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第11話:妹と再会

月曜日の放課後。いつもの通学路を歩きながら、俺は時折スマホの画面を確認していた。

麻耶が最寄り駅に着く時間まで、あと二十分ほど。ここから急げばギリギリ間に合う。


(ほんとに来るんだな、麻耶)


正直、実感は薄かった。やりとりは確かに交わしたけれど、それが本当に現実として訪れるのかどうか、自分の中でも半信半疑だった。

半年以上、言葉を交わしていない妹。今の“綾”と、どこか距離を置いていた妹。


俺は、スマホに表示されたメッセージをもう一度読み返した。


「改札出たとこで待ってるね。目立たないところにいると思うけど……私、わかるよ」


“私、わかるよ”。

その言葉に、なんとなく胸が締めつけられる。麻耶のほうが、俺のことを遠くに感じていたのかもしれない。


駅に着き、階段を降りると、人の波の向こうに小柄な女の子がひとり、キャリーケースを引いて立っていた。

肩までの黒髪を後ろで結び、ネイビーのカーディガンを羽織っている。控えめな雰囲気だけれど、すぐにそれが麻耶だとわかった。


「……麻耶」


声をかけると、彼女は驚いたように目を丸くした。

でもすぐに、ほんの少しだけ表情を緩めて、頭を下げた。


「……おじゃまします」


「とりあえず、駅出よう。荷物、持つよ」


「ううん、大丈夫。キャリーだから」


俺はそれ以上何も言わず、並んで歩き始めた。

ほんの少しだけ離れて歩くその距離感が、麻耶との関係そのものを象徴しているようだった。




自宅に着くと、麻耶は靴を脱ぎながら、部屋の中をゆっくり見回した。


「……きれいにしてるんだね」


「生活するには、整ってたほうがいいから」


「そっか……」


会話がそれ以上続かなかった。

俺は麻耶をリビングに案内し、冷たい麦茶を出す。


「ありがとう」


それだけ言って、彼女はグラスを両手で持ったまま黙り込んだ。俺も、何を話せばいいかわからなかった。




麻耶のキャリーケースを空いている部屋――俺は一人暮らしをするにあたり広めの2LDKを借りている――に運ぶと、彼女はゆっくりと荷物をほどき始めた。


俺はその間にキッチンへ向かい、夕食の支度を始めた。

今日の献立は、鶏むね肉の甘酢あんかけ、豆腐とわかめの味噌汁、ひじきの煮物に小松菜のおひたし。

少しだけ“家庭的”な雰囲気を意識した。麻耶にとって、久しぶりの家族と食べる食卓になるかもしれないと思って。




キッチンに立つと、少しだけ気が楽になった。

火加減を調整しながら、包丁で野菜を刻む音が響く。

料理をしている時間だけは、昔から無心になれる。男だったころも、女になった今も、それだけは変わらない。


「……お姉ちゃん、料理、得意なんだね」


声に振り返ると、麻耶がリビングから覗いていた。

表情は読み取れなかったけれど、その声にはほんの少し驚きが混じっていた。


「うん。まあ、自炊しないと生活できないから」


「そっか……」


再び沈黙。けれど、さっきよりも柔らかい空気が流れていた。




食卓に料理を並べて、「食べようか」と声をかけると、麻耶は黙ってうなずいた。


いただきます、と小さな声で言って箸を取る。


鶏肉に箸を伸ばし、ひと口。


「……美味しい」


「そっか。よかった」


「うん。なんか、久しぶりにちゃんとしたごはん食べたかも」


その言葉に、俺は心の奥が少しだけ温かくなるのを感じた。

言葉は少なくても、伝わってくるものはある。そんな気がした。


「……前は、よく一緒に食べたよね。夜ごはんとか」


「うん。あのときは、食べながら無言でも平気だった」


「今も、別に無理に話さなくていいよ」


「……うん。ありがとう」




食後、麻耶が「洗い物、やるよ」と言ってくれた。


「いいよ、今日は疲れてるでしょ」


「でも、なんか手伝わないと悪いし」


「じゃあ、食器拭いて」


「うん」


洗って、拭いて、しまって――その単純な作業の中に、不思議と安心感があった。




夜、麻耶は早めに部屋に入った。

扉の向こうからは物音ひとつしなかったけれど、俺は、そこに“家族の気配”があることを、確かに感じていた。




一人じゃない夜。

女同士の姉妹という形になってしまったけれど、それでも“兄妹”だった記憶が、ちゃんと繋がっている。そう思えた一日だった。

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