投稿予約の通知が鳴ったのは、朝の通学前だった。
キッチンで朝食の片付けを終え、カップに淹れた紅茶をひとくち。
スマホの画面を見つめながら、俺は小さく息を吐いた。
《ラギのキッチン:根菜のトマトスープ動画、公開されました》
「……予約どおり、か」
文化祭のマドレーヌ動画から少し間を空けて、今のが3本目。
1本目は、文化祭の熱が残るうちに編集したシンプルな焼き菓子の作り方。
2本目は、秋の終わりに合わせて考えた栗ご飯と小鉢のレシピ。
そして今回は、冬に向けたスープ料理。
最初の動画を投稿したときは、手が震えるほど緊張した。
自分の声を録って、ナレーションを重ねて、編集して、音楽をつける。
やることは山ほどあるし、慣れない作業も多かった。
けれど、3本目ともなると、段取りも少しずつ身体が覚えてきた。
声も、最初に比べれば多少は落ち着いてきた……はずだ。
(それでも、自分の声ってやっぱり慣れないな……)
紅茶を飲みながら、俺は通知をひとつずつ確認していく。
「おいしそう」「参考になります」
そんなコメントが増えてきて、再生数も緩やかに伸びている。
動画投稿は、自分が想像していたよりも少しだけ、遠くに届くものだった。
もちろん、まだバズったわけじゃない。
でも“見てくれる誰か”がいるというだけで、俺の生活は変わった。
(……次は、何を作ろう)
そんなことを考えながら、スマホを閉じてコートに袖を通す。
吐く息は白く、冷たい風が頬をかすめる。
冬が、すぐそこまで来ていた。
* * *
学校に着いて、教室に入ると、琴葉と咲良の声がすぐに飛んできた。
「おっはよー! あやっち、動画あがってたねー!」
「見ましたよ。スープの色合いがきれいで、見ててあたたかくなりました」
「……ありがと」
琴葉は元気に笑って、咲良はふわりと微笑む。
俺の動画を毎回ちゃんと見てくれるが、コメントはしない。
以前に頼んだとおり、“身内感はナシ”を守ってくれている。コメントでももらっていたが、あまりにも身内がコメントをするのもどうかと思い、俺がお願いしていたのだ。
「なあなあ、あやっちって配信とかはやらないの? 料理しながらしゃべるとか、絶対いいって!」
「……コメントにも、似たようなの来てた」
そう。ここ最近、動画のコメント欄に「ラギさんの声、もっと聞きたいです」とか
「雑談動画もやってくれたら嬉しいな」といったメッセージがちらほら見えるようになっていた。
(雑談、配信……そういうの、俺にできるのか……?)
ただレシピを紹介するだけの動画でさえ、最初は緊張した。
顔出ししているわけでもない。
でも声を使って、思いを伝えるのは、想像以上に“自分”が出てしまう。
「……考えてみる」
「きたっ、あやっちの初雑談配信、近いなコレ!」
「ふふ……楽しみにしてます」
咲良もにこやかに言う。
いつも通りの朝。
でもその中に、何かが少しずつ変わっていく気配がある。
俺はそっと窓の外を見る。
落ち葉の舞う景色と、澄んだ空。
この冬は、どんな時間になるんだろう。