駅前の時計台の下。午後の日差しが街に穏やかな影を落としている。
俺は人の流れを避けるように少し離れた場所で立ち止まり、スマートフォンで時刻を確認した。あと十分。待ち合わせには余裕がある。
今日の服装は、白いブラウスに淡いブルーのスカート。そして、髪は高めの位置で結んだ控えめなポニーテール。夏らしく、けれど派手すぎない格好にしたつもりだ。すっかり女の服にも慣れて、自然に選べるようになったと思う。
(変じゃないよな…たぶん)
そう思った瞬間。
「綾ーっ!」
軽快な足音とともに声が聞こえ、顔を上げると奈帆が手を振りながら駆けてきた。
「うわ、綾!今日の服、めっちゃ似合ってるじゃん!」
一歩距離を詰めるなり、奈帆はじっと俺の全身を見て、ぱっと笑顔になった。彼女の服装はカジュアルなTシャツとデニムのショートパンツ。その笑顔はいつも通り輝いている。
「いつも落ち着いてるけど、今日の綾、なんか……柔らかい感じ。すごくいいと思う!」
「……ありがとう。ちょっと夏っぽくしてみた」
俺は、ほんの少し頬が熱くなるのを感じながら、それでも「私」として言葉を返した。
「ほんとほんと、いつも制服でしか会わないからさ、こういう綾はちょっと新鮮。」
そう言って奈帆は満足げに頷くと、くるりと踵を返し、「じゃ、行こっか!」とカフェの方へ歩き出す。
俺は、奈帆の後ろ姿を見ながら、自分のスカートの裾をそっと摘んだ。
(俺がこういう服を着て、“似合う”って言われる日が来るなんてな……)
不思議な気持ちだった。でも、それは決して悪い感情じゃなかった。
奈帆と並んで歩きながら、俺はふと考えた。以前の自分は、友人と遊ぶことがほとんどなかった。一人の時間を好み、淡々と日々を過ごしていた。しかし、今は奈帆と一緒に過ごす時間が心地よいと感じている。友人と共に過ごすことの楽しさを、今さらながら実感していた。
「綾、どうしたの?考え事?」奈帆が心配そうに覗き込む。
「ううん、なんでもないよ」
「そっか。じゃあ、行こう!」
奈帆は俺の手を引き、新しくオープンしたカフェへと向かった。店は駅前の通りに面した場所にあり、外観は木目調の温かみのあるデザイン。大きなガラス窓からは店内の様子が伺え、落ち着いた雰囲気が漂っている。
店内に入ると、柔らかなジャズの音楽とコーヒーの香りが迎えてくれた。二人は窓際の席に案内され、向かい合わせに座る。メニューを開きながら、奈帆が楽しげに話しかけた。
「ここ、すごくおしゃれだね!何にしようかなぁ」
「うん、落ち着いた雰囲気でいいね」
「私はミルクティーと季節のパンケーキにしようかな」
「私はカフェラテとチーズケーキにするよ」
注文を終えると、奈帆はテーブルに肘をつきながら綾を見つめた。
「そういえば、夏休み中に何か新しいこと始めた?」
俺は一瞬考えた後、静かに答えた。
「うん、実は得意な料理を活かして、SNSでレシピや調理のコツを発信してみようかと思ってるんだ」
奈帆は目を丸くし、驚いた表情で身を乗り出した。
「えっ、綾が料理をSNSで発信?すごいじゃん!全然そんなことするタイプに見えなかったから、びっくりしたよ!」
俺は少し照れくさそうに微笑んだ。
「そうかな。でも、前から料理は好きだったし、一人暮らしを始めてからは自炊も増えたから、せっかくだし誰かに見てもらいたいなって思って」
実際俺は、以前から料理が唯一の趣味だった。一人暮らしを始めてからは自炊が日常となり、その腕前も自然と上達していった。しかし、男である自分が凝った料理やお菓子を作り、それをSNSで発信することには抵抗があった。世間では男性が料理をすることが一般的になりつつあるものの、特にスイーツや華やかな料理を男性が紹介することには、まだ偏見が残っていると感じていたからだ。そのため、料理の写真を撮っても、結局誰にも見せずにスマートフォンの中に保存したままだった。
しかし、今は女性としての生活を送っている。この新しい自分なら、以前ためらっていたことにも挑戦できるのではないか。そう思い、SNSで料理を発信することを考え始めた。女性としてなら、スイーツや華やかな料理を紹介することも自然に受け入れられるだろう。また、料理を通じて新しい友人やコミュニティとつながることもできるかもしれない。そんな期待とともに、俺は新たな一歩を踏み出す決意を夏休みの間に固めていた。
「なるほどね。でも、SNSで料理を発信するなんて、なんかおしゃれでかっこいいね!どんな料理を紹介するつもり?」奈帆は興味津々で尋ねた。
「普段作っている家庭料理や、簡単にできるお菓子とかかな。高校生でも手軽に作れるものを共有できたらいいなって思ってるんだけど、実際に始めるとなると、ちょっと迷ってて」
奈帆は大きく頷き、「うんうん、それで?」と促す。
「どのSNSがいいのかとか、写真の撮り方とか、フォロワーを増やすにはどうしたらいいのかとか、色々考えちゃって」
「でも、興味があるならやってみたら?最初は写真だけでもさ、気軽に始めてみて、徐々に工夫していけばいいんじゃない?」と奈帆は励ますように言った。
「そうだね。まずは気軽に始めてみようかな」
「うん、応援してるよ!もし何かあれば、私も手伝うから」
「ありがとう、奈帆」俺は感謝の気持ちを込めて微笑んだ。
その後も二人は他愛のない話を続け、カフェでの時間を楽しんだ。奈帆の明るい性格と俺の冷静さが、心地よいバランスを生み出していた。俺は奈帆との会話を通じて、新しい自分を受け入れ、日常を楽しむことの大切さを再確認していた。