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第32話:はじめての雑談配信

咲良と別れて、帰宅したあとに投稿したツブヤイターのひとこと。


《【告知】今夜21時から、はじめての雑談配信やってみます。

 いつものレシピとか、料理の話メインになると思います。

 あたたかい目で見てくれるとうれしいです》


投稿からすぐに通知がぽつぽつ鳴りはじめ、「楽しみにしてます!」「絶対聴きます」といったリプライが届いていた。


それだけで、手のひらが少し汗ばんだ。

本当に、やるんだ、俺。


部屋の机の上に、三脚スタンドとマイク付きイヤホン、メモ帳、ペットボトルの水。

その並びを見つめながら、俺はもう何度目かわからないため息をついた。


(……準備はできてる、はず)


夜の静かな部屋。窓の外は冷え込みが強くなっていて、カーテン越しに街灯の明かりが差し込んでいる。

暖房の効いた空間でも、指先は少し冷たかった。


雑談配信。

それは、動画を投稿してから何度もコメントに寄せられていたリクエストだった。


《声が落ち着くので、もっと聞いていたいです》

《ラギさんの料理の話、もっと知りたい!》

《よかったら雑談動画とかもやってほしいです》


声を褒められるなんて思っていなかった。

むしろ最初は、何度も録り直した。自分の声を聴くのがどうしても恥ずかしかったから。


でも、それでも。

誰かが「好きだ」と言ってくれたその声を、ちゃんと受け取ってもらえるのなら、次の一歩を踏み出してもいいのかもしれない。


(ただ……喋るだけって、逆に難しいよな……)


テーマは、あらかじめ決めていた。

「最近作った料理について」と「冬におすすめの食材」――無難で、季節感もあって、個人情報に触れない話題。


文化祭のことは話さない。学校名ももちろん言わない。

ラギのキッチンとして、俺の生活の“味”だけを少し、切り取って見せる。


マイクテストを何度も繰り返し、音量を調整して、録音ソフトで試しに喋ってみた。


「こんばんは、ラギのキッチンです。今日は……はじめての雑談配信ということで……」


止まる。聞き直す。

やり直す。


何度やっても、どこかぎこちない。

緊張すると、いつもより少し声が高くなるのも自分でわかってしまう。


(……こんなので、聴いてくれる人いるのかな)


正直、不安は大きかった。

だけど、その不安のすぐそばにある“やってみたい”気持ちは、もっと大きかった。


料理をつくるときと同じだった。

手際や形じゃなくて、そこに「自分の気持ち」があるかどうか。


喋るのが得意じゃなくても、飾らなくてもいい。

いつも通りの、自分の言葉で。


(俺なりに、伝えればいい)


そう思って、俺は小さく息を吐いた。



* * *



そして、夜——。

時計の針が21時を指した瞬間、配信ボタンを押す指先が軽く震える。


カウントがゼロになり、画面に「配信開始」の文字が浮かぶ。

BGMはなし。映像もなし。音声のみのシンプルなスタイル。


「……こんばんは。ラギのキッチンです。

 今日は、初めての雑談配信ということで……来てくださってありがとうございます」


声が少しだけ硬い。でも、ちゃんと出てる。


視聴者カウントに目をやると、すでに同時視聴は「93」。

数秒後には100を超え、緩やかに増えていく。


《こんばんは〜》

《待ってました!》

《声ほんとに落ち着きますね》


画面に流れてくるコメントの一つひとつが、俺の胸をトントンと軽く叩いていく。


「えっと……話すのはあんまり得意じゃないんですけど、

 今日は“最近作った料理”の話と、“冬におすすめの食材”とかを、のんびり喋ろうかなと」


軽く喉を鳴らしながら、事前に考えていたテーマへと話を進める。


「最近だと……きのこのクリームスープ、よく作ってます。

 エリンギとかしめじ、たまに舞茸も入れて。

 仕上げに牛乳と、隠し味にちょっと味噌を入れると、コクが出て美味しいです」


《クリームスープ好き!》

《味噌入れるの!?やってみたい》

《レシピ動画にしてほしい!》


「味噌は、ほんのちょっとだけでいいです。風味が強いので。

 あと、きのこは炒めると香りが立つので、バターで炒めてから煮るのがオススメです」


コメントが盛り上がっていくのがわかる。

この感覚は、料理動画を上げたときとはまた違う“今、ここ”の反応。


「あと……冬は根菜が美味しい季節ですよね。ごぼうとか、にんじん、れんこん。

 最近、れんこんと鶏肉の甘辛炒めを作ったんですけど、あれは……白いごはんに合うんですよ」


《れんこん好きです!》

《お弁当に良さそう〜》

《レシピ知りたい!》


「れんこんは厚めに切ると、シャキッとした食感が残っていいですよ。

 鶏肉は胸肉でも、片栗粉つけて焼くとしっとりします」


喋るほどに、指先の緊張はゆるみ、自然と口元もほころんでいく。

こんなにも、俺の言葉を受け止めてくれる人がいるなんて、ちょっと不思議な気分だった。


「あと、最近よくスープも作ってます。

この時期だと、根菜が安くて美味しいんですよね。ごぼうとか、れんこんとか」


《ごぼう好き!》

《レンコンって下処理どうしてます?》

《ラギさんのスープレシピ知りたい!》


「れんこんはね、私は薄く切ってから軽く水にさらして……うん、でもさらしすぎると栄養流れちゃうから、ほどほどにしてます。

 で、バターでちょっと炒めてから、だしと合わせると、甘みが出て美味しいんですよ」


コメントがまた盛り上がる。


《炒めてから煮るのやってみます!》

《バターって意外!》


気がつけば、同時視聴は150人を超えていた。

俺が作ったどの料理動画よりも、リアルタイムでこんなに人と繋がってるのは初めてだった。


コメントを読みながら、少しずつ心の中の緊張がほぐれていくのがわかった。


「……こうやって、誰かに向かって話すの、初めてだったけど。

 思ってたより、怖くないですね」


ぽつりとこぼした言葉に、


《こっちも癒されてますよー!》

《またやってほしい》

《話し方すごく好きです》


と、たくさんの言葉が返ってくる。


目の前には誰もいないのに、ちゃんと誰かがいる気がした。

料理じゃなくても、俺の声や言葉が、どこかの誰かに届いてる。

そう思えた。


「今日はこのへんで、終わろうと思います。

 また、気が向いたら配信しますね。来てくれて、ありがとうございました」


そう言って、ゆっくりと配信を切った。



* * *



画面が暗くなり、部屋には元の静けさが戻る。


でも、心はどこかふわりとあたたかい。


(やってよかった)


スマホを置いたそのとき、通知がひとつ届いた。


《なるみんみーるさんからDMが届きました》


見知らぬ名前。でも、どこかで見覚えのあるアイコン。


これが、次の一歩へと繋がっていくのだと、まだこのときの俺は知らなかった。

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