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第48話:充実する日々

空は少しずつ色を変え、肌寒い風が校舎を抜けていく。教室の窓際で制服の袖をさすりながら、俺はいつも通りの朝を迎えていた。


起きて、朝食を作り、着替えて、軽くメイクをして、家を出る。バイトにも慣れてきてから、生活がさらに潤いを増してきた。それは目立った成功とか、称賛とか、そういう派手なものじゃない。ただ、気の合う友人やバイト仲間、SNSで繋がった人たちと一緒の時間を過ごす——それだけのことが、思った以上に心を満たしてくれているのだと思う。


4限目が終わり、昼休みになった。俺は鞄から昼食を取り出して、奈帆たちがいるいつもの机に向かう。あの4人のグループは、もうすっかり俺の日常に組み込まれていた。


「やっほー、あやっち〜! お待たせ〜!」


琴葉が弁当を片手にやってくる。続いて奈帆もいつも通りのテンポで現れ、咲良も小さく会釈しながら席についた。


「今日も昼食、綾さん手作りですか?」


「うん。簡単なやつだけど」


「えー、おいしそう。うち、コンビニのサンドイッチ〜」


琴葉が嘆くように言って、パッケージを破る。俺はいつも通りに箸をつけた。話題は自然と、最近のバイトの話へと移っていった。


「てか、綾ってもうバイト結構慣れた感じ?」


「……うん、まあ。それなりに」


「えっへへ〜、あやっちが働いてる姿かっこいいんだよ〜!」


琴葉がにやにや笑いながら顔を覗き込んでくる。


「綾って、最初はめっちゃ静かだったのに、今じゃちゃんと働いてて……ちょっと感動なんだけど?」


「……なんか言い方、親みたい」


「ふふっ、でもすごいですよね。きちんとSNSも続けてるし。私も尊敬してます」


咲良が控えめにそう言って、俺は少しだけ箸を止めた。やっぱりこの子は、どこか見てるところが細かい。言葉はいつもやわらかくて、でもちゃんと芯がある。たまにドキッとするくらい、こっちの内側を見透かしてる気がする。


「……ありがと」


口にしたそれは、小さくても本心だった。


「でもさ、バイトって本当に慣れるんだね〜。最初あんなに緊張してたのに」


「うん。最初の勤務、終わったあとのあやっち、めちゃめちゃ疲れてたもんね」


琴葉が笑って言うと、俺は苦笑して頷いた。


「……慣れたって言っても、まだ全然覚えることあるけど」


「ちゃんとやれてるなら十分でしょ〜。つーかさ、そういえば朝倉さん言ってたよ。来週さ、新しく厨房に入るバイトが来るって」


「……ああ、聞いたかも」


思い出す。数日前、まかないを食べているときに、朝倉さんがふと話していたこと。


『次、ひとり入ってくれる予定なんだよね。私の知り合いで、ちょっと変わってる子だけど、手は確かだから』


その時は特に気に留めなかったが、今思い返すと、少し引っかかる言い方だった。


「どんな人なんだろうな……」


ふとこぼした呟きに、奈帆が笑って答える。


「綾がちゃんと対応すれば大丈夫っしょ。意外と誰とでも合わせられるしさ」


俺はその言葉に、小さく「……そうだといいけど」と返した。


昼休みの鐘が鳴って、教室に生徒が戻ってくる。俺たちも席を立ち、次の授業に備える。



* * *



その帰り道——。


「今日バイトないんですよね?駅まで一緒にどうですか?」


咲良が俺の横に来て、声をかけてきた。


「うん。いいよ」


校門を抜けて、夕暮れに染まり始めた通学路を並んで歩く。


「……最近、楽しいですか?」


「楽しい……?」


「はい。バイトとか、SNSとか。さっき話してて、なんか綾さんが前よりも柔らかい感じになったなって思って……すみません、変なこと言って」


「……別に、変じゃない」


足元を見ながら答える。確かに最近、ちょっとだけ笑う回数が増えた気がする。


「バイトも、投稿も……なんか楽しいなって。誰かに見てもらえるの、嬉しいし」


「それってすごく充実してるってことですよね」


咲良はそう言って、ふわりと笑った。


「でも……ちょっと、怖くなるときもある」


「……どうしてですか?」


「人の目、気にしすぎてるのかもって。誰かのためにやってるはずなのに、いつの間にか、評価ばかり見てる気がして」


「……わかります。私も、絵を描くのが好きだったんですけど、誰かから反応があると、嬉しい反面、怖くなったことがありました」


「え、咲良も?」


「はい。でも、それでも……やっぱり続けたくて。最近また絵を描いてるんです。だから、綾さんも……無理しないでほしいなって」


少しだけ、胸の奥が温かくなる。


「……ありがとう」


「ふふっ、いえ。駅、もうすぐですね」


そう言って咲良が手を差し出すように示し、俺たちはまた歩き出す。


変わらない日々の中で、少しずつ、俺も、周りも変わっていく。そんな微細な変化が、今は少しだけ心地よく感じられる。




――――――――――――――――――――――――

これにてバイト編は終わりです。どんどん綾のコミュニティは広がっていきます。

次回からは綾のSNS投稿を揺るがす迷いの描写になります。ややシリアスな雰囲気になりますのでご注意ください。


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