないんだろう? 人間でもないような気配だった」
「やはりソウは敏いな。アレのジョブはわからぬが、精霊の類だろう」
「精霊……。花や草に宿る魂か?」
日ノ本には仏教の中に、そういった思想がある。
草や木にも魂があり、人間と同じように心があるとする考え方だ。
「それは微精霊だな。大精霊や邪精霊は人の形を成し、人のように生きる者もある」
「精霊が、魔道具商人……」
人でないものが人の里に馴染んで生きている。
日ノ本でも聞く話だが、リンデル王国はそれ以上に人外が身近だ。
「大方、吾の気配を察して、この街に先回りしたのだろう。回りくどい真似をする」
「アルハの主人……、シドの知り合いは、何者だ?」
「南の魔王、ロヴァイアタル。コナハト皇国では魔女と呼ばれる」
「魔女……」
またも馴染みがない言葉だ。
だが、体感的に理解できる。
リンデルの言葉や文字は、知らなくても理解できる時がある。
それはシドの魔術ではなく、この世界が報せる何かなのだろうと感じる。
「もしくは、コナハトの皇帝メイヴであろう。あの二人は仲が良い」
「魔女と皇帝が、仲が良いのか?」
つまり魔王と人間が仲良しということだろうか。
「北の魔王と西の魔王の居城はリンデル王国内にある。南の魔王の居城はコナハト皇国に、東の魔王の居城は中津公国に位置する。国により、魔王と人間の距離感が違う」
「そうなのか。魔王だからと、一概に恐れられている訳ではないんだな」
デニムも、北の魔王に比べ、西の魔王を嫌っている様子ではなかった。
それぞれの魔王により、印象は違うのかもしれない。