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第57話:届けたい想い

配信を切ったあとのキッチンには、心地よい静けさがあった。


余熱の残るオーブン、使い終わった器具の並ぶ作業台。

部屋にはまだ、さつまいもの甘い香りが残っている。


「……終わったね」


「うん、楽しかった」


なるみんは軽く伸びをして、ソファに腰を下ろす。

俺もその隣に座り、スマホを確認しながら小さく息を吐いた。




「コメント、めっちゃ来てたね。見ててニヤニヤした」


「……私も、ちょっと嬉しかった」


「“またやってほしい”っていっぱいあったよ。

 でも、今日は特に、なんか……うちも見てて幸せだった」


「そう?」


「うん。なんかね、ラギが“戻ってきた”感じがした」


そう言って、なるみんは横目で俺を見る。


その目が優しくて、まっすぐで――

俺は、どこか照れくさくて言葉に詰まった。


「……ありがと」


「うん」


ふたりの間に、自然と静かな余韻が流れる。


窓から差し込む午後の光が少し傾いて、部屋の影をゆっくり伸ばしていた。



* * *



その後、後片付けを手分けして終わらせてから、家を出る。


帰り道。

駅までの道を並んで歩きながら、なるみんがふと口を開いた。




「ねえ、ラギ」


「ん?」


「今日、すっごく楽しかったけどさ……」


「うん」


「次はさ、配信とかじゃなくて……普通に遊びたいな、って思った」


「……遊ぶ?」


「うん。カフェとか雑貨屋とか……ふつうに、“友だち”として遊びたい。ダメ?」


その言い方があまりにも自然で、真っ直ぐで。

俺は少しだけ立ち止まりそうになった。



「ダメなわけ、ないよ」


「よかった〜。……じゃあまた連絡するね、今度」


「うん。……私からも、連絡する」


「約束〜!」


なるみんはいつもの調子で笑った。

でもその目は、ちゃんとこちらを見ていた。


駅の改札口。

軽く手を振って、なるみんがホームへと消える。


俺はしばらくその場に立ち尽くして、それから、ゆっくりと帰路に着いた。



* * *



夜。

片付いた部屋にひとり。

キッチンの電気だけが、静かに灯っている。


俺は、冷蔵庫の扉に貼ったレシピメモを見つめながら、深く息を吐いた。




(“見せる”ための料理じゃない)


今日、配信中も、なるみんと並んで笑いながら作っていたときも――

俺はどこかで、それを実感していた。


誰かに認めてもらうためじゃなく、

誰かに「届く」ように、作ること。


味とか、見た目とか、もちろん大事だけど。

一番大事なのは、「どう届けたいか」だった。


(俺の料理は、俺の言葉だ)


そしてそれを、まっすぐに受け取ってくれる人たちがいる。

咲良、琴葉、奈帆、麻耶、なるみん……名前を思い出すたび、胸が少しずつ温かくなる。


もう迷わない。

誰かの声に揺れることはあっても、俺の軸は、ちゃんとここにある。




「また、作ろう」


静かにそう呟いた声は、部屋の中でふっと溶けていった。



* * *



金曜のバイト終わり。

青葉珈琲のキッチンに流れる音は、もうすっかり馴染んだ“日常”のものだった。


湯気の立つスープ鍋。

包丁の小気味いい音。

そして、厨房スタッフたちの、短くて静かなやり取り。


「ポタージュ、今朝倉さんが仕込んでくれてた分、火入れだけでいいって」


「了解です」


俺はうなずいて、鍋の火加減を調整した。

指先に迷いはない。

感覚はちゃんと、戻ってきていた。




その様子を横目で見ていたのは、柚木さん。

黙って、でも確かにこちらを一瞥してから、調理台に目を戻す。


以前なら、その視線にどこか構えていたけれど――今は違う。

“見られること”が、怖くなくなった。




「……前より、手際よくなったね」


「……え?」


柚木さんが、不意にぽつりと言った。


それは“評価”というより、“観察した結果を述べた”というような口調で、

でもそこには、かすかな認めるニュアンスがあった。


「前より……って、前は下手でした?」


「そんなこと言ってないよ。ただ、今の方が“迷ってない”。無駄が少ないって感じ」


「……そうですか」


俺は、少しだけ息を吐いた。


たぶん、柚木さんにとっての“誉め言葉”は、こういう淡々とした指摘の中にしかない。

だけど、それで充分だった。


「……ありがとうございます」


言葉を返すと、柚木さんは何も言わず、包丁の柄を握り直す。


でもその手の力加減が、少しだけ和らいだように思えたのは――気のせいじゃない、はずだ。



* * *



閉店後、軽く後片付けを終えてから、俺はひとり帰宅した。

コートを脱ぎ、鞄を置いて、ふとキッチンに立つ。


キッチンに灯る小さな明かりの下。

手に馴染んだまな板と、包丁の重み。


これまで何度も立ってきた場所なのに――

今は、少しだけ景色が違って見えた。


(俺は……やっぱり、料理が好きだ)


それは誰に言うでもない、ただの独り言だったけど。

でも今の俺には、それが一番大切な“確信”だった。


SNSで見せることも、誰かに褒められることも、悪いことじゃない。

でも、俺の料理は――




誰かに、

たった一人でもいい、

ちゃんと届けば、それでいい。




「……もう迷わない」


静かに呟いたその言葉は、部屋の空気に溶けて、音もなく消えていく。


でも胸の奥には、熱を残していた。

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