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第42話:姉妹の時間

文化祭が終わって数日後から、麻耶からのメッセージがぽつぽつと届くようになっていた。


──「文化祭、楽しかった。ほんとに。あれ、お姉ちゃんが全部仕切ったの?」


──「あのマドレーヌ、動画でまた見返してる」


──「あの動画とか、友だちにも見せた。すごいね、なんか」


返信はすぐに必要なものではなく、綾もまた、空いた時間にぽつりぽつりと返していた。


──「まあ、任されただけ」


──「ありがとう」


──「別に、すごくはないよ」


どちらも必要以上に長くは話さない。でも、そのやり取りが、どこか心地よくなっている自分に気づいていた。


そして週末の昼前、麻耶からメッセージが届いた。


──「今日、ちょっと時間空いたから、行ってもいい?」


ほんのひと言。それだけ。


俺は一拍置いてから、スマホの画面に打ち込んだ。


──「いいよ」


それだけでも麻耶はすぐに「ありがとー!」と返してきた。



* * *



駅で落ち合った麻耶は、以前よりも自然に「お姉ちゃん」と口にした。


「急にごめんね。でもちょっと、あの味がまた恋しくなっちゃったんだよね〜」


「またって、たいしたもんじゃないけど」


俺はそっけなく返しながらも、歩調を自然と麻耶に合わせていた。


家に戻ると、玄関先で麻耶が小さくつぶやく。


「やっぱ、ここ来るのちょっと緊張する……」


「別に、なんも変わってないよ」


「……うん、なんか、いい匂いするし」


キッチンには、すでに焼きあがったばかりのスイーツが並んでいた。


「これ……スイートポテト?」


「そう。試作品なんだ」


「試作?」


「……動画でコラボしようって話になってて。スイーツ系で合わせるなら、スイートポテトを作ってみたいなって。なるみんっていう子と」


「なるみん……あっ、知ってるかも! 同じ料理系の動画投稿してる人だ!」


「そう、その子」


「へぇ……お姉ちゃん、そんな繋がりまでできてるんだ」


「うん、まあ。趣味が合っただけ」


「でも、なんか……いいな。そういうの」


麻耶が、少しほほえむ。

その様子が、前よりも素直に見えた。


「とりあえず、味見して。意見ほしい」


俺が皿を出し、ティーセットまで用意すると、麻耶は目を丸くした。


「わ、ちゃんとしてる……!」


「……別に、いつも通り」


麻耶はおそるおそるフォークを入れ、スイートポテトをひと口。


「……うん、美味しい! しっとりしてるけど、重たすぎなくて、優しい甘さって感じ」


「砂糖控えめにしてる」


「……わかんないけど、すごい美味しいってのは伝わる」


「そりゃ、よかった」


一瞬、静かな時間が流れる。

でもそれは、気まずさではなく、ただ落ち着いた空気だった。


「……でも、ほんとに、こうやって話すの久しぶりだね」


麻耶が、ぽつりと漏らすように言った。


「そうかもね」


「前はさ、私、あんまりお姉ちゃんのことわかってなかったかもって思う」


「……別に、私も同じ」


そう答えながらも、俺の表情がすこしだけ崩れる。

麻耶もそれを見て、小さく笑った。


「お姉ちゃん、前より楽しそうだね」


「……そう見える?」


「うん。今の方が、ちょっと“人っぽい”っていうか」


「どういう意味」


「前はさ、なんか“無敵のお姉ちゃん”って感じだった。勉強も家事もできて、ちょっと冷たくて……だから私、勝てないって思ってた」


「そんなつもりはなかったけど」


「でも、今は……なんか、等身大って感じ。普通の人みたい」


「……喜んでいいの、それ?」


「うん。なんかちょっと、安心する」


俺は、何も言わなかった。

ただ、麻耶の言葉をそのまま、受け止めていた。


(そうか……俺、安心させる側にもなれるんだな)


