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第54話:コラボへの決意

「ほい、あやっち、準備OK?」


放課後、昇降口で待ち合わせた琴葉が、いつものテンションで声をかけてくる。


「うん。……行こっか」


俺は軽くうなずいて、荷物を背負い直す。


一緒にバイトに向かうのは、もう何度目かになる。

最初の頃は緊張してたけど、最近はこの距離感にもだいぶ慣れてきた。




「そういやさ、来週コラボなんだっけ? 動画の」


「うん、日曜に。スイートポテトのやつ」


「わー、うち試食担当希望〜! てかあやっちの作るスイポ、前のより形キレイになってた気がする!」


「……そんな細かく見てたの?」


「拡大して見たし!」


誇らしげな顔で言う琴葉に、俺は思わず小さく笑った。


誰に向けた笑いでもない。

ただ、自然にそうなっただけ――そんな感覚が、少し嬉しい。



* * *



青葉珈琲に到着して、制服からいつものエプロンに着替える。

髪をまとめながら鏡を見ると、いつもより少しだけ表情が柔らかい気がした。




「おつかれさまでーす!」


琴葉の元気な声が厨房に響いて、そのままホールへと飛んでいく。


今日のシフトは、琴葉・砂原さんがホール、俺と矢野さん、柚木さんが厨房。

朝倉さんは今日はお休みで不在だ。




厨房に入ると、矢野さんが黙々と下ごしらえをしていた。

俺も手早く手洗いを済ませ、作業台へ。


「……綾ちゃん、最近調子どう?」


矢野さんが、ふと俺に話しかけてきた。


「……少しずつ、慣れてきました。いろいろ」


「そう。ならよかった」


それだけ言って、また包丁の音だけが響く。


俺はその言葉を、なんとなく嬉しく受け取った。

矢野さんの言葉って、短いけど、妙に沁みることがある。




そのとき、冷蔵庫の前にいた柚木さんが、俺の横を通り過ぎた。


「……こんばんは」


「うん」


相変わらず、感情の読み取れない返事。

でも、前みたいな尖った雰囲気は少し薄らいでいた。


ただ――それでも。


(やっぱり、まだ少し……怖い)


俺はそう思ってしまう。悪気がなかったのはなんとなくわかっている。

でもあの言葉が、頭のどこかに残っていて、ふとした拍子に蘇ってくる。


「料理って、もっと楽しいもんじゃなかったっけ?」


たったそれだけなのに、今もどこか胸の奥を掴んで離さない。




「柊、これ渡しといて」


柚木さんが調理器具を俺に手渡してくる。

指が一瞬触れそうになって、俺は無意識にほんのわずか間を置いてしまった。


柚木さんは何も言わない。

たぶん、気づいてない――けど、俺の方が、気づいてしまっている。


(ちゃんとやらないと。……ここでまた失敗したら、誰にも言い訳できない)


そんな思いで、黙って道具を受け取り、作業台へ戻る。




厨房の外からは、琴葉の明るい声が聞こえる。

「アイスラテで〜す!あ、ラテアートちょっと可愛くなった気がする〜!」


そんな声が、なんとなく心を軽くしてくれる。




(来週のコラボ、ちゃんと仕上げよう)


俺は手元に視線を戻し、スープの火加減を確認する。

料理をする時間が、少しずつ自分を支えてくれている――そう思えたのは、久しぶりだった。



* * *



「これ、すごく美味しい……」


「やっぱり、綾さんの味って優しいですよね」


昼休み、奈帆と咲良がそんな風に言ってくれたのは、一昨日のことだった。


スイートポテトの試作品をラップに包んで、小さなタッパーに入れて持っていった。

琴葉には「もっと甘くしてもいいかも〜!」と茶化されつつも、満足そうに完食してくれた。


(……ああいう時間、やっぱり好きだ)


でも今は、そのことより――画面の向こうにいる、もうひとりの“食べてもらいたい相手”のことで頭がいっぱいだった。


なるみん。

何度もDMをやり取りして、ようやく決まった今回の再コラボ。


場所は、俺の家。


「こっちでやってみる?」と提案したのは俺だった。

初回のオフコラボがなるみんの家だったから、今度は自分の番だと思った。それに、うちのキッチンなら器具や機材も慣れているし、段取りもスムーズにいく。


でも――





ラギのごはん:

《なるみん、日曜は13時くらいに来れそう? 駅まで迎えに行くよ》

《その前に、明日ちょっと通話できる?段取りの確認したくて》



ほんの数分後、返事が来る。



なるみんみーる:

《おっけー!13時でだいじょぶ〜!》

《通話もいいよ〜 今日の夜とかどう?》



俺は、いつものようにDMを開いたまま、しばらく画面を見つめていた。

文章の温度が変わらない。

ふわふわしてるけど、どこか芯がある。


(……なんか、なるみんすごいな)


落ち込んでいた時期も、なるみんの言葉だけは、素直に聞けた気がする。

気を張らせない声。

流れるようなテンポ。

だけど、要所要所でちゃんと本質を突いてくる。


たぶん、そこが俺にとって、心地よい距離だった。



* * *



夜。

静かな部屋の中で、ヘッドセットをつける。


呼び出し音が2回鳴ったあと、通話がつながった。


「ラギ〜、こんばんは〜!」


「……こんばんは。寝てなかった?」


「まだ起きてたよ〜!今日ちょっとだけ夜ふかししてた〜」


「それ、いつもじゃない?」


「うーん、否定はしない」


くすくすと笑う声。

俺は思わず口元をほぐしながら、話を進めた。




「じゃあ、段取りだけ確認ね。

 最初のオープニング、簡単な挨拶入れて、

 そのあとスイートポテトの紹介と工程ざっくりまとめて――」


「おっけー。材料のとこ、ラギが説明しながら手元映すって感じ?」


「そうそう。私がカメラ操作するから、なるみんは調理に集中してもらえればいいよ」


「了解〜!あとさ、撮るときの光、どんな感じ?窓の位置教えて?」


「部屋の南側に大きい窓がある。13時なら逆光にはならないと思う。もし曇ってたら、LEDで補うつもり」


「完璧じゃん。すごい、めっちゃ段取り屋」


「……まぁ、前回ちょっと手間取ったから。学習しただけ」


「ラギってさ、そういうとこあるよね〜。黙々と詰めてくるタイプ」


「悪い?」


「いや、好きだよ?安心できるもん」


その一言に、少しだけ胸が温かくなる。


「ありがとう。……今回、ちゃんとやりたいから」


「うん。うちも楽しみにしてる。ラギと一緒に作るの、やっぱり楽しいもん」


その“楽しい”という言葉が、俺の中で優しく響いた。


思えば、誰かと一緒に作る時間の中にしか生まれない“感覚”がある。

効率でも数字でもない、“気持ち”の部分。


なるみんは、それを自然に拾って、くれる。




「じゃあ、当日はよろしくね。駅の出口を出たとこで待ってて」


「ラジャ〜!ラギ印のスイポ、食べる気満々で行くから!」




通話を終えたあと、俺は小さく深呼吸をした。


(……ちゃんとやれる)


そんな気がした。


このコラボは、“見せるための料理”じゃない。

“届けたい”と思える、たったひとつの味を――一緒に、作るんだ。



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