ホームから続く階段をのぼって、改札前の一角。
日曜の昼すぎ、人の流れはほどほど。
駅前の小さなロータリーには、家族連れや買い物帰りらしき人がちらほらいて、なんとなく休日らしい空気が漂っていた。
(……早めに来すぎたか)
腕時計をちらりと見やって、俺は深く息をついた。
外は寒いはずなのに、どこか背中がじんわり熱い。
コートの襟を整える。
動画で顔出しはしていないけど、なんとなく人目が気になるのは、きっと今日が「特別」だからだ。
自分の家に、友人を招く。
それも、女の子を――。
たぶん、奈帆が来たとき以来だ。
あのときも、少し緊張した。でも今回はそれとは違う“ざらつき”が胸に残っていた。
なるみんは、SNSの中の“仲間”でもあり、“動画の相方”でもあり――
気づけば、俺にとって特別な存在になっていた。
* * *
「久しぶり〜!」
その声が飛んできた瞬間、胸のざわめきが一度でリセットされる。
改札から出てきたなるみんは、大きなバッグを肩から下げて、手には保冷バッグらしきもの。
ニット帽とロングコート姿で、どこか冬の街に馴染んでいた。
「……よくそんな荷物で来たね」
「えへへ、いろいろ詰め込んできちゃった。手伝ってくれる?」
「もちろん」
俺は自然と手を伸ばして、彼女の荷物をひとつ受け取った。
思ったより重くて、なるみんの細い腕でよくここまで持ってきたな、と少し驚く。
「冷蔵ものもあるから、早く冷やしたい〜」
「じゃあ、さくっと行こう。歩いて10分くらいだから」
「おっけ〜。ラギの家、どんなとこなんだろ。ドキドキ」
「普通の2LDK。一人暮らしにはちょっと広め」
「えっ、2LDK!? すごくない?贅沢〜!」
「……まぁ、いろいろ事情があって」
なるみんはそういうことを深く聞かない。
今も「そっか〜」とだけ返して、ぴょこぴょこと俺の隣を歩いてくる。
その無邪気さに、俺の緊張も少しずつほどけていった。
「ラギってさ、普段あんまり友達とか家に呼んだりしない人でしょ?」
「……どうして分かるの」
「うーん。なんか、空気が。今もちょっとソワソワしてるし」
「バレてる……」
「うん、けっこう。顔に出てる。……でも、そういうとこ可愛いよ?」
「可愛くはない」
「あるって〜。そゆとこ、わたしは好きだけどな〜」
ふざけた調子で言ってるはずなのに、なるみんの声はどこか嘘がない。
だから、俺は何も返せなかった。
そのまま黙って、少しだけ歩幅をゆるめる。
「……こうやって並んで歩くの、変な感じだね」
「なんで?」
「なんとなく。いつも画面越しだったからさ。
……“一緒に動画作る人”っていうより、なんか……」
「なんか?」
「……普通の、友達みたいだなって」
なるみんは、ちょっとだけ驚いた顔をしたあと――
ほんの少し、目元をゆるめて笑った。
「それ、めっちゃ嬉しいな、ラギ」
「……うん」
そのとき、俺はほんの少しだけ“女の子としての自分”を意識していた。
でも不思議と嫌な感覚ではなかった。
きっと、なるみんの隣だからだ。
* * *
駅からの坂を上りきり、俺のアパートの前まで来る。
外観はシンプルな建物だけど、なるみんは「わぁ、おしゃれ〜」と素直に感想を漏らした。
「緊張してきた〜。キッチン見るの楽しみ!」
「ちゃんと掃除したから、大丈夫」
「さすが、ラギ。やっぱり段取り力の塊〜」
笑い合いながらエントランスを抜け、階段をのぼる。
家のドアの前で一度だけ深呼吸をして、鍵を差し込む。
カチャリと音がして、静かに扉が開いた。
「おじゃましま〜す!」
なるみんの声が、部屋の中に明るく響いた。
2LDKのアパート。いつもは静かで、俺ひとりだけの空間。
でも今日は、誰かの足音と笑い声がある。それだけで、部屋の温度が変わった気がした。
「え、めっちゃキレイ……しかも広くない!? ほんとに一人暮らし?」
「うん。少し前に妹が泊まりに来てたこともあるけど」
「うわ〜〜〜いいな〜!家具もかわいいじゃん。シンプルだけどセンスいい感じ。
あっ、この照明いいね、やわらかくて」
なるみんはくるくると部屋を見回して、まるで雑貨屋さんに来たみたいに感嘆している。
俺はというと、誰かに部屋を“褒められる”ということ自体が久しぶりで、どう反応すればいいのか少し戸惑っていた。
「てかさ、ラギ……」
急に、なるみんがこちらをまじまじと見つめてくる。
「今日のアイシャドウ、そのくすみピンク、限定のやつでしょ?」
「……え、なんで分かるの?」
「そりゃ分かるよ〜!うちも使ってるもん、それ。かわいいよね、発色柔らかくて」
「うん……最近、ちょっとだけ試してみたくなって」
「ラギって、ナチュラルに似合うからうらやま〜。メイク、控えめでもちゃんと映えてる」
「いや、そこまでじゃ――」
「あるって〜。このリップもいい色!うちそのシリーズのモーブ買ってさ〜」
なるみんはバッグから自分のポーチを取り出して、コスメを見せながら話し出す。
俺もなんとなく化粧ポーチを取り出して、気づけば並んで机の上に並べていた。
(こんな風に誰かと化粧品の話するの、初めてかもしれない)
男だった頃、化粧品コーナーを遠巻きに眺めるだけだったあの距離感。
それが今、こうして普通に話題として笑いながら共有できていることが、少し不思議で、少し嬉しかった。
「次、撮影するときのリップ、もうちょいツヤ感出したいやつあったら貸すよ〜」
「ありがとう。……いや顔出ししないって」
「じゃあ今度遊ぶとき、いろいろ試そうね〜。コスメ談義会!」
俺は自然と笑った。
本当に“遊んでる”みたいだと思った。
女の子同士で、当たり前のようにコスメを並べて、わいわいして。
「……こういうの、いいね」
「うん、楽しいね」