放課後の駅前広場は、いつものように学生たちで賑わっていた。制服のままコンビニに並ぶ子たち、ベンチでおしゃべりに夢中なグループ、部活帰りで汗をにじませている運動部員。
そんな喧噪の中、私は少しだけ人通りの少ない隅っこのベンチに腰を下ろしていた。カバンを膝の上に乗せ、スマホを見ているふりをしながら、視線はどこか落ち着かない。
「お待たせ〜、ごめん、ちょっと図書室寄ってた!」
明るい声が弾んだように響き、美月が横に腰を下ろした。
「ううん、こっちも早めに来すぎただけ。……あついね、今日」
「ほんと、それ。もう冬なのに全然涼しくならないもん」
缶の麦茶を二本、ガサッと取り出して、ひとつを私に差し出す。
「ありがと」
「ん、どういたしまして。こういうの、予備で持ってないと不安になるタイプなんだよね、私」
「うん、そういうとこ、変わんないね」
美月は「えへへ」と照れくさそうに笑った。昔から、面倒見がよくて、クラスでも自然と中心に立つような子。私が少し尖っていた時期も、変わらず隣にいてくれた、数少ない人。
しばらくは、缶を開ける音と、通り過ぎる声の断片だけがふたりの間を満たした。
「……あのさ、美月」
「ん?」
「この前の、文化祭。……一緒に行ってくれてありがと」
「えっ、今さら?」
「いや……ちょっと思い出してて。なんか、いろいろ考えちゃって」
「……“お姉ちゃん”のこと?」
図星だった。
私はうなずきもせず、否定もせず、缶の麦茶を少し口に含んだ。
「美月さ、なんか、見抜いてたでしょ」
「うん。うすうす、ね。麻耶ってさ、いつもはあんなに人のこと褒めたりしないのに、文化祭のあと、“すごかったよね”って何回も言ってた」
「そんな言ってたっけ……」
「言ってた。ちょっと照れ隠しっぽかったけどね」
「……うわ。最悪」
「別に悪くないよ? むしろ、私は嬉しかった」
「……なんで美月が嬉しいの」
「うーん……なんか、やっと“麻耶らしさ”が戻ってきたなって思ったからかな。前みたいな、突っ張ってる麻耶も嫌いじゃないけど、やっぱり私は、ちゃんと素直になれる麻耶の方が好きだよ」
その言葉に、私は小さく息をのんだ。
美月の言葉はいつも、やさしくて、でもまっすぐに刺さってくる。
「……ねえ、美月」
「なに?」
「私さ……あのとき、文化祭で、お姉ちゃんのこと見てて……なんかちょっと、すごいなって思っちゃった」
「うん」
「でも、それって変じゃない? 家族なのにさ。なんで今さら、って思うし。……悔しい気持ちも、ちょっとあった」
「悔しい?」
「うん。なんか、“勝手に成長してんじゃん”って思った。置いてかれてるみたいで……だから、ちょっと、むかついた」
美月は驚くふうでもなく、ただうなずいた。
「でもさ、麻耶。そうやって“ちゃんと見てる”のが、もう一歩だと思うよ。前の麻耶だったら、見て見ぬふりしたまま、素直になることもできなかったでしょ?」
「……そうかも」
「でしょ?」
私は缶を両手で握りしめながら、俯いた。
「この前、家に行ったとき……すっごくうれしかった。お姉ちゃんが、私のために料理してくれて。スイートポテトも、唐揚げも、何も言わなくても、ちゃんと出てくるの。……それが、なんか、嬉しくて」
「うん」
「でもそれって、“前みたいに”戻ったわけじゃないの。あの人、ちょっと変わってた。前より柔らかくて、でもちゃんと自分のこと持ってて。……なんか、すごく変だった」
「“変”って、いい意味でしょ?」
「……うん」
そのひと言を、ようやく口に出せた自分に、私は少しだけ驚いていた。
ベンチに吹き抜ける風が、秋の名残をほんの少しだけ連れてきた。
夕方の空は、ゆっくりと茜色に染まり始めている。
「ねえ、美月」
「うん?」
「私さ、ずっと、お姉ちゃんのこと“自分とは違う”って思ってた。あの人は冷たくて、感情出さなくて……何考えてるか分かんないし、ちょっと怖かった」
「うん」
「でもさ、最近気づいちゃったの。お姉ちゃんって、ほんとは……ただ不器用なだけだったのかもって」
美月は何も言わず、ただ私の言葉を待ってくれていた。
「私が思ってた“クールで近寄りがたいお姉ちゃん”って、たぶん勝手に作り上げてた姿だったんだよね。怖いとか、冷たいとか……実際にそうだったわけじゃなくて、私が勝手に距離を取ってただけ」
「うん」
「そのくせ、寂しかった。言えなかったけど、ほんとは“仲良くなりたい”ってずっと思ってたの。拗らせすぎて、タイミング逃して、気づいたらどう話していいかわかんなくなってて」
言葉が詰まりそうになる。けれど、美月の前ではなぜか素直になれた。
「それでもこの前、家に行ったとき、変わってたのはお姉ちゃんだけじゃなかったんだと思う。……私も、少しは変われたのかな」
「うん、変わったと思う」
「えっ」
「びっくりした? でも、私はずっと見てたもん。麻耶が、ちょっとずつお姉ちゃんの話をするようになって、最初はムッとしてばっかりだったのに、最近は笑ったり、嬉しそうにしてたりして」
「そんなに、わかる?」
「うん。だって、私、麻耶のことちゃんと見てるもん」
その言葉が、じんわりと胸にしみて、私は思わず目を伏せた。
「……ありがと、美月」
「ううん。ほんとは、もっと早く言ってあげたかったけど、タイミング探してた」
「私も、ずっと……“どうしたら仲良くなれるんだろ”って、悩んでた」
「今からでも、遅くないと思うよ」
「うん、そう思いたい」
私は、ほんの少しだけ前を向けたような気がした。
自分のなかの“頑なさ”が、すこしずつ溶けていくのを感じる。
「また、会いに行こうかな。お姉ちゃんの家。……今度は、ちゃんと“また来るね”って、はっきり自分の口で言いたいな」
「絶対言えるよ、麻耶なら」
「うん。……言ってみる」
さっきまでの迷いが、すっと風に流されていくようだった。
もう、素直になれないふりはやめたい。
大好きな時間を、これからはちゃんと、自分の足で近づいていきたい。
帰り道の空は、もう星の色に変わっていた。