放課後、教室の空気が少しずつ薄れていく。
部活動の掛け声や、昇降口に向かう足音が遠くに響いているなか、俺はカバンの肩紐を握りながら廊下を歩いていた。
「咲良、今日って時間、ある?」
呼び止める声は、いつもよりほんの少しだけ、早口だった。
咲良は驚いたように立ち止まり、すぐにふわりと微笑んだ。
「ありますよ。何か……ありましたか?」
「ちょっと寄り道してもいい?」
咲良は迷わず頷いて、俺の隣に並んだ。咲良とはあれから、毎日のように一緒に帰る間柄になっている。しかし、一緒に帰ることは多くても、どこかに寄り道することは稀だった。
* * *
駅前の小さなファストフード店。
注文したポテトとカフェオレのカップから、白い湯気がふわりと立ちのぼる。
混んでいる店内を見渡し、運良く空いていた窓際の席にふたりで並んで座る。
こんなふうに、ふたりでゆっくりとした放課後を過ごすのはかなり久しぶりのことだった。
「急に誘ってごめん。なんか、……ちょっと迷ってて」
そう切り出すと、咲良はポテトをひとつ摘まみながら、じっと俺の顔を見た。
「配信、ですか?」
「……なんでわかるの」
「綾さん、ここ数日、少しそわそわしてたので。あと、琴葉さんが『あやっち絶対雑談似合う!』って言ってましたし」
「……バレてたんだ、いろいろ」
苦笑まじりに答えながら、俺は手に持っているカップの中を見つめた。
カフェオレの温かさが、舌の上にゆっくり広がっていく。
「動画で料理紹介するのは慣れてきたけど……雑談って、話す内容とか、声の出し方とか、ぜんぶ自分になるじゃん。そういうの、どうなんだろうって」
咲良は真面目に頷いて、俺の言葉をゆっくり受け止めてくれる。
「……わかります。話すことって、ある意味で“素”が出るものですから」
「そう、それ。私って、喋り上手くないし、テンション低いし」
「でも、それが綾さんの“よさ”なんじゃないですか?」
咲良はそう言って、少しだけ目を細めた。
「綾さんの話し方、落ち着いてて……聞いていて安心するんです。ちゃんと考えてから言葉を選ぶ感じとか。私は、そういうところ、すてきだと思います」
「……すてき、って」
恥ずかしさを隠すようにポテトをつまむ。
熱が指先に伝わって、心臓の鼓動が少し速くなる。
「配信、きっと大丈夫です。むしろ、綾さんが話す言葉を、楽しみにしてる人がいると思います」
「……咲良は?」
「私も、楽しみにしてます」
照れくさそうに、でもしっかりと目を見て答えてくれた。
その声に、何かがふっとほどけた気がした。
「……やってみようかな。ちょっとだけだけど」
「はい。……応援してますね」
そう言って、咲良はまたポテトをひとつ摘まみ、静かに微笑んだ。
その横顔を見ながら、俺はもう一度、少し冷めたカフェオレに口をつけた。
先ほどより冷たい味がする。でも、胸の奥には、確かなぬくもりがあった。
(俺でも……大丈夫かもしれない)
咲良に相談してよかった、そう思いながらたわいもない話題に花を咲かせた俺たちだった。