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第43話:みんなとの会話

昼休み。教室の片隅、俺・奈帆・琴葉・咲良のいつもの4人が、机をくっつけて昼食を囲んでいた。


「そういえば綾、この前のバイト、雰囲気どうだった?」


琴葉が弁当箱のふたを開けながら、気軽に話しかけてくる。


その一言に、奈帆と咲良が同時に「バイト?」と首を傾げた。


「……うん。琴葉に紹介してもらった店、面接行って、厨房担当で受かった」


「えっ、綾バイト始めるんだ!? てか、厨房!?」


奈帆が箸を止めて、勢いよく反応する。


「はい、そこ、ツッコミ早い」


琴葉が笑って奈帆の肩を軽く叩いた。


「でも、綾さんがバイトって意外ですね。厨房担当ってどんなお仕事なんですか?」


咲良がおっとりとしながらも、興味ありげに身を乗り出す。


「カフェの厨房。お客さんと直接話すことは少ないと思う。仕込みとか、簡単な調理を手伝う感じになるって」


「青葉珈琲ってとこ。うち、ホールやってるんだけど、最近キッチンの人手がめっちゃ足りてなくてさー。で、“料理できる子いない?”って聞かれて、あやっちしかいない!ってすぐ言った」


琴葉は胸を張りながら言った。


「ほんとに即決だったんだ……」


「いや、だってさ、あやっちの料理、ガチでうまいし。SNSでもスイーツ作ってんの見て、店長とか“マジでプロじゃね?”って言ってたからね」


「そ、そんなことないけど……」


俺は少し視線を逸らしながら、口元を押さえるように笑った。


「でも綾がバイトか〜。なんかちょっと感慨深いかも。生活費とか?」


「……親の仕送りだけでもやってけるけど、自炊とかして浮かせた分を衣類や道具に回してたら、少し足りなくなってきてて」


「そっか……でも綾なら、そういうのキッチリ管理してそう」


奈帆がほほ笑んだ。


「勤務はどのくらいの頻度なんですか?」


「週4くらいって話。人数少ないって言われてるし、今のところはそれで了承してる」


「まあでも、青葉は雰囲気いいし、あやっちならすぐ馴染めると思うわ」


「やっぱ綾って、“仕事してる女の人”って感じ出るよね」


奈帆の冗談に、みんながくすっと笑う。


「……似合ってるといいけどね」


心の中で(俺が“私”としてバイトする日が来るなんて)とふとよぎる。

俺は男だった頃も含めてバイト経験はなかった。

けれど、そんな戸惑いも、今はこの空気にふっと溶けていくようだった。



* * *



放課後、昇降口を出てすぐの道。

周囲のクラスメイトたちは三々五々に別れていくなか、綾と咲良は自然と並んで歩いていた。


この距離感にも、少しずつ慣れてきた。


「明日、初出勤なんですよね」


隣を歩く咲良が、ふとそんなふうに口を開いた。


「うん。午後から……緊張は、してるけど」


「でも、綾さんなら大丈夫です。……たぶん誰よりも丁寧に仕事覚えそうですし」


「……プレッシャーにも聞こえるけど、ありがとう」


「その、私……綾さんが“自分から何かやろう”って一歩踏み出したの、すごく素敵だなって思いました」


「……一歩踏み出したってほど、立派なことじゃないよ。ただ……やってみたいって、思っただけ」


「その気持ち、すごく大事だと思います」


柔らかい空気が流れる。

咲良はほんの少しだけ前を見て、言葉を続けた。


「もしも、何かあって挫けそうになったら、相談してくださいね。綾さん、ちょっと無理してしまいそうなところがあるから……」


「……それもプレッシャー」


くすっと笑った俺に、咲良も小さく笑い返した。

日が落ち始めた道を、2人の影が並んで伸びていく。


「……ありがとう。がんばるよ、明日」


そう静かに告げた俺の言葉に、咲良は「応援してます」と返した。



* * *



夜。部屋の中は、いつもと変わらぬ静けさに包まれていた。


明日からバイトが始まるという実感は、心のどこかでうっすらと響いている。

でも、それを煩わしく感じることはなかった。


むしろ、そのために、自分はずっと何かを積み重ねてきたような気がしている。


(……準備は整えた。あとは、やるだけ)


ベッドの脇に置いたバッグの中には、明日持っていくポーチと、メモ帳、簡単な常備品。

制服は職場にあるが、私服は地味めで、清潔感を意識して準備した。


けれど、俺が手を伸ばすのは、スマートフォンのカメラアプリだった。


(明日のことを考えすぎても、仕方ない)


冷蔵庫から取り出したのは、下味をつけておいた鶏むね肉。

それに旬の野菜を添えて、さっと蒸し焼きにする。


余分な思考が、静かに薄れていく。


料理は、いつも“無心”になれる変わらない時間。


焼きあがった料理を皿に盛りつけ、構図を整え、照明を調整し、写真を撮る。

この一連の作業も、すでに日常の一部になっていた。


写真の確認を終えた俺は、ツブヤイターのアプリを立ち上げる。

ユーザー名「ラギのごはん」として、静かに今日の一皿を投稿する。


今夜は鶏むね肉の香草ソテー。

あっさりだけど、しっかり美味しい一皿に。

#鶏むね肉レシピ #ラギのごはん #夜ごはん記録


投稿ボタンを押して、俺はスマホを伏せた。


(明日からは、新しい日常の始まりだ)


でも、どんな日でも変わらず作れる料理がある限り、自分は大丈夫だ。

そう思えたのは、この“日常”をひとつずつ手に入れてきたからこそ。


静かな夜の中で、俺はひとつ、深く息を吐いた。

そして明日を見据え、ゆっくりと電気を消すのだった。


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