ほんの少しだけ、自分が“姉”として何かを返せているような気がしていた。


キッチンに立ち、俺はてきぱきと鶏むね肉を切り分けていた。

麻耶が来ると決まったときから、メニューはすでに決めてあった。


(どうせなら、麻耶の好きなやつを……)


衣をまぶして、揚げ油に入れれば、ジュワッと音が弾ける。

その匂いに、リビングでスマホを見ていた麻耶がふらふらと立ち上がる。


「わ、唐揚げ!? 今日のごはん、それ?」


「そう。からあげ定食風」


「やったー、久々すぎてテンション上がる。……あ、私、お茶とか出そうか?」


「座ってて。味噌汁も煮えてきたし、すぐ出す」


「……はいはい、おとなしくしてまーす」


俺は器に料理を盛り付けながら、少しだけ口元がゆるむ。


(……俺、こんなふうに誰かに料理作るの、やっぱり好きだな)


目の前に誰かがいて、その人のために丁寧に作る。


食卓には、揚げたての唐揚げ、ほうれん草のおひたし、卵焼き、味噌汁、そして白ご飯。

定食屋顔負けのバランスに、麻耶は思わず「お店みたい……」とつぶやいた。


「いただきます!」


「どうぞ」


唐揚げをひと口食べた麻耶が、すぐに笑顔になる。


「うわ……外サクッとしてるのに、中しっとり。やばい、これ止まらないやつだ」


「むね肉は火の通し方次第で固くなるから、ギリギリまで下味で寝かせてた」


「マジで、どうしてそんなに知ってるの……?」


「趣味。一人暮らしはじめてから、それだけはずっとやってた」


「ふーん……でも、なんか意外。お姉ちゃんって、あんまりそういうの言わなかったじゃん」


「言ってなかったかもね。別に隠してたわけじゃないけど、誰かに話すことでもなかったし」


「そっか……でも、今はそういうのを発信してるもんね」


「まあね。動画とか、SNSとか。自分のペースでだけど」


「お姉ちゃんがSNSとか……なんか、前だったら絶対考えられなかったかも」


俺は箸を止めて、ふっと笑った。


「私もそう思うよ。……でも、変わるのも悪くないかなって」


麻耶は言葉を飲み込むように黙った。

しばらく、ご飯を食べる音だけが部屋に響いた。


やがて、箸が置かれる音とともに、麻耶がぽつりと口を開く。


「ね、お姉ちゃん」


「ん?」


「前の私さ、お姉ちゃんのこと、なんか……“勝手に壁”作ってた気がする」


「……うん、知ってた」


「っ、やっぱりかぁ……」


「そりゃ、わかるよ。ずっと距離あったし。……でも、それでも連絡してきたのは、ちょっと意外だった」


「うーん、なんでだろ。文化祭で……その、お姉ちゃんが、すっごく頑張ってるの見て……」


「……」


「楽しそうにしてたから、かな。なんか、急に“お姉ちゃんのこともっと知りたい”って思った」


俺はしばらく黙っていたが、すっと息をついた。


「……ありがとう。来てくれて、うれしかったよ」


「!」


「……たまには、言っとく。今後また言うかはわかんないけど」


「ううん、それだけでもじゅーぶん」


麻耶が、少し照れながらうなずいた。



* * *



夜の空気が少し冷たくなってきた頃、麻耶が上着を羽織りながら玄関に立つ。


「ほんと、今日はありがとね」


「うん。また、気が向いたら来ればいい」


「……来てもいい?」


「……別に、好きにしなよ」


その言い方に、麻耶はふっと笑った。


「わかった。また来るね」


「……気をつけて」


小さく手を振って扉を閉める。

その直後、俺は静かなリビングの空気に少し肩を落とした。


(なんだかんだ……少し寂しい、かもな)


でも、それを口にすることはない。

ただ、胸の奥に残った温かさだけを、静かに噛みしめていた。


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