キッチンに移動しながら、機材を手早くセッティングする。
三脚とスマホ用スタンド、マイク、小さなLEDライト。
「ラギ、やっぱ準備早いな〜。プロっぽい」
「慣れてるだけ。……でも、今日はライブだから、いつもより気を抜けない」
「コメントも拾いながらだもんね〜。そういうの得意?」
「……まぁ、なるべく頑張る」
「うち、コメントの拾い方ゆるすぎってよく言われる。喋ってると忘れちゃう」
「それはそれで、らしくていいんじゃない?」
「らしく、か〜。うん、そだね。じゃあ、ラギはラギらしくね!」
お互いに笑い合って、スマホを横向きにセットする。
カメラが捉えるのは、キッチンの手元と、背後に並んだ器具たち。
キッチン全体に暖かい光が広がっている。
さつまいもも、材料も、ふたり並んで立つこの距離も――すべてがちょうどいい。
「じゃあ……準備OK?」
「OK!ラギ、タイトルつけた?」
「うん、【ラギ×なるみん:冬のスイポづくりLIVE】って」
「いいね〜!じゃあ、いっちゃおっか」
「……よし」
深呼吸をひとつ。
画面を見つめて、配信開始のボタンをタップした。
赤いランプが点灯して、カメラの向こうに“誰か”がいる感覚がじわりと広がっていく。
でも今日は、それを怖いとは思わなかった。
“見せるための料理”じゃない。
“届けたい空気”を、そのまま映すだけ。
* * *
キッチンの午後は、優しい熱を帯びて――静かに動き出した。
『こんにちは〜!ラギです』
『なるみんで〜す!』
『今日はラギの家からお届けしてます〜!』
配信スタートと同時に、コメント欄が少しずつ動き始める。
—
《おおお!この組み合わせ待ってた!》
《2人ともテンションゆるくて好きw》
《なるみんが家にいるの新鮮》
—
「コメント来てる〜!」
「ほんとだ。……“部屋きれい”だって」
「いや、そりゃそうでしょ〜。ラギ、掃除のプロだもん。冷蔵庫の中までキレイだったし」
「それは見ないでよ……」
「えっ、だって気になって開けちゃった!“ここ絶対整ってる”って思ったらほんとに整ってたから拍手しといた」
「勝手に拍手しないで」
「ふふふ」
コメント欄にも、
《冷蔵庫チェック草》
《なるみん自由すぎw》
《ラギの困った顔見たい》
そんな反応が並ぶ。
「さてさて、今日の主役はこちら〜!」
なるみんが手元にカメラを引き寄せて、袋から取り出したのは、ホクホクのさつまいも。
「めっちゃいい色してる……ラギ、見て〜!」
「うん、これ当たりだね。じゃあ、さっそく蒸していこうか」
「了解で〜す。電子レンジでチン!」
「コメントに“今日のレシピ載せて〜”って来てる。概要欄に簡単な分量あるよ」
「あ、でもあとでツブヤイターにもアップしようね。ラギの手書きメモ、めっちゃ好きって言ってた人いたよ」
「……それ、恥ずかしいんだけど」
「そう? めっちゃ味あってよくない?」
《ラギの手書きレシピほんと好き》
《字も丁寧だし見やすい》
《ノート公開して》
「ほら〜、人気コンテンツじゃん」
「なんで私のノートがコンテンツに……」
なるみんの無邪気な笑いに、俺は仕方なく口元を緩めた。
さつまいもをレンジにかけている間、なるみんはテーブルに広げた材料をひとつずつ紹介していく。
「今日はラギレシピに、ちょこっとだけうちのアレンジ加えます!
隠し味は、これ〜!」
取り出したのは、ほんの少しのシナモンパウダー。
「これ、香りが優しくて好きなんだよね〜。入れすぎ注意だけど!」
「なるみん、入れすぎたことある?」
「ある。めっちゃある。芋消えるぐらいスパイスになった」
「それもう別の料理」
《シナモン分かる!》
《入れすぎ案件w》
《なるみんのそういうとこすき》
「でも今日は大丈夫。ラギが横で見てるから!」
「監視役……?」
「違う違う、安心役。ラギが隣にいると、ちゃんと作れるんだよね〜」
ふと、手元を見つめるなるみんの横顔が、少しだけ真剣で。
その横顔に、視聴者じゃない“俺自身”の気持ちも、ほんの少し揺れる。
さつまいもが温まり、ふたりで皮をむく工程へ。
「熱っ……!これ熱いやつ〜!」
「ちょっと冷ました方がよかったかな。ほら、キッチンペーパー使って」
「ありがとう、やさし〜!」
「……べつに普通のこと」
「うん、でもそういう“普通”が嬉しいやつだから」
その間にも、コメントは止まらない。
《この空気感ほんといい》
《2人で並んでるの癒される》
《ちゃんと作ってるのに雑談もちゃんとしてるのすごい》
芋を潰す音、バターを加える音。
生地がまとまっていくたびに、ふたりの会話もテンポよく進んでいく。
「今日の生地、めっちゃなめらかじゃない?」
「うん、水分ちょうどよかった。さつまいもがいいやつだったのもあるけど」
「これ、絞るの楽しみ〜!ちょっと練習したの見せていい?」
「……お、練習してきたの?」
「うん、ラギとコラボで披露しようと思って、ちょっとだけ。動画とか見て」
「……そっか」
思わず、心の中で「ありがとう」と呟いた。
たぶん、声に出したら上手く言えない気がして。
「じゃあ絞り袋に詰めて、並べていこうか」
「はーい!」
手元をカメラに映しながら、綾が生地を絞り出す。
形が整うたびに、コメントが飛び交う。
《きれい!》
《この絞り方まねしたい》
《さすがラギ!》
なるみんが絞った分には、
《あ、ちょっとラフな形w》
《でもかわいい》
《むしろなるみん味ある》
など、愛あるツッコミが並ぶ。
オーブンに入れて、待ち時間。
その間、ふたりはソファに腰掛けて、コメントを拾いながらの雑談へ。
「なんかさ、今日……配信しててすごく自然に話せてる気がする」
「うん。私も。前より……素でいられるっていうか」
「たぶん、それが“慣れ”じゃなくて、“心が戻ってきた”ってやつだと思う」
「……なるみん、たまに名言出すよね」
「でしょ〜?ゆるふわ言語の哲学者って呼んで」
「呼ばない」
ふたりの会話に、コメント欄もさらに沸いていく。
《今日の配信、保存版》
《ラギの笑い声久しぶりな気がする》
《なるみんの距離感ほんと最高》
オーブンが鳴って、スイートポテトが焼き上がる。
立ち上がると、ふわりと甘く香ばしい香りがキッチンを包み込んだ。
「できた〜!」
「いい色。形もちゃんと揃ってるし……うん、これは成功だね」
ふたりで、焼きたてをひとつずつ手に取り、同時にひとくち。
「……あ」
「……うまっ」
言葉にする前に、顔がほころんでいた。
「これ、ちゃんとラギの味になってる。
うち、今日この味忘れたくないな」
「……ありがとう」
本気でそう思った。
配信をしていることも、一瞬だけ忘れるほどに。
画面の向こうにも、きっとこの空気が届いていると、そう信じたくなる午後だった。