「ほい、あやっち、準備OK?」
放課後、昇降口で待ち合わせた琴葉が、いつものテンションで声をかけてくる。
「うん。……行こっか」
俺は軽くうなずいて、荷物を背負い直す。
一緒にバイトに向かうのは、もう何度目かになる。
最初の頃は緊張してたけど、最近はこの距離感にもだいぶ慣れてきた。
「そういやさ、来週コラボなんだっけ? 動画の」
「うん、日曜に。スイートポテトのやつ」
「わー、うち試食担当希望〜! てかあやっちの作るスイポ、前のより形キレイになってた気がする!」
「……そんな細かく見てたの?」
「拡大して見たし!」
誇らしげな顔で言う琴葉に、俺は思わず小さく笑った。
誰に向けた笑いでもない。
ただ、自然にそうなっただけ――そんな感覚が、少し嬉しい。
* * *
青葉珈琲に到着して、制服からいつものエプロンに着替える。
髪をまとめながら鏡を見ると、いつもより少しだけ表情が柔らかい気がした。
「おつかれさまでーす!」
琴葉の元気な声が厨房に響いて、そのままホールへと飛んでいく。
今日のシフトは、琴葉・砂原さんがホール、俺と矢野さん、柚木さんが厨房。
朝倉さんは今日はお休みで不在だ。
厨房に入ると、矢野さんが黙々と下ごしらえをしていた。
俺も手早く手洗いを済ませ、作業台へ。
「……綾ちゃん、最近調子どう?」
矢野さんが、ふと俺に話しかけてきた。
「……少しずつ、慣れてきました。いろいろ」
「そう。ならよかった」
それだけ言って、また包丁の音だけが響く。
俺はその言葉を、なんとなく嬉しく受け取った。
矢野さんの言葉って、短いけど、妙に沁みることがある。
そのとき、冷蔵庫の前にいた柚木さんが、俺の横を通り過ぎた。
「……こんばんは」
「うん」
相変わらず、感情の読み取れない返事。
でも、前みたいな尖った雰囲気は少し薄らいでいた。
ただ――それでも。
(やっぱり、まだ少し……怖い)
俺はそう思ってしまう。悪気がなかったのはなんとなくわかっている。
でもあの言葉が、頭のどこかに残っていて、ふとした拍子に蘇ってくる。
「料理って、もっと楽しいもんじゃなかったっけ?」
たったそれだけなのに、今もどこか胸の奥を掴んで離さない。
「柊、これ渡しといて」
柚木さんが調理器具を俺に手渡してくる。
指が一瞬触れそうになって、俺は無意識にほんのわずか間を置いてしまった。
柚木さんは何も言わない。
たぶん、気づいてない――けど、俺の方が、気づいてしまっている。
(ちゃんとやらないと。……ここでまた失敗したら、誰にも言い訳できない)
そんな思いで、黙って道具を受け取り、作業台へ戻る。
厨房の外からは、琴葉の明るい声が聞こえる。
「アイスラテで〜す!あ、ラテアートちょっと可愛くなった気がする〜!」
そんな声が、なんとなく心を軽くしてくれる。
(来週のコラボ、ちゃんと仕上げよう)
俺は手元に視線を戻し、スープの火加減を確認する。
料理をする時間が、少しずつ自分を支えてくれている――そう思えたのは、久しぶりだった。
* * *
「これ、すごく美味しい……」
「やっぱり、綾さんの味って優しいですよね」
昼休み、奈帆と咲良がそんな風に言ってくれたのは、一昨日のことだった。
スイートポテトの試作品をラップに包んで、小さなタッパーに入れて持っていった。
琴葉には「もっと甘くしてもいいかも〜!」と茶化されつつも、満足そうに完食してくれた。
(……ああいう時間、やっぱり好きだ)
でも今は、そのことより――画面の向こうにいる、もうひとりの“食べてもらいたい相手”のことで頭がいっぱいだった。
なるみん。
何度もDMをやり取りして、ようやく決まった今回の再コラボ。
場所は、俺の家。
「こっちでやってみる?」と提案したのは俺だった。
初回のオフコラボがなるみんの家だったから、今度は自分の番だと思った。それに、うちのキッチンなら器具や機材も慣れているし、段取りもスムーズにいく。
でも――
⸻
ラギのごはん:
《なるみん、日曜は13時くらいに来れそう? 駅まで迎えに行くよ》
《その前に、明日ちょっと通話できる?段取りの確認したくて》
⸻
ほんの数分後、返事が来る。
⸻
なるみんみーる:
《おっけー!13時でだいじょぶ〜!》
《通話もいいよ〜 今日の夜とかどう?》
⸻
俺は、いつものようにDMを開いたまま、しばらく画面を見つめていた。
文章の温度が変わらない。
ふわふわしてるけど、どこか芯がある。
(……なんか、なるみんすごいな)
落ち込んでいた時期も、なるみんの言葉だけは、素直に聞けた気がする。
気を張らせない声。
流れるようなテンポ。
だけど、要所要所でちゃんと本質を突いてくる。
たぶん、そこが俺にとって、心地よい距離だった。
* * *
夜。
静かな部屋の中で、ヘッドセットをつける。
呼び出し音が2回鳴ったあと、通話がつながった。
「ラギ〜、こんばんは〜!」
「……こんばんは。寝てなかった?」
「まだ起きてたよ〜!今日ちょっとだけ夜ふかししてた〜」
「それ、いつもじゃない?」
「うーん、否定はしない」
くすくすと笑う声。
俺は思わず口元をほぐしながら、話を進めた。
「じゃあ、段取りだけ確認ね。
最初のオープニング、簡単な挨拶入れて、
そのあとスイートポテトの紹介と工程ざっくりまとめて――」
「おっけー。材料のとこ、ラギが説明しながら手元映すって感じ?」
「そうそう。私がカメラ操作するから、なるみんは調理に集中してもらえればいいよ」
「了解〜!あとさ、撮るときの光、どんな感じ?窓の位置教えて?」
「部屋の南側に大きい窓がある。13時なら逆光にはならないと思う。もし曇ってたら、LEDで補うつもり」
「完璧じゃん。すごい、めっちゃ段取り屋」
「……まぁ、前回ちょっと手間取ったから。学習しただけ」
「ラギってさ、そういうとこあるよね〜。黙々と詰めてくるタイプ」
「悪い?」
「いや、好きだよ?安心できるもん」
その一言に、少しだけ胸が温かくなる。
「ありがとう。……今回、ちゃんとやりたいから」
「うん。うちも楽しみにしてる。ラギと一緒に作るの、やっぱり楽しいもん」
その“楽しい”という言葉が、俺の中で優しく響いた。
思えば、誰かと一緒に作る時間の中にしか生まれない“感覚”がある。
効率でも数字でもない、“気持ち”の部分。
なるみんは、それを自然に拾って、くれる。
「じゃあ、当日はよろしくね。駅の出口を出たとこで待ってて」
「ラジャ〜!ラギ印のスイポ、食べる気満々で行くから!」
通話を終えたあと、俺は小さく深呼吸をした。
(……ちゃんとやれる)
そんな気がした。
このコラボは、“見せるための料理”じゃない。
“届けたい”と思える、たったひとつの味を――一緒に、作るんだ